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特記以外 1CDあたり¥2640(税抜¥2400)



 ドイツの MELISMA MUSIC 傘下だが、国内代理店が率先してアイテムの選定を行い、基本的には日本市場向けとして制作されている特殊なレーベル。MELISMA MUSIC が持つ現地での人脈からか、これだけの放送音源などを発掘しているのは正に壮観。更に、子息や夫人など遺族からきちんと承認を得るなどしてリリースを続けているのは非常に好ましい。
 やはり日本人好みのアイテムが多く、ヴァンデルノート、ケーゲル、コンヴィチュニーを始め、サンソン・フランソワ(SSS-0021-2)、スウィトナー、マタチッチ、ライヴの凄さが話題となり改めて見直されつつあるテンシュテットの録音も、夫人の協力により復刻を開始、さらにはスヴェトラーノフやプレートルといった21世紀まで活躍した巨匠に加え、 クレンペラー、チェリビダッケ、ミケランジェリ、マルツィ、パイネマン、そしてとうとうフルトヴェングラーまでリリースを拡大しており、ヒストリカル・マニア必見のレーベルとなっている
 #当レーベルは日本主導のため海外での流通在庫が少なく、レーベルで品切となったものは基本的に入手できず、当店では「廃盤」の表記をしています(再プレスされる可能性は残りますが、確率は高くなく時期も不明です)。また下記でご注文可能な状態のものでも、レーベル品切のアイテムは基本的に入手不可能です。
SSS-0245/48-2
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(4CD)
2CD価格
カイルベルト&ケルン放響〜初出スタジオ録音集 1952-63
 モーツァルト:交響曲第30番 ニ長調 K.202 (186b) /協奏交響曲 変ホ長調 K.364 (320d) (*) /
        交響曲第40番 ト短調 K.550
 ベートーヴェン:交響曲第4番 変ロ長調 Op.60 (#) / シューマン:交響曲第4番 ニ短調 Op.120 (+)
 ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 Op.125「合唱」(**) / ブルックナー:交響曲第6番 イ長調(##)

 ヨーゼフ・カイルベルト指揮ケルン放送so.
 ヴィルヘルム・マイヤー(Ob;*) パウル・ブレシャー(Cl;*)
 ゲルハルト・ブルダック(Hr;*) カール・ヴァイス(Fg;*)
 ヴィルマ・リップ(S;**) ルクレツィア・ウェスト(A;**)
 エルンスト・ヘフリガー(T;**) ゴットロープ・フリック(B;**)
 ヘルベルト・シェルヌス指揮ケルン放送cho.(**)
 録音:1957年9月14日(無印/*)、1958年12月8日(#)、1952年6月6日(+)、1963年6月28日(**)、アナウンスに未記載〔おそらく1962年11月30日〕(##)、すべてクラウス・フォン・ビスマルクザール、ケルン放送局、モノラル、おそらく放送用セッション|おそらくすべて初出音源。 巨匠カイルベルトの完全初出スタジオ録音。密接な関係を築いたケルン放送so. との名演集。モーツァルトはぶっきらぼうなまでの快速テンポで、感傷を排した徹底ぶりの凄まじい演奏。第30番と第40番はカイルベルトが偏愛した曲。さらにケルン放送so. の名手をソロに迎えた協奏交響曲もご馳走。シューマンの第4番はプラハ・ドイツ響とのSP録音しかないので、この演奏は歓迎されようだ。幻想的な雰囲気よりも絶対音楽としての実在感たっぷりの演奏。フィナーレなど徒なテンポアップをせずに音が、そして響きが分厚く迫ってくるのが如何にもカイルベルト節。ベートーヴェンは第4番と第9番を収録。第4番は妙に若ぶらずに堂々たる大交響曲として押し通する。正規録音を遺さなかった「第九」のとゴツゴツとした肌触りと、ティンパニの豪打、そして推進力はタイミングよりも早さを感じる程。豪華なソリストの歌唱。そして合唱団の素晴らしさには満点を与えたくなる。当時一般的な人気の低かった「ブル6」の値打ちを認めて紹介に努めたのがカイルベルトでBPOとスタジオ録音を遺しているが、当ライヴとほぼ同時期ながらケルン放送so. の方が巌のような印象で野人ブルックナーを全面にだした秀演。考えてみると1908年生まれ(カラヤン、朝比奈と同年)のカイルベルトは40歳代から50歳代だった訳で、それなのに、この円熟振り。つくづく当今の演奏家は幼いスタイルが多いように思う。モノラルながら元々が名録音な上にディルク・フランケンの丁寧な復刻により万全の音質。ライナーノート付(英訳あり)。
SSS-0242/44-2
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(3CD)
2CD価格
レーグナー&ベルリン放送so.〜シューベルト名演集
 交響曲〔第2番 変ロ長調 D.125 [1978年9月24日](*) /第6番 ハ長調 D.589 [1973年10月16日-17日]/
     第8番 ロ短調 D.759「未完成」 [1991年11月10日](#) /
     第9番 ハ長調 D.944「グレイト」 [1978年1月28日](*) 〕/
 序曲 ニ長調 D.556 [1973年12月10日] /序曲 ホ短調 D.648 [1973年9月28日]/
 序曲 変ロ長調 D.470 [1973年10月15日]/
 5つのメヌエットと5つのドイツ舞曲 D.89 (弦楽合奏版)[1973年12月11日-12日]/
 6つのドイツ舞曲 D.820 (ヴェーベルン編曲)[1990年5月27日](#)

 ハインツ・レーグナー指揮ベルリン放送so.
 録音:[内]、ドイツ民主共和国宮殿(*)、シャウシュピールハウス〔現・コンツェルトハウス〕(#)、ライヴ(*/#) /ベルリン放送大ホール1、放送用セッション(無印)、すべてベルリン|相場ひろ氏による書下ろしライナーノート付(英訳あり)。『レーグナーの芸風にぴったりと思われるシューベルトですが、実際は「ザ・グレート」とワインガルトナー編曲の交響曲第7番のスタジオ録音が遺される程度というのが現実です。長年の渇きを癒す名演集が一挙に登場。いずれも手兵のベルリン放送交響楽団(旧東)を駆使したもの。旧東ドイツ時代の録音技術の高さにも納得です。ブルックナー演奏で見せた基本快速で軽快。木管を自由に飛翔させて、叙情性を追求。しかし過度の泣き節にはならないところに巨匠の知性と鋭さがあります。交響曲第2番はミュンシュ、ベーム、プレートルも好んだ名曲で初期とはいえ立派なロマン派の作品。第6番は「小ハ長調」などと称されることもありますが、これまた威風堂々たる構えを見せます。「未完成」は東西統一後のライヴ。こちらは遅いテンポで深刻そのものの表情を見せます。「ザ・グレート」はレーグナーの二面性を存分に発揮した快演。リズム感と語り口の巧さには脱帽。スタジオ収録の序曲集も珍しい録音となります。シューベルトが作曲家として脂が乗ってきた頃の作品、交響曲との密接な関連性があります。“弦楽四重奏のための5つのメヌエットと5つのドイツ舞曲D.89“を弦楽合奏で聞けるのも嬉しい限り、微に入り細を穿つ巨匠の至芸です。そしてウェーベルン編曲の「ドイツ舞曲」が白眉!どうしてここまで切なく哀しく演奏できるのか!というほどの名演です。』
スヴェトラーノフ〜ブルックナー
 交響曲第8番 ハ短調
エフゲニー・
 スヴェトラーノフ指揮
イェーテボリso.
 録音:1992年9月17日、イェーテボリ・コンサートホール、ライヴ。スヴェトラーノフ2種目のブル8が登場。しかも音盤では初顔合わせとなるイェーテボリ響客演ライヴ。ロシア響とのメロディア盤は1981年だったのでほぼ10年後の演奏。イェーテボリ響もヤルヴィ時代の充実期で立派な演奏を聴かせる。イェーテボリのコンサートホールは音響の良さで知られるのでクリアなサウンドを聴かせる。ロシア響はかなり金管を強調させた激演だったが、こちらは弦楽器を生かしたオーソドックスな名演。スヴェトラーノフのもう一つの魅力である神経の細やかさを聴きとれることだろう。第3楽章冒頭の弦楽器の刻みは驚くほどの繊細さ。1992年というとまだまだ元気いっぱいでエネルギッシュな巨匠。最晩年の巨象の歩みのような遅いテンポによる解釈ではなく運動神経抜群な切り返しも見せる。90年代のスヴェトラーノフは東京でチャイコフスキー交響曲全曲演奏会を開き同時にライヴ録音して一気に評価を高めた時期。※はやしひろし氏による書下ろしライナーノート付(英訳あり)。
ローラ・ボベスコ&ジャック・ジャンティ、 WDR リサイタル録音集
 エネスコ:ヴァイオリン・ソナタ第2番 Op.6 (*) / ルーセル:ヴァイオリン・ソナタ第1番 Op.11
 イグナーツ・リリアン(1897-1964):ヴァイオリン・ソナタ第2番
 ホアキン・ニン(1879-1949):古いスペインの様式による5つの回想(*)
 プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ第2番

