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名演奏家貴重盤
2023年9月新譜情報

特記以外 1CDーR ¥3300(税抜¥3000)


ATS(通常CD|初回プレス限定盤) 1枚あたり¥3300(税抜¥3000)

  UHQCD はすべてのCDプレーヤーで再生可能。旧譜はこちらから〔今月ご案内のアイテムも記載済み〕
ATS-958-2
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モントゥー「第9」 1960.7.31 〜ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125 「合唱」(+)
  エリナー・スティーバー(S) フリーダ・グレイ=マッセ(Ms)
  ジョン・マッカラム(T) デイヴィッド・ローラン(B)
  ピエール・モントゥー指揮ボストンso.、音楽祭cho.(+)
 録音:1960年7月31日、タングルウッド(バークシャー)音楽祭|既出CD, CD-R: Disco Archivia [CD-R], 600 〔廃盤、入手不能〕/ Premier [CD-R], 60042 DF, 60042 DF II / Memories, MR-2231/35 〔廃盤、入手不能〕/ St-Laurent Studio [CD-R], YSL-T-1078 。合唱団以外同一の顔ぶれによる1960年4月6日のものとは別演奏。なおこの音楽祭は、同年代における文字資料においてはほぼ「タングルウッド音楽祭」と書かれている。この音楽祭は1934年、タングルウッドから8キロ(資料によっては1.6キロ)ほど南のバークシャー郡ストックブリッジ・タウン内にあるインターラーケン・ヴィレッジで始まり、1936年冬にボストン響にバークシャー郡レノックス・タウンにあるタングルウッドと呼ばれる地域のうち210エーカーが寄贈されたことにより、1937年(資料によっては1940年)から「タングルウッド音楽祭 [Tanglewood Music Festival] 」と改名された。しかし1974年まで、各年のプログラムにおける音楽祭の呼称は「タングルウッド・バークシャー音楽祭 [Tanglewood BERKSHIRE FESTIVAL] 」「19xx年バークシャー音楽祭・・・タングルウッド [19xx BERKSHIRE FESTIVAL...TANGLEWOOD] 」「バークシャー音楽祭、19xx年シーズン [BERKSHIRE FESTIVAL, season 19xx] 」といったものだった。合唱団は単に "Festival Chorus" 等と記載されている。プログラムの表題から「バークシャー」の文字が消え「タングルウッド」のみになるのは1975年が初めてだと思われる。この演奏もこれまで、基本的に全て「タングルウッド音楽祭」でのライヴだとされていた。以下の『内』はすべて代理店記載ママ。『ミュンシュが常任指揮者在任中のボストン響にかつての常任指揮者モントゥ―が登場。バークシャー音楽祭は後にタングルウッド音楽祭となって今に至っております。夏の音楽祭、半野外の演奏会場に轟く凄絶なライヴ。ロンドン響とのスタジオ録音は録音と合唱団に不満が拭えませんから、このライヴは歓迎です。ミュンシュも顔負けの激しい演奏です。バランスの良さ、統率力の高さ。細心であると同時に気合の踏み込みが素晴らしい。ボストン響というフランスの楽器を使った楽団を率いてドイツ音楽を堂々と聴かせるマッチングの妙が存分に楽しめます。ヒスノイズが若干多いものの良好なステレオ録音。英日のライナーノート付です。』

FKM [FACHMANN FÜR KLASSISCHER MUSIK] [CD−R]


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FKM-CDR744/5
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[2CD-R]
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初出、ただしオケ誤記、アラウ + ハイティンク
 〜ベートーヴェン:ピアノ協奏曲集 1969.5