 ローラ・ボベスコ(Vn) ジャック・ジャンティ(P)
 録音:1964年1月9日(*)、1957年4月5日(無印)、ケルン放送第2ホール。まだまだ未発表音源があった。ボベスコ+ジャンティの仲良し夫婦が遺した20世紀のヴァイオリン名曲集。ケルン放送による優秀なスタジオ録音。同郷の大先輩、エネスコのヴァイオリン・ソナタが聞けるのも嬉しい限り。この曲の初演はエネスコがピアノ、ヴァイオリンがティボーという豪華さだった。ボベスコも甘美な音色で語り掛けてくれる。ルーセルのヴァイオリン・ソナタ第1番は、演奏時間が30分を超える超大作。ヴァンサン・ダンディに捧げられた作品。演奏の機会にも恵まれませんがボベスコがスタジオ録音を遺してくれていたことに感謝。濃厚な語り物の趣がある。イグナーツ・リリアン(1897〜1964)は、ユダヤ系のオランダ人。今や忘れられた存在だが、5曲の交響曲も書いた大物。ボベスコとは親交もあり、この録音に結び付いたものと思われる。10数分の短い作品だが、中々の美作品。ラヴェルとも近しい関係にあったスペインのピアニスト、作曲家のホアキン・ニンの「5つの回想」はボベスコが愛奏した傑作。タイトル通りの郷愁に満ちた、聞いて涙がこぼれるばかりのセンチメンタリズムが最高。プロコフィエフの第2番もボベスコの十八番として知られている。技巧をひけらかすのではなく、何となくお洒落で瀟洒な名演。これは必携の2枚組となるだろう。※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付
SSS-0235/38-2
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(4CD)
2CD価格
フルトヴェングラー&ストックホルム・フィル〜スウェーデン放送全録音集
 ベートーヴェン:交響曲〔第9番「合唱」(*) F /第8番/第7番F 〕/
 ブラームス:ドイツ・レクイエム(#)
 リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」(+) F
 ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」〜前奏曲と愛の死(+) F
 ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番〔本番/リハーサル風景(**) 〕
 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ストックホルムpo.、
 ストックホルム・フィルハーモニーcho.(*/#)
 ヒョルディス・シンベリ(S;*) リサ・テュネル(A;*)
 ヨースタ・ベケリン(T;*) シーグルド・ビョルリンク(B;*)
 ケルステン・リンドベリ・トルリンド(S;#) ベルンハルト・ゼネルステット(Br;#)
 録音:1948年11月12日(**)、1948年11月13日(無印)、1948年11月19日(#)、1942年11月25日(+)、1943年12月8日(*)、すべて ストックホルム・コンサートホール、ライヴ| F :スウェーデン放送音源からは初出。『フルトヴェングラーはスウェーデン、ストックホルムを頻繁に訪れました。ある時はウィーン・フィルを率いて、そして現地ストックホルム・フィルに客演しました。この度、フルトヴェングラー+ストックホルム・フィル共演の遺されている全録音がスウェーデン放送アーカイヴによる音源提供+ストックホルム・フィルの承認を得ての初発売となりました。フルトヴェングラーの代名詞ともいえる「第九」は、1943年12月という難しい時期に単身ストックホルムに赴いた演奏。狂乱のような合唱には何か特別な感情が籠めらているかのようです。ベートーヴェン・プロ、交響曲第8番、第7番は戦後の客演。元気なフルトヴェングラーらしい自由自在な演奏で、ストックホルム・フィルに秘伝を伝えるかのような見事な演奏。「ドイツ・レクイエム」は巨匠唯一の完全全曲録音であり、崇高かつ燃え上がる情熱が同居した奇跡的な名演として著名。シュトラウスの「ドン・ファン」、ワーグナーの「トリスタン」については語り上手、聞かせ上手のフルトヴェングラーらしい物語性の強いうねる様なロマンが最高です。「レオノーレ」序曲第3番は、正に芸術は爆発だ!を地で行くもの。非常に細かく、エネルギッシュなリハーサルも必聴です。過去に正規音源からCD化されたものもありますが、CD初期等のマスタリングには過度のエコー付加など問題があるものも多かっただけに今回のリリースは朗報という他ありません。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付、ネストル・スタリオーネ氏による書下ろし。』
フィルクシュニー〜ベルン・リサイタル 1976.3.16
 モーツァルト:デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲 K.573
 ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 Op.58 / ヤナーチェク:「草陰の小道にて」第2集
 ドヴォルジャーク:主題と変奏 Op.36 / スメタナ:チェコ舞曲〜熊

 ルドルフ・フィルクシュニー(P)
 録音:1976年3月16日、放送スタジオ、ベルン、ライヴ|初出音源。 『音色が格別キレイなピアニスト、フィルクシュニー。まるで粒のそろった真珠玉が転がるような玲瓏にして高貴なピアノ。香しい花のような音楽づくり、それがフィルクシュニーです。活動期間も長く、どの時代にも魅力がありますが、1976年というまだまだ壮年の輝きを持つ時期のライヴ。いいお客さんに恵まれて尻上がりに調子が出ていきます。モーツァルトのデュポール変奏曲は初出レパートリー。モーツァルトの最も上品な表現者と言えましょう。ショパンはフィルクシュニー得意のレパートリーですが、当盤の演奏が最もよく、音質も最高です。この曲で巨匠はドラマをかなり叩き込んでおります。あの吉田秀和先生もショパンよりずっと好き!と公言するほどのヤナーチェクのピアノ音楽。これぞフィルクシュニーの独壇場です。楽想の豊かさには心底感動です。そしてドヴォルザークの「主題と変奏」は、米CANDIDEレーベルにスタジオ録音がありましたが激レアで入手困難。シンフォニーとは一味違う世界が展開する名曲。やはり練達の大作曲家です。アンコールとして弾かれた、スメタナの「熊」は副題通りのユーモアを伴った快演。さすがはフィルクシュニー、お客さんと遊ぶ余裕に満ちた演奏です。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
初出&初レパ、イダ・ヘンデル、
  ケルン放送音源協奏曲スタジオ録音

 ドヴォルジャーク:ヴァイオリン協奏曲(*)
 シューマン:ヴァイオリン協奏曲(#)
イダ・ヘンデル(Vn)
フェルディナント・
 ライトナー指揮(*)
ロリン・マゼール指揮(#)
ケルン放送so.
 録音:1963年3月22日(*)、1960年2月8日(#)、放送用セッション、モノラル|おそらく初出音源。 『美しすぎる名女流、イダ・ヘンデルの完全初出放送スタジオ録音。ドヴォルザークは名曲ですが意外とディスクに恵まれないレパートリーです。イダ・ヘンデルは得意としており、ミューラー・クライとのライヴがありますが、今回はライトナーのバッキングですから「格」が違います。ライトナーが作る純ブラームス調で渋く品格溢れるオーケストラに、艶めかしくも奔放に絡みつくイダ・ヘンデルの姿態がお見事。ついつい口ずさみたくなるほど、愉快まメロディアスな名曲です。隠れた名曲といえばシューマンのヴァイオリン協奏曲。シューマンの没後80年間も無視されていたこの曲が1937年に発掘されたとき、ナチス・ドイツの威信にかけてクーレンカンプ+ベーム指揮ベルリンフィルで世界初演。しかしながら、その後も一般的な協奏曲とはならずにいましたが、近年では再評価も固まり重要なレパートリーとして復権を果たしているのはご存じの通り。イダ・ヘンデルの表現はやはり叙情にたっぷり傾斜したもので、せつないばかりの泣き節も見せる名演。シューマンの狂気と飛翔を活写します。若き日のマゼールの伴奏は謙虚というか、端正そのもの。若いころのバッハ演奏のように作曲者への敬意に満ちております。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
エディト・パイネマン〜 SFB(ベルリン)未発表録音集
 シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ短調 Op.105 (*)
 ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op.100 (*)
 シューベルト:ヴァイオリン・ソナティナ第3番 ト短調 D.408 (*)
 スク:ヴァイオリンとピアノのための4つの組曲 Op.17 (#)
 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第4番 イ短調 Op.23 (#)
 シューベルト:ヴァイオリンと弦楽合奏のためのロンド イ長調(ピアノ伴奏版) D.438
 ドヴォルジャーク:ヴァイオリンとピアノのための4つのロマンティックな組曲 Op.75
 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 変ロ長調 K.454
 シューベルト:幻想曲 ハ長調 D.934

 エディト・パイネマン(Vn)
 ヘルムート・バルト(P;*/#) レナード・ホカンソン(P;無印)
 録音:1970年11月5日(*)、1982年6月22日(#)、1987年5月19日、21日(無印)、すべて SFB ザール3、ベルリン、ステレオ、未発表放送用セッション。美しすぎる閨秀ヴァイオリニスト、エディト・パイネマンによる未発表スタジオ録音が登場。長年共演し気心のしれた二人のピアニスト、バース〔バルト〕とホカンソンと成しえた絶美の名演。シューマンのヴァイオリン・ソナタはほの暗いドイツ・ロマンをそのまま音化したような快演。薄暮のドイツの自然を眼前にするかのようだ。シューベルトはパイネマン十八番のレパートリーであり、特筆すべきがロンド。この曲は弦楽合奏と独奏ヴァイオリンのための作品だが、ここではピアノ伴奏という他に録音が存在しない珍品にして名演。「幻想曲」はお気に入りの名作で、既出のWDR録音集でも聞けたが、音質はこちらが断然上。モーツァルトのイキイキとした感情の発露。ベートーヴェンの品格と骨格が両立した驚異の仕上がり。パイネマンの恐るべき実力を堪能できるセット。そしてベルリンという音楽都市の音楽文化を担うSFB=RBBによる録音が超優秀!エンジニアの個性を誇るような自己顕示欲を感じない素直な音がここにある。※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付
クナ、初出〜ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」第3幕
 マックス・ローレンツ(T;トリスタン) リュボミル・ヴィシェゴノフ(B;マルケ王)
 キルステン・フラグスタート(S;イゾルデ)
 アンドレアス・ベーム(Br;クルヴェナール) アレクサンダー・コラツィオ(T;メロート)
 エルザ・カヴェルティ(Ms;ブランゲーネ) ジャコモ・タヴォリ(T;若い水夫)
 ロルフ・サンダー(T;牧童) ウィルヘルム・フェルデン(Br;舵取り)
 ハンス・クナッパーツブッシュ指揮チューリヒ・トーンハレo.
 録音:1947年6月5日、チューリヒ国立歌劇場、ライヴ|初出音源。 『第2次大戦後、ナチス・ドイツ協力者として1年余りの活動停止を余儀なくされたクナッパーツブッシュは、非ナチ化裁判で勝利し1947年から活動を再開しました。巨匠はチューリヒ・トーンハレ管を率いて、チューリヒ6月音楽祭に参加。ロレンツのトリスタン、フラグスタートのイゾルデという理想のキャストによる「トリスタンとイゾルデ」と「神々の黄昏」を指揮します(舞台上演。演出はハンス・ツィメルマン=チューリヒ歌劇場の芸術監督)。その「トリスタン」第3幕が世界初出となります!何故か、この演奏は第1幕の一部分がLP,CDで出ておりました。スイス放送には第3幕全曲のみが保存されており、逆に他の幕の演奏が現存しません。クナの「トリスタン」は、バイエルン国立歌劇場における1950年の全曲演奏と、DECCAの抜粋録音しか有りません。こうして第3幕ライヴが完全に遺されていたことは歓喜に値します。やはり一世を風靡した大ワーグナー歌手のロレンツ、フラグスタートの風格は尋常ではなく、超人的なスケールを感じさせます。音質は年代並ですが慎重に刺激的なテープノイズが取り除かれております。録音全体の音像をフィルター等で改竄するようなことはしておりませんので素直な音質を楽しめます。50代でまだまだエネルギッシュなドライヴ、比較的早めのテンポで流れの良さも光ります。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
初出、鬼才マデルナ&ハーグ・フィル、
  ケルン放送音源ライヴ、ステレオ