  〔第3番(*) /第4番(#) /第5番「皇帝」(+) 〕
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クラウディオ・アラウ(P)
ベルナルド・ハイティンク指揮
LPO
〔コンセルトヘボウo.と誤記〕
 録音:1969年5月4日(*)、1969年5月8日(#)、1969年5月11日(+) 、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール、ロンドン〔会場&都市は当店で補完|初出音源。
 1964年、アラウとハイティンクがコンセルトヘボウ管をバックに Philips へベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音した事は言わずもがなだが、実は1960年代後半のアラウによるこれら作品のライヴ録音というのはほぼ皆無と言って良い。唯一既出なのは、1967年5月20日(おそらく)プラハの春音楽祭に出演した際、コシュラー&プラハ響をバックにした第3番協奏曲〔 Panton |廃盤〕。第4番は1961年8月18日ミュンシュ& BSO との共演の次が1976年10月17日バーンスタイン& BRSO のアムネスティ・ライヴだったり、「皇帝」も1960年7月23日のモントゥー& BSO の後は1962年の抜粋映像、1963年9月15日ベルギーでの未発売録音の次が1974年10月13日バレンボイム& NYP との演奏〔入手困難〕であったりと、あたかもハイティンク& ACO とのセッション全集が関係者すべてを満足させてしまったかのように、この時期はアラウによるこれら作品のライヴ録音空白期間となっていた(ちなみに第1番と第2番はアラウの得意曲とは言えなかったようで、3種のセッション全集こそあるが、ライヴは1945年11月11日のセル& NYP をバックにした第1番しか市販されたことがないはず)。
 ここに来て突然、1969年5月にロンドンで後半の3曲を演奏した連続演奏会の録音が登場。当時 BBC (と4日のみスペイン国営放送も)ライヴ放送したことはマニアにも知られていたが、音源が残っていたとは驚き。ちなみにすべての日で交響曲などが併演されており、4日はシューベルト:イタリア風序曲&チャイコフスキー:交響曲第4番、8日はブルックナー:交響曲第9番、11日はショスタコーヴィチ:交響曲第4番が演奏されたという。
 オケの誤記載は画竜点睛を欠くが、アラウ・ファンならば必携。ぜひ5年前のセッションとの違いを楽しんでいただきたい。#オーケストラ誤記ママで供給されます。
FKM-CDR750
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[CD-R]
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初出、ジュリーニ& LAPO 〜
 ドヴォルジャーク
:交響曲第8番
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カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
ロサンゼルスpo.
 録音:1982年10月24日、〔おそらく、ドロシー・チャンドラー講堂、ロサンゼルス〕|おそらく初出音源、かつこの顔合わせによる初の同曲音盤。
 この演奏会はネット上の演奏会記録には記載がないが、 John Hunt のディスコグラフィ&演奏会記録には記載されている。同内容の演奏会は1982年10月21日、1982年10月22日、1982年10月23日にも行われた。他にジュリーニ&ロス・フィルが同曲を演奏したのは、1982年11月3日、ドロシー・チャンドラー・パヴィリオン、ロサンゼルス、1982年11月29日、公会堂、市庁舎、ポートランド、マサチューセッツ州、1982年12月5日、エイヴリー・フィッシャー・ホール、ニューヨークの計3回で、既知の限りでは7回演奏されたことがわかっているが、すべて1982年11月-12月の約半月以内なのは興味深い。
FKM-CDR751
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含・初出、ラファエル・クーベリック〜シューマン
 「ゲノフェーファ」序曲(*) /
 交響曲第3番「ライン」(#)
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ラファエル・クーベリック指揮
バイエルン放送so.(*)、
クリーヴランドo.(#)
 録音:1970年代〔1970年10月28日、シャンゼリゼ劇場、パリだとする資料があるが、シャンゼリゼ劇場の演奏会記録に記載無し。当日はベートーヴェンの交響曲第2番&第5番 + レオノーレ序曲第2番だと記載されている。例えばアンコール等などだとしたら記録から抜けている可能性もあるが、演奏会の曲目とはそぐわない〕(*) /1971年1月28日〔あるいは1971年1月29日〕(#) | (#):おそらく初出音源|既出CD-R: "000" Classics, TH-083 (*) 〔5曲をまとめて1970年代-1981年のアナウンス|廃盤、入手不能〕/ Rare Moth, RM-569S (*) 〔録音データ記載:不詳〕|後出CD-R: FKM, FKMCDR-759 (#)
 クーベリック&クリーヴランドによる(#)は初登場。この録音以外には DG への BPO とのセッションしかなく貴重な(*)は、初出以来録音データが判明していない(上記データはクーベリック・マニアで知られ膨大なデータ掲載量でも知られる Thierry Vagne 氏のサイトにあるものだが、誤りの可能性が高いように思われる)。
 なお1945年以降のシャンゼリゼ劇場の演奏会記録を検索する限り、クーベリックは(*)を同劇場で指揮したことはなく、彼がバイエルン放響を引き連れた同劇場でのパリ公演も、1970年10月28日と1970年10月29日の2日のみ。1945年以降2022年までに同オケが同劇場で演奏したのもこの2回のみの可能性がある(クーベリックがミュンヘン放響を率いて1967年4月10日と1967年4月11日に同劇場で公演した記録は残っている)。
FKM-CDR752/3
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[2CD-R]
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含・初出、ジャック・ドラコート〔デラコート〕&クリーヴランド管
 シューマン:交響曲第4番(*) / マーラー:交響曲第3番(#)
  モーリン・フォレスタ-(Ms;#) ジャック・ドラコート〔デラコート〕指揮
  クリーヴランドo.、同少年cho.(#)、ブロッサム祝祭cho.女性パート(#)
 録音:1975年7月25日(*) /1975年7月26日、ブロッサム音楽祭センター(#) | (*):初出音源 |既出CD-R: WME, WME-S-1280/1 (#) 。フランス人なので、本来「ドラコート」と呼ぶべき人なのだが、アメリカでの活躍もあったせいか、日本ではデラコートで通ってしまっているオペラ系指揮者が振った珍しい2曲。
FKM-CDR754
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[CD-R]
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含・希少音源〜
  ボストンのセル&クリーヴランド管 1969.2.16

 ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲(*)
 モーツァルト:セレナーデ第9番
  「ポストホルン」より(抜粋)(*)
   〔第1楽章/第2楽章(#) /第3楽章/
    第6楽章/第7楽章(フィナーレ)〕

 シューマン:交響曲第2番(+)
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ジョージ・セル指揮
クリーヴランドo.
 録音:1969年2月16日〔他に1969年2月10日とする資料あり〕、シンフォニー・ホール、ボストン|既出CD-R: Disco Archivia 336 (*/+) 〔廃盤、入手不能〕/ Vibrato, VHL-247 (#/+以外) 。 VHL-247 のアナウンスでは(#)が抜けているが、 Disco Archiia 盤や他文字資料ではそもそも楽章の記載がなく、詳細不明。セルには同曲のセッション収録もあるが、そちらでは7楽章すべてを録音していた。

WALL [ALL KARL BÖHM FAN CLUB] [CD−R]

 なぜ品番記号がカール・ベームとかすりもしない "WALL" なのかよくわからない当レーベル、なんと19年ぶりの新譜。初出ではないがプレス盤が出ていたものの再発にあたり、ここしばらく入手困難だったもの。旧譜はこちらから
WALL-7033
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[CD-R]
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ベーム& BRSO
 ヴェーベルン:パッサカリア(*)
 ベートーヴェン:交響曲第7番(#)
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カール・ベーム指揮
バイエルン放送so.
 録音:1969年10月2日-3日(*) /1973年5月3日4日(#) | (*):おそらく既知中、作曲家レヴェルでベーム唯一の録音|既出CD, CD-R: Karl Böhm Collection (Vol.) 1 [IMD], KB-401 [(P) 1992] (*/#) 〔本体にデータ記載無し〕/ Re! Discover [CD-R], RED-14 (*/#) 〔ともに廃盤、入手不能〕。両曲とも2023年現在、おそらく当盤以外のリリースは無し。既出盤とは曲目の順番が異なっている。 VPO や BPO との演奏より透明度で上まわるベートーヴェン、ベームとしては珍しい新ウィーン楽派ながら、劇的な高揚が素晴らしいウェーベルン、どちらも名演。
WALL-7034
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[CD-R]
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ベーム& VPO
 ウェーバー:
  「オベロン」序曲(*) /「魔弾の射手」序曲(#)
 シューベルト:交響曲第9番「グレイト」(+)
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カール・ベーム指揮
VPO
 録音:1977年7月(*/#) 〔とあるが、1979年8月15日(*)、1978年8月6日(#) (一部ロットに1978年8月26日との誤記がある模様)〕 /1978年(+)〔とあるが、1977年6月19日〕 |既出CD, CD-R: Meteor, MCD-061 [(P) 1993] (*/#/+) 〔本体にデータ記載無し〕/ Re! Discover [CD-R], RED-67 (*/#/+) 〔 Re! Discover 盤の時期アナウンスは、当盤と同一(+) &1977年6月(*/#) 〕|ともに廃盤、入手不能〕/ FKM [CD-R], FKM-CDR82 (*) 〔1979年8月15日の記載〕, FKM-CDR97/8 (#) 〔1978年8月6日のアナウンス|本体に1978年8月26日と誤記されているロットあり〕/ Wall [CD-R], WALL-7026 〔1977年6月19日の記載〕 。既出盤とは曲目の順番が異なっている。日付で既出盤や他資料と差異がある場合、基本的にウィーン・フィルの演奏会記録を優先した。
 (*/#)の記載年1977年には、オケの演奏会記録にベームがこれら2曲を振ったものがなく、実際には1978年と1979年の演奏だと思われる。また(+)も、1978年ならば1978年5月28日の演奏があるが、これではなく上記日付らしい。なおベーム& VPO は1977年には一度しか同曲を取り上げていないのに対し、1978年には1月、5月、9月に計5回も振っているが、音盤既出は5月28日のもののみ。これはベーム& VPO による同曲で録音が残っている中では最後だとされる[ Pompadour, SH-1001 〔外装に日付記載無し(未確認だがブックレット内側に1978年5月28日と記載【あるいは1978年3月28日と誤記?】されている模様)|廃盤、入手不能〕/ Vibrato [CD-R], VLL-207 ) ]。

 頻繁に来日していた頃のベーム。せせこましさがなくなり、テンポも落ちてきた分、深い呼吸を手に入れ、正に正統派の中の正統派といったコンビによる名演。


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