 ドビュッシー:交響詩「海」
 ヒンデミット:室内音楽第1番 Op.24 No.1
 マーラー:交響曲第10番〜「アダージョ」
ブルーノ・マデルナ指揮
ハーグ・レジテンティo.
〔ハーグpo.〕
 録音:1972年2月24日、フェストハレ、フィールゼン、ドイツ、ステレオ、ライヴ|おそらく初出音源|日本語解説:あいばひろ。 『53歳という若さで1973年に亡くなったイタリアの作曲家兼指揮者ブルーノ・マデルナ亡くなる前年の貴重なライヴ。音質もWDRによるステレオで極上。現代音楽の作曲家兼指揮者にありがちな殺伐とした冷たい表情がないのもマデルナの特徴です。「海」も存分に歌わせ、どっぷりとロマンに浸かる音楽には身を委ねる他ありません。ヒンデミットの室内音楽は、珍品でアバドの録音くらいしか思い浮かばない程。ドイツ時代の作品でヴィオラ奏者、ラジカルな作曲家として台頭してきたヒンデミットの意欲作。イキイキとしたメロディにシニカルな視点がきらりと光る名演。白眉はやはりマーラーでしょう。マデルナのマーラーというと、30年近く前にイタリアHUNT/ARKADIAから大量のマデルナのマーラーが発売されましたが、今一音質に難があり楽しめなかったのが正直なところでした。第10番「アダージョ」は初出レパートリー。奇矯な音楽としてでなく、現代音楽に片足を突っ込んだ先駆者マーラーを描きつくす至高の美演です。フィールゼンはノルトラインヴェストファーレン州(ライン川沿い北部)でオランダにもごく近い都市です。』『あいばひろ氏によるマデルナ愛に満ちた懇切丁寧な解説も素晴らしい限り。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
ピエール・フルニエ + シュナイダーハン + マーツァル + ドホナーニ〜ケルン放送協奏曲集
 ドヴォルジャーク:チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104 (*)
 ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 Op.102 (#)
  ピエール・フルニエ(Vc) ヴォルフガング・シュナイダーハン(Vn;#)
  ズデニェク・マーツァル指揮(*)
  クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮(#) ケルン放送so.(*/#)
 録音:1972年10月13日、ステレオ(*) /1964年9月18日、モノラル(#)、ともに クラウス・フォン・ビスマルク・ザール、ケルン、ライヴ(*/#) 。『チェロの貴公子、今なお人気の高い巨匠ピエール・フルニエ(1906-1986)の蔵出しライヴ。決定盤の誉れ高いセル+ベルリン・フィルとのスタジオ録音(1962年)から10年が経過。円熟味と風格をさらに増したフルニエが語り尽くします。究極の名曲、究極の名演。華やかな香りの漂うフルニエの音色。どこまでも上品さを失わず、同時に熱く燃え上がる理想的なフォルム。若き日の巨匠マーカルが三歩下がって師の影を踏まずを実践する謙譲の美徳で伴奏していて頭が下がります。ブラームスの二重協奏曲は、フルニエの愛奏曲。何とフランチェスカッティ+ワルターとの共演盤よりもこちらの方が後年の演奏となります。ウィーンのヴァイオリニスト、切ないほどに感じまくるシュナイダーハンとのコンビネーションが聞き物。血沸き肉躍る名演に仕上がっております。ドホナーニのエッジの鋭い辛口なバトンは若き日から見事なものです。2019年現在、90歳を超えても元気に指揮台にあがる巨匠もCD化を快諾。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
スヴェトラーノフ〜ドビュッシー
 牧神の午後への前奏曲 (*) /
 夜想曲(#) /交響詩「海」(*)
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1979年1月28日、コンサートホール、ステレオ(*) /1999年5月7日、ベールヴァルドホール、ストックホルム、ディジタル(#)、すべてライヴ。『スヴェトラーノフにとってドビュッシーは裏レパートリーというか秘蔵の得意曲でありました。あの顔に似ず、美音に対する追求は並々ならぬものがあり、さらには究極の癒しとまで呼びたい静謐さとリラックスを音楽に求めた巨匠でもありました。「牧神」にはその美質が良く表れております。「海」は豪快そのもの、のんびり泳いでいたら、最後は波に追いまくられるようなドラマティックな名演。「夜想曲」は、ソビエト国立響との演奏が未CD化で入手しにくく、フィルハーモニア管とのコリンズ盤は締まりがないため、このスウェーデン盤は歓迎されましょう。女声合唱団を加えた豪華版で、たまらない抒情性にあふれかえった名作です。今回からスヴェトラーノフ研究の第一人者である、はやしひろし氏による整音を依頼。万全の態勢で名演を堪能できることになりました。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
スヴェトラーノフ〜
 ラフマニノフ
:交響曲第2番 ホ短調 Op.27
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
ソヴィエト国立so.
 録音:1978年3月11日、コンサートホール、イェーテボリ、ライヴ、ステレオ。『気力体力充実してギンギンのスヴェトラーノフが手兵ソビエト国立響を率いて、スウェーデンを訪れた際のライヴ。巨匠のラフ2もかなりの数に上りますが、演奏内容、録音状態を鑑みると、当演奏はかなり上位に食い込みます。気が遠くなるほどの深い呼吸。荒れ狂ったかと思うと深い癒しの時間。静寂からまた奔流へ、と千変万化の名曲の名解釈。巨匠の芸風にうってつけです。エーテボリのコンサートホールはアコースティックの優秀さで高名。そのため録音は非常に優秀で聞きやすく、さらに今回からスヴェトラーノフ研究の第一人者である、はやしひろし氏による整音を依頼。万全の態勢で名演を堪能できることになりました。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
イダ・ヘンデル〜ストックホルム協奏曲ライヴ録音集
 ブラームス:ヴァイオリン協奏曲[1977年10月16日](*)
 シベリウス:ヴァイオリン協奏曲[1984年12月7日](#)
 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲[1975年9月21日](+)
 ショーソン:詩曲[1982年9月25日](#)
 ブリテン:ヴァイオリン協奏曲[1982年9月24日](#)
 J.S.バッハ:ソナタ第2番 ニ短調〜アンダンテ[1982年9月24日](**)
 ラヴェル:ツィガーヌ[1982年11月15日](#)
  イダ・ヘンデル(Vn) キリル・コンドラシン指揮(*) ヴァルター・ヴェラー指揮(#)
  レイフ・セーゲルスタム指揮(+) スウェーデン放送so.(**以外)
 録音:[内]、ストックホルム・コンサートホール(*)、ベールヴァルドホール(*以外)、すべてライヴ、ステレオ。(**)は同日のアンコール。 『またまた快挙です。実力、名声に比して極端に録音の少ない大女流ヴァイオリニスト、イダ・ヘンデル。虚飾を排しながらも奥深い情熱が随所に発揮される稀有の存在です。その極上の協奏曲ライヴ録音がしかもステレオで一気にリリース。共演指揮者も豪華そのもの。ブラームスは複数の録音が既出の得意レパートリーですが、ステレオ録音は初の登場。コンドラシンの恰幅の良い見事な伴奏が聴かせます!ベートーヴェンはクーベリックとのスタジオ録音、アンチェルとのライヴは共にモノラル録音だったので鬼才セーゲルスタム共演盤は大歓迎です。ブリテン、シベリウスはベルグルントとの名盤で知られる、これもお気に入りのレパートリーですが、ライヴならではの生命力が当盤には満ち溢れております。ブリテンの演奏の後に、例のセクシーな声で自ら紹介してバッハをアンコールで聞かせてくれるのも最高。ラヴェル、ショーソンともに情念というか熱い血の迸りが感じられる濃い演奏。スウェーデンは彼女にとってお馴染みの土地であり繰返し客演を繰り返しました。スウェーデン放送による優秀なステレオ録音であることは言うまでもありません。』『※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
初出、バルビローリ&スイス放送 + 夫人〜「リンツ」他 モーツァルト
 モーツァルト/バルビローリ編曲:弦楽のための組曲(全4楽章)
  〔第1楽章:ジングシュピール「バスティアンとバスティエンヌ」前奏曲/
   第2楽章:交響曲第6番 K.43 〜第2楽章 アンダンテ/
   第3楽章:ディヴェルティメント第11番 K.251 〜第2楽章 メヌエット/
   第4楽章:カッサシオン K.99(63a)〜第2楽章 アレグロ・モルト(移調)〕

 モーツァルト:オーボエ協奏曲 ハ長調 K.314 (*) /交響曲第36番「リンツ」 ハ長調 K.425
  イヴリン・バルビローリ〔ロスウェル〕(Ob;*)
  ジョン・バルビローリ指揮ベロミュンスター放送o.
 録音:1956年12月19日、チューリヒ放送第1ホール、おそらく放送用セッション、モノラル|初出音源。  『バルビローリの未発表録音が登場。意外と録音が少なかったモーツァルト作品ばかりというところも興味津々。聞き物はバルビローリがモーツァルト作品を編集して4楽章の曲としてまとめた「弦楽のための組曲」。第1楽章はジングシュピール「バスティアンとバスティエンヌ」から前奏曲、第2楽章は交響曲第6番K.43の第2楽章アンダンテ、第3楽章はディヴェルティメント第11番K.251の第2楽章メヌエット、第4楽章はカッサシオンK.99(63a)第2楽章アレグロ・モルトを第1楽章にあわせて移調したもの、となっております。確かに2楽章などもアダージョのテンポに変えているところからして、モーツァルト版「エロイカ」というコンセプトのバルビローリの編曲(「バスティアン」のテーマはベートーヴェン「英雄」のテーマと同じ)といったところで、元々こういう曲があったんじゃないかと思えるほど自然で楽しい曲になっております。オーボエ協奏曲のソリストは2008年に亡くなったバルビローリ夫人(イヴリン・バルビローリ=ロスウェル)。この夫妻はハレ管と1959年にスタジオ録音していますが、こちらはその三年前。交響曲第36番「リンツ」はハレ管とのライヴも知られますが、愛奏曲らしく手の内に入ったホットな名演。フィナーレの回想シーンなどゆったりと胸の熱くなるような音楽。全体として遅めのテンポが採用されており、存分に歌わせて、ベロミュンスター放送管も人数の少なさを感じさせない立派な響きで応えます。モノラルですがスイス放送の優秀録音。どうやら一発収録らしく、オン・マイクで生々しいライヴ感がうずまく大熱演です。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
スヴェトラーノフ + マルコヴィチ
 ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 Op.26
 ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77 (#)
シルヴィア・マルコヴィチ(Vn)
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1981年9月17日、コンサートホール、ヴェステラス(無印) /1981年9月18日、ベールヴァルドホール、ストックホルム(#)、ともにライヴ、ステレオ。『ルーマニア出身の美しすぎるヴァイオリニスト、シルヴィア・マルコヴィッチが巨匠スヴェトラーノフと共演した協奏曲ライヴ。マルコヴィッチのCDは極めて少ないために、ヴァイオリン愛好家には垂涎の商品となりましょう。スヴェトラーノフはマルコヴィッチの才能を認め、度々共演しました。マルコヴィッチのヴァイオリンは、まるで人の泣き声のような、感情的な発露を隠そうともしないものです。そのうえ、時として奔放で野放図なまでの奔放さを見せることもあり、正に気まぐれな美少女といった趣があります。スヴェトラーノフの伴奏は威風堂々、一点一画を疎かに竹刀堂々たる横綱相撲。この大きな構えの中で、マルコヴィッチのヴァイオリンは歌い、踊ります。まるで峩々と聳え立つアルプス山脈に咲く清楚なエーデルワイスを想わせる名演。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
ヨハンナ・マルツィ 1972.11.25〔旧・ Vol.5 〕
 ブラームス:
  ヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」
 ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ
ヨハンナ・マルツィ(Vn)
イシュトヴァーン・ハイデュ(P)
 録音:1972年11月25日〔前出盤の国内代理店資料では1962年5月4日となっていたが、他盤データの読み間違い〕、チューリヒ放送スタジオ2〔前出盤資料ではバーゼル放送局〕、スイス、放送用セッション、モノラル|音源提供:スイス放送|初出・前出・旧品番: Coup d'Archet (UK), COUPCD-005 [CD/(P) 1998], COUPLP-005 [LP], CDACD-001-007RR [8CDs] 〔以上すべて廃盤、入手不能〕。ブラームスは彼女の音盤初レパートリーだったもので、2018年現在でも唯一の録音。 『この1972年の放送用スタジオ録音は、Coup d’Archetで初出となりベストセラーとなりましたが、廃盤になって久しく中古市場では法外な値段で取引されております。この度、WEITBLICKでは改めてスイス放送からライセンスを受けて、さらにマルツィ女史唯一の権利継承者である令嬢からの許可を得ての正規発売に漕ぎつけました。音質も改めてマスタリングがなされて、定評ある名演を聴く環境が初めて整った感があります。1972年というと当然ステレオ録音がなされている筈と必死の探索を行いましたが、やはり現存するのはモノラル・ヴァージョンのみということです。名コンビであるイシュトヴァン・ハイジュとの対話のような見事なバッキングもお見事。ヴァイオリンを愛する方、または室内楽を愛する人々には垂涎のリリースであります。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
マタチッチ〜シュトラウス・ファミリー名演集
 ヨハン・シュトラウス II :無窮動
 ヨハン・シュトラウス II /ヨーゼフ・シュトラウス:ピツィカート・ポルカ
 ヨハン・シュトラウス II :トリッチ・トラッチ・ポルカ/ペルシャ行進曲/
              ワルツ「南国のバラ」/ワルツ「芸術家の生活」
 ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」/ワルツ「天体の音楽」
 ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮ベルリン放送so.〔旧・東〕
 録音:1958年6月24日-26日、ザール1、ベルリン放送、放送用セッション、モノラル。 当盤アナウンスの約2ヶ月前に、カナダの St-Laurent Studio から「放送:1958年」としてアナウンスされた録音(YSL-T-644)と、おそらく同一の演奏。#当盤のアナウンスにおいては、ピツィカート・ポルカの作曲者にヨーゼフ・シュトラウスの名がありません。 『こんな奇跡のような演奏が遺っておりました!マタチッチによるシュトラウス・ファミリー名演集。元来がステレオでスタジオ録音されておりましたが、それらは現存せず、モノラルのトラックダウンしか遺っていなかったのは甚だ残念ですが、音質は極上。マタチッチは、オーストリア=ハンガリー帝国に属する時代のクロアチアに生まれ、9歳からウィーン少年合唱団に入り、そのままウィーンで音楽を修めた訳ですから、音楽的バックボーンは紛れもなくウィーンなのです。レハールの「メリー・ウィドウ」の全曲録音がリリース当初から今に至るまで高評価なのも当然でしょう。「ベルリンの壁」が出来る前の“東ベルリン”にて行われたセッション録音。オーケストラの実力も並々ならぬものです。演奏内容は予想通り、クナッパーツブッシュを思わせる重厚なもの。クナのような意表を突く遊戯は見られませんが、大人の風格と余裕に満ちた豊穣な音楽が奏でられます。「南国のバラ」、「芸術家の生活」などシンフォニックなまでの大建築演奏。「天体の音楽」の極大スケール。さすがはマタチッチ。多くのファンが抱く尊敬の念も新たなものとなることでしょう。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
ザンデルリング&ベルリン放響 2001.9.9 〜
 ブルックナー
:交響曲第3番(1889年版)
クルト・ザンデルリング指揮
ベルリン放送so.(旧東)
 録音:2001年9月9日、コンツェルトハウス、ベルリン、ライヴ、ディジタル。既出CD-R: GNP, GNP-115 / SOUNDS SUPREME, 2S-008 〔2001年9月7日と誤記〕/ EN LARMES, ELS-04-533/4 。 『巨匠クルト・ザンデルリンクが没して早7年。日本にもその実演に接した多くのファンがおり、人気は今なお褪せることを知りません。ただし、ザンデルリンクは活動晩年になればなるほどレパートリーを絞り厳選したために、同曲異演のリリースが続くのも致し方ないことでしょう。今回初登場の「ブル3」はザンデルリンクが自らの引退を決断発表した頃のライヴとなります。その声明に多くのファンが衝撃を受けました。活動地域をヨーロッパ国内に限定していたとは言え、演奏はますます円熟味をましており、両手のひらを下に向けて身体をブンブン振回すエネルギッシュな指揮ぶりには聊かの衰えも見られなかったからです。第一線のまま、身を引きたいというダンディズムのなせる業でしょうか。「ブル3」は、巨匠の十八番です。正規盤に限ってもゲヴァントハウス管(1963年、ETERNA)、BBCノーザン響(1978年,ICA)、コンセルトヘボウ管(1996年,COA)が既出で高い評価を得ております。しかし、当演奏はそれらを軽く超えてしまうような偉大な演奏です。トータルの演奏時間がチェリビダッケを超える遅さ!ザンデルリンクもここまでのテンポを採用することはありませんでした。ザンデルリンク特有のシルクのように艶々と輝かしい上に、肌触りの柔らかい美音。時に、音楽の動きを止めてまでも旋律を強調する大胆さ(第一楽章12分過ぎ)。乾坤一擲!フィナーレの壮麗と独自の改訂。意外や派手な表現をするザンデルリンク会心の超名演です。旧東ベルリン放送響は、ベルリン人ザンデルリンクにとっては子供のような存在なのでしょう。献身的な演奏で巨匠のバトンに食らいついて呼応します。2001年のデジタル録音で音質の素晴らしさも特筆ものです。そして、翌年の5月には自ら手兵ベルリン交響楽団を指揮して、この演奏と同じ会場であるコンツェルトハウス・ベルリン(旧シャウシュピールハウス・ベルリン)において告別コンサートを行いました。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
エディト・パイネマン〜 WDR リサイタル録音集、初出
 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番 ハ短調 Op.30 No.2 (*)
 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第27番 ト長調 K.379 (*)
 シューベルト:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ト短調 D.408 (#)
 ブラームス:「F.A.E.ソナタ」〜スケルツォ ハ短調
 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調 Op.12 No.2
 シューベルト:幻想曲 ハ長調 D.934 (+)
  エディト・パイネマン(Vn) ヘルムート・バルト(P;*)
  イェルク・デムス(P;#, 無印) ローベルト=アレグザンデル・ボーンケ(P;+)
 録音:1957年6月23日(+)、1966年4月26日(無印)、1966年6月24日(#)、1967年10月4日(*)、モノラル|ソース: WDR ケルン放送。 『空前のヒットとなった協奏曲ライヴ(SSS-0204/05-2)に続いて、美貌の天才ヴァイオリニストとして高名なパイネマンの未発表放送用スタジオ録音が一気にリリース。その高名に比して録音は極めて少なく、 DG への CD 1枚分が全てでしょうか。マニアは、ハウシルトとのレーガーのヴァイオリン協奏曲の録音を知ることでしょう(AMATI)。ここに登場するレパートリーも全曲初出レパートリーです。1937年にドイツ・マインツに生れたパイネマンは、4歳で同地のオケのコンサートマスターであった父からヴァイオリンを学びます。さらにハインツ・スタンシュケ、マックス・ロスタルに師事。19歳でドイツ放送局(ARD)主催のコンクールで第1位となり,国際的な活動を開始します。アメリカでは、特に大指揮者ジョージ・セルがパイネマンを高く評価したために、1965年のクリーヴランド管のニューヨーク・カーネギーホール公演にもソリストとして起用されます。以降、共演した指揮者にはミュンシュ、ショルティ、カラヤン、カイルベルト、クリップス、バルビローリ、クーベリック、テンシュテット、マルティノン等が挙げられます。1972年にはミュンヘンフィル初来日公演にソリストとして参加。1970年代以降は教育活動に重きを置いたために、演奏家として録音に恵まれなかったのかも知れません。それ故に協奏曲の名曲、名演を集めた当企画は長年の渇きを癒すリリースと申せましょう。芸風は典雅にして高潔。無駄な効果を狙った演奏とは無縁です。ベートーヴェンの高貴さには頭が下がるばかり。モーツァルトは深遠な思索に富んだ名演。ブラームスのFAEソナタの感受性の強さ。そしてシューベルトの「幻想曲」、この自由度の高い飛翔に心洗われる思いであります。伴奏ピアノの神様ともいえるデムスのバッキングが多いことも朗報。全てモノラルですが、ケルン放送の技術の高さは多くの見識あるファンが知るところ。期待を裏切りません。』
ヨハンナ・マルツィ 1976.11.30 初出
 バルトーク:ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ第1番
 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第24番 ヘ長調 K.376 (374d)
 シューベルト:ヴァイオリンとピアノの二重奏曲 D.574「デュオ・ソナタ」
  ヨハンナ・マルツィ(Vn) イシュトヴァーン・ハイデュ(P)
 録音:1976年11月30日、放送スタジオ2、チューリヒ、放送用セッション|初出音源|音源提供:スイス放送。『もう何の言葉も必要ない!夢のような演奏が完全初出となります。イエネー・フバイ門下の名女流ヨアンナ・マルツィはハンガリー出身ですが、ジュネーヴ国際音楽コンクールに入賞した1947年以降はスイスに居を定めました。そして、世界各地で活躍しましたが、1970年以降の録音は極めて少なく、1972年のスイス録音のみです。ここに収録される1976年のリサイタルは、さらに後年で最も晩年の演奏ということになります。バルトークとモーツァルトは初出レパートリーという衝撃!スイス放送の録音は極めて優秀で音質は最高!演奏内容もバルトークにおける愉悦とアイディア。モーツァルトなど慈眼とも呼びたいぬくもり溢れる表現に心が洗われます。シューベルトの「デュオ・ソナタ」は、アントニエッティとのスタジオ録音が高名ですが、長年コンビを組んだイシュトヴァン・ハイジュとの息があった、それでいて丁々発止の駆け引きも面白い名演です。ヴァイオリンを愛する、または室内楽を愛する人々には垂涎のリリースであります。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
イダ・ヘンデル〜ストックホルム・リサイタル
 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番
 J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 BWV.1004 〜シャコンヌ
 オットー・オルソン:ヴァイオリン・ソナタ第2番
 サン=サーンス:序奏とロンド・カプリツィオーソ
 *アンコール ブラームス:ハンガリー舞曲第5番 / ラヴェル:ハバネラ形式の小品
        リムスキー=コルサコフ:熊蜂の飛行

 イダ・ヘンデル(Vn) クレイグ・シェパード(P)
 録音:1984年12月9日、ベールヴァルドホール、ライヴ、ステレオ|音源提供:スウェーデン放送協会。おそらく初出音源。 『これも衝撃的リリースです。名女流ヴァイオリニスト、イダ・ヘンデルのストックホルム・リサイタル。良好なステレオ録音。彼女とストックホルムとの縁は深く度々訪問し多くの名演を残しております(今後協奏曲ライヴがリリース予定です)。ベートーヴェンのソナタ第7番はスプラフォン盤がモノラルだったので大歓迎のリリース。確固たる自信に満ちた余裕の歩みを見せます。涙なくして聞けない「シャコンヌ」の真摯な魂の叫び。スウェーデンの作曲家オットー・オルソン(1879-1964)は、オルガニストでもありました。作風は極めて後期ロマン派の影響の強いものです。ヘンデルもかなり陶酔的に演奏しており、地元の作曲家だけに拍手を盛んに浴びております。序奏とロンド・カプリチオーソも鮮血が迸るような情熱的な演奏。そして、色っぽい声で自ら曲目紹介するアンコール3曲も魅力あふれる演奏です。「熊蜂の飛行」は音盤初レパートリーですから驚きです伴奏はクレイグ・シェパード(1947〜)で、最近は来日も多く、ソロ・アルバム(ROMEO RECORDSから多数発売になっています)も評価の高い名手です。』
フィルクシュニー + マーカル、セル&ケルン放響〜
 モーツァルト:ピアノ協奏曲集

  〔第15番(*) /第18番(#) 〕
ルドルフ・フィルクシュニー(P)
ズデニェク・マーカル指揮(*)
ジョージ・セル指揮(#) ケルン放送so.(*/#)
 録音:1973年1月19日(*)、1966年6月24日(#)、放送録音、ステレオ(*/#) |初出音源|音源提供: WDR ケルン放送。 フィルクシュニーご息女、ご子息からのメッセージ:『イゴールと私の兄弟にとって、最近ドイツの放送局WDRのアーカイブで発見された父の歴史的録音がディスク化されることは大きな喜びです。ジョージ・セルもズデニェク・マカールも父が長年個人的に親密な結びつきを持っていた偉大な指揮者です。私たち兄弟はセルに会ったことはありませんが、彼の写真と眼鏡が、父が毎日練習していたピアノの後ろの本棚の上段に恭しく置かれていました。この並外れたアーティストに対して父がどのように思っていたかはその口調から明らかでした。どんなに深く尊敬していたか、そして愛していたか、共演の数々からいかに多くのことを学んだか。ここに収録されている1966年の録音は私たちが生まれる前のもので、この演奏を聴くことができたのは私たちにとってまさに思いがけない贈り物といえます。』(ヴェロニク・フィルクシュニー)
 『ズデニェク・マカールと父はプロフェッショナルな同僚でしたが、同時にお互い家族ぐるみで友人でした。父やマカールのような道徳的義務を負った人々が政治的な状況からチェコスロヴァキアからの亡命を余儀なくされたとき、この二人の同胞がともに音楽を演奏するどんな機会も極めて特別な意味を持っていたといえます。子供のころ夏の音楽フェスティヴァルでスイス、ルツェルンに滞在したときにはマカール家族をたびたび訪ねました。思い出してみると、私たち家族は家ではほとんどチェコ語のみを話していましたが、両親が他の人々とチェコ語で会話しているのを聞くのは稀なことでした。従ってマカールの湖畔の家を訪ねたことはとても意味深い鮮明な記憶として心に深く残っています。父はズデニェク・マカールを指揮者として、また音楽家としてこの上なく敬愛し、いつも芸術的な協力ができる場を楽しみにしていました。』(イゴール・フィルクスニー)

今なお忘れがたい名ピアニスト、ルドルフ・フィルクシュニーのモーツァルトの協奏曲が登場!我が国でもモーストリー・モーツァルト音楽祭でも妙技を披露し絶賛されたことがある。これほどの適性を示したモーツァルトながら録音は極めて少なく、2曲とも音盤初レパートリー。ドイツ屈指の実力を誇るケルン放送so. との共演でステレオ録音高音質!第15番は、フィルクシュニーが高く評価したマカールとの共演。奇を衒った箇所が少しもないのに十分に愉悦に富んで、奇数番号の協奏曲らしく楽しく聴けるところがフィルクシュニーらしい美点。そして聞き物は何といっても希代のモーツァルティアン、ジョージ・セルが伴奏する豪華共演の第18番は、かつてEMIから出ていたチャイコフスキーの交響曲第5番の前半プログラム。自身が優れたピアニストであったセルは共演するピアニストに殊に厳しく、アニー・フィッシャーなどには、自ら弾いて見せた上で「こういう風に弾け」と強要し衝突した程。フィルクシュニーとは非常に相性が良く、商業録音こそ遺さなかったものの共演を繰り返している。粒だった美音と清潔そのものの気品溢れるフィルクシュニーの芸風はセルとも相通じるものがある。
初出〜ミケランジェリ〜ベルン・リサイタル 1972.11.2
 D.スカルラッティ:
  ソナタ〔ハ短調 K.11 /イ長調 K.322 〕
 シューマン:謝肉祭/ウィーンの謝肉祭の道化
 グリーグ:抒情小曲集 Op.68 〜ゆりかごの歌」
アルトゥーロ・ベネデッティ・
 ミケランジェリ(P)
 録音:1972年11月2日、ベルン放送スタジオ6、スイス、ライヴ。ステレオ、初出音源。 『このリサイタルはプライヴェート盤も含めて一切ソフト化されたことがありません。技術優秀なスイス放送による蔵出し音源。1972年というミケランジェリ全盛期。超絶技巧と表現力の多様さ、迫力を堪能できるアルバムの登場です。スカルラッティのソナタハ短調K.11並びにソナタイ長調K.322はミケランジェリお得意のレパートリーです。しかしライヴ録音となるとモノラルや劣悪音質の物が多く、この煌くような艶やかさを誇る名演の登場は歓迎されましょう。特に憂いを含んだイ長調には、心打たれること必至。ミケランジェリと言えばシューマンに最も適性を示したピアニストですが、「謝肉祭」、「ウィーンの謝肉祭の道化」が見事な録音で聴くことができるのも朗報です。「謝肉祭」は1973年の東京ライヴが絶美の演奏として広くしられておりますが、その一年前のライヴもかなり印象的。物語性を意識した上で、激情的な心情吐露を見せる独自の表現に感動します。音が消えゆく箇所の美しさはいつもの通り。「ウィーンの謝肉祭の道化」も超絶技巧がこれ見よがしでなく、さりげない程なのがミケランジェリの芸の高貴さの象徴です。さらにミケランジェリを愛する方に捧げたいのが、アンコールであるグリーグの抒情小曲集より「ゆりかごの歌」。当リサイタルの9日後に、チェリビダッケ指揮シュトウットガルト放送響とグリーグの協奏曲を共演した際にもアンコールとして演奏。演奏の見事さは伝説ですが、如何にせんARLECCHINOレーベルはモノラルな上に音が悪すぎました。他2種のスタジオ録音も1940年代の古い演奏ばかりなので、当盤の名演は涙物です。素朴な田舎の情緒よりも官能的ともいえる色気が妖しく光る危険な演奏です。ジャケット写真は初来日時に辻修氏が撮影した貴重な物です。』
SSS-0207-2
(2CD)
廃盤
クレンペラー完全初出ライヴ〜
 ストックホルムのモーツァルト&幻想

  モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲/
         交響曲第40番 ト短調 K.550
  ベルリオーズ:幻想交響曲 Op.14
オットー・クレンペラー指揮
ストックホルムpo.
SSS-0206-2
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(2CD)
1CD価格
クレンペラー完全初出ライヴ〜ケルンのベートーヴェン
 「レオノーレ」序曲第3番/交響曲〔第4番 変ロ長調 Op.60 /第5番 ハ短調 Op.67 「運命」〕
 オットー・クレンペラー指揮ケルン放送so.
 録音:1966年3月17日、ライヴ、ステレオ。初出音源。 『これは驚きのリリースです。戦後ドイツにおける活動を再開したクレンペラーが最も密接に関わったのがケルン放送響です。その演奏の一端は既に様々なレーベルからCD化されており、ベートーヴェンもその例に漏れません。何故か今まで陽の目を見なかった1966年のベートーヴェンが完全初出で登場!嬉しいことに極上ステレオ録音です。クレンペラー特有のヴァイオリン両翼配置の妙味が味わえます。「レオノーレ」序曲第3番は、最も後年の演奏と言え、同年5月のベルリンフィルとのライヴがモノラルだっただけに大歓迎のリリースです。脳天に鉄槌を下すかのような強烈な強音で開始され、荘厳な響きと緊張感がそのまま持続。クレンペラーの格調高い芸風に圧倒されます。第4番もお得意のレパートリーです。クレンペラーのライヴの第4番と言うとバイエルン放送響との1969年の演奏が高名ですが、こちらはそれよりも快活なテンポが採用されております。ヘビーな中にも愉悦を感じさせる快演。第5番「運命」も巨匠が愛奏した名曲中の名曲。良く聴くと弦楽アンサンブルにはかなりの厳格さを強いておきながら、木管を意識的に強調し、浮遊させるクレンペラーの明確な意図が伝わります。第3楽章の如何にもドイツのオケらしいホルンの深刻な音色が心に響きます。必携の名演の登場です。』
エディト・パイネマン 協奏曲名演集〜
 セル、ヴァント、カイルベルト&ケルン放響

 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(*)
 プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(#)
 シベリウス:ヴァイオリン協奏曲(+)
 メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(**)
エディト・パイネマン(Vn)
ジョージ・セル指揮(*)
ギュンター・ヴァント指揮(#)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮(+/**)
ケルン放送so.
 録音:1960年5月6日(**)、1964年6月11日(*)、1967年10月27日(+)、1975年10月10日(#)、すべて ビスマルクザール、モノラル(*/**)、ステレオ(#/+)。音源提供: WDRケルン放送。 『美貌の天才ヴァイオリニストとして高名なパイネマンの未発表ライヴ録音が一気にリリース。その高名に比して録音は極めて少なく、DGへのCD1枚分が全てでしょうか。マニアは、ハウシルトとのレーガーのヴァイオリン協奏曲の録音を知ることでしょう(AMATI)。1937年にドイツ・マインツに生れたパイネマンは、4歳で同地のオケのコンサートマスターであった父からヴァイオリンを学びます。さらにハインツ・スタンシュケ、マックス・ロスタルに師事。19歳でドイツ放送局(ARD)主催のコンクールで第1位となり,国際的な活動を開始します。アメリカでは、特に大指揮者ジョージ・セルがパイネマンを高く評価したために、1965年のクリーヴランド管のニューヨーク・カーネギーホール公演にもソリストとして起用されます。以降、共演した指揮者にはミュンシュ、ショルティ、カラヤン、カイルベルト、クリップス、バルビローリ、クーベリック、テンシュテット、マルティノン等が挙げられます。1972年にはミュンヘンフィル初来日公演にソリストとして参加。1970年代以降は教育活動に重きを置いたために、演奏家として録音に恵まれなかったのかも知れません。それ故に協奏曲の名曲、名演を集めた当企画は長年の渇きを癒すリリースと申せましょう。芸風は典雅にして高潔。無駄な効果を狙った演奏とは無縁です。ベートーヴェンの伴奏は、パイネマンが「あらゆるジャンルの音楽に精通する真の天才」と称賛する巨匠セル。上記のカーネギーホール公演に先立つ意欲溢れる超名演。正に崇高、高貴な音楽を両者が展開します。プロコフィエフの第1番は、何とヴァント共演。現代音楽にも鋭く切り込むヴァントならではの見事な伴奏との会話が聞きもの。カイルベルトとも縁が深かったようで、「プフィッツナーの協奏曲を勉強しろ」との指示に従い、パイネマンは、ベルリンフィル・デビューをこの曲で飾りました。当盤では、想像もつかないカイルベルトのシベリウスが聴けます。豪快で堂々とした見事な名演。メンデルスゾーンもドイツのリリシズムの極みといった感のある、感傷が懐かしくも感動的です。』
プレートル生前許諾〜ブルックナー
 交響曲第4番「ロマンティック」
ジョルジュ・プレートル指揮
シュトゥットガルト放送so.
 録音:1995年9月22日-23日、ブルックナーハウス、リンツ、リンツ国際ブルックナーフェスティヴァル1995、ディジタル、ライヴ/ (C) 2017 。音源提供: ORF LINZ 。初出音源&プレートルの初音盤レパートリー。 『新年早々に惜しくも没した巨匠プレートルが生前に許諾を出していた「ロマンティック」がついに発売。しかもブルックナーの眠るリンツにシュトウットガルト放送響を率いて客演したライヴです。言わずと知れたシュトウットガルト放送響はチェリビダッケに薫陶を受けたブルックナー・オーケストラ。録音はブルックナーサウンドを知り尽くしたORFリンツが行いました。万全の音質も非常に良好です。颯爽としたテンポが採用され、瑞々しい歌心、打楽器の追加も目立つアグレッシヴな演奏です。存命ならばこの3月にミラノ・スカラ・フィルとコンサートが予定されておりましたプレートルを追悼します。WEITBLICKは他社に先駆けてプレートルの最新の凄演を世に問うてきましたが、ブルックナーも第8番(SSS-0096-2)、第7番(SSS-0102-2)に続きこれで3曲目。第5番はシャルク改訂版で演奏していることが確認されております。今後もこの超個性的な至芸を発掘して参ります。』
クレンペラー、スイス放送音源集 1951, 1960
 クレンペラー(自作自演):フガート
 シェーンベルク:室内交響曲第1番
 ベートーヴェン:交響曲第8番
 モーツァルト:セレナータ・ノットゥルナ(#)
オットー・クレンペラー指揮
ベロミュンスター放送o.
〔チューリヒ・スタジオo.〕
 録音:1960年4月24日(#以外)、1951年1月28日(#)、モノラル、放送用セッション。ソース:スイス放送。 『スイス放送からお宝発掘!クレンペラーのスイス録音。クレンペラー自作自演による、フガートは19世紀後半の退廃的ロマンを湛えた佳曲。そして重量級のシェーンベルク:室内交響曲第1番が聞きもの。音色の不健康さや厳しいリズム感は巨匠ならではです。この曲の最高峰の演奏と言っても過言ではない程です。さらにお得意のベートーヴェン:交響曲第8番、モーツァルトのセレナータ・ノットゥルナも楔を打ち込む様な強烈な演奏です。音質も時代としては良好中の良好。 なお、オーケストラ名の表記について、オーケストラの歴史を見ますと、1947年にチューリヒにおいてベロミュンスター放送管弦楽団として創設、1970年にバーゼルに移転してバーゼル放送響と改組、1997年にはバーゼル交響楽団と合併し現在に至っております。クレンペラーの録音当時はベロミュンスター放送管弦楽団のみならず、チューリヒ・スタジオ管の表記も見受けられますが、今回のリリース表記は、バーゼル響とも相談の上に全てベロミュンスター放送管弦楽団に統一しております。』
追悼 プレートル&シュトゥットガルト放響
 チャイコフスキー:交響曲第4番
 ビゼー:交響曲第1番
ジョルジュ・プレートル指揮
シュトゥットガルト放送so.
 録音:1991年6月28日、リーダーハレ。チャイ4はプレートルの秘蔵レパートリー。BPOとの数少ない共演でも勝負演目として取り上げた物。巨匠の派手な芸風にぴったり、そして泣けてくるほどの切ない歌、フェザータッチの繊細な弦楽器の刻みは色気たっぷり。もちろんフィナーレは豪快な爆発で締め括られる。ビゼーの交響曲も度々コンサートで取上げる愛奏曲。こういう場合は徹頭徹尾チャーミングな演奏を繰り広げるのもプレートルならでは、シュトゥットガルト放送so. も多彩な音色のパレットで魅了される。
追悼 プレートル&シュトゥットガルト放響
 ドヴォルジャーク:交響曲第9番「新世界より」(*)
 マーラー:交響詩「葬礼」(#)
ジョルジュ・プレートル指揮
シュトゥットガルト放送so.
 録音:1996年10月14日-28日(*)、1998年6月28日(#)、リーダーハレ。 「新世界」は創設当初のパリ管ともスタジオ録音があり、十八番レパートリー。やはり、円熟味と凄みも増した90年以降のプレートルならではの自在なアプローチ、むしろやりたい放題の潔さに感動。気合を入れる掛け声、足踏みに臨場感もバッチリ収録。熱狂的な拍手もむべなるかな。マーラー演奏にも一家言のある巨匠だが、「復活」のスケッチともいえる交響詩「葬礼」を度々コンサートの第一曲目に取上げる。マーラー演奏にも定評あるシュトゥットガルト放送so. を駆使し雄叫びのようなマーラーを展開している。
SSS-0197-2
廃盤
追悼 プレートル&シュトゥットガルト放響〜
 ブラームス
:交響曲第1番(*) /
       ハンガリー舞曲集 より Nos.1, 3-5 (#)
ジョルジュ・プレートル指揮
シュトゥットガルト放送so.
カイルベルト・ステレオ・ライヴ 1966-67
 ベートーヴェン:
  交響曲第6番「田園」(*) /「コリオラン」序曲(#)
 ブラームス:交響曲第1番(+)
 マーラー:交響曲第4番(#)
 ドヴォルジャーク:交響曲第9番「新世界より」
 モーツァルト:交響曲第33番
アグネス・ギーベル(S)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮
ケルン放送so.
 録音:1967年10月27日(*)、1967年12月8日(#)、1967年3月31日(+)、1966年4月15日(無印)、ケルン放送ビスマルクザール、ステレオ。 『○ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、「コリオラン」序曲 「田園」をカイルベルトは、ハンブルク・フィルとスタジオ録音している。中々評判の良い演奏である。が、今回の演奏は、それよりもずっと録音状態が良い。もちろん、ケルン放送交響楽団の妙技もハンブルク・フィルを上回る。「嵐」以降の迫力も凄まじい。カイルベルトは、フルトヴェングラーのような天才的なアッチェルランドを見せる人ではない。 ○ブラームス:交響曲第1番 ベルリン・フィルとのスタジオ録音は残念ながらモノラル録音であった。当盤のケルン放送響とのライヴは、やはりオーケストラの機能性が非常に高い。第3楽章から第4楽章へは、アタッカで奏される。よほど指揮者とオーケストラの意思疎通が良かったに違いない。奔流のようなフィナーレは、筋骨隆々のフォルムと相俟って、圧倒的である。 ○マーラー:交響曲第4番 独唱:アグネス・ギーベル カイルベルトにとっての初出レパートリーである。カイルベルトとマーラーは縁が薄いようだが、決してそうではない。マーラー生誕100年を祝う1960年のウィーン芸術週間には、ウィーン交響楽団と第8番「一千人の交響曲」を演奏している。そのほか、第1番、「大地の歌」の放送録音もCD化されている。音色も普段の重厚なカイルベルトと違って軽妙で明るい。さすがに第3楽章では、18分も掛けて情緒纏綿に噎せ返るほどに甘美に歌っている。非常に音質が良く、「カイルベルトのマーラー」の代表盤となった。 ○ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界」、モーツァルト:交響曲第33番 カイルベルトは「新世界」交響曲を好んで指揮した。バンベルク響とのスタジオ録音も名高い演奏である。ドヴォルザークは正にブラームスと肩を並べる、構成的な作曲家であることをカイルベルトの演奏は我々に教えてくれる。モーツァルトの交響曲第33番は、現在では全く聴くことのできないスタイルの演奏である。カイルベルトは徹底的にリズムを厳格に刻んで、まるでベートーヴェンのようにモーツァルトを聴かせる。この頑なさ、これもカイルベルトの魅力である。』『英語・日本語・ドイツ語によるライナーノート付。舞台写真の大家、故丹野章氏による来日時の写真を使用。』
一期一会の共演!〜シャルル・ミュンシュ&ケルン放響
 1966.9.30、ステレオ&初出

 フォーレ:「ペレアスとメリザンド」組曲
 リスト:ピアノ協奏曲第1番(*)
 ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(#)
 ルーセル:交響曲第3番
ニコル・アンリオ・
 シュヴァイツァー(P;*)
ハンス・ユルゲン・
 メーリング(Fl;#)
シャルル・ミュンシュ指揮
ケルン放送so.
 録音:1966年9月30日、ビスマルク・ザール、ケルン放送。ステレオ、初出音源。 『ミュンシュ+ケルン放送響との一期一会の共演!』『完全初出!!』『高音質ステレオ録音!フルートが凄い!』『1966年の9月、即ち1966/1967シーズンの開始の月、ミュンシュは多忙を極めていた。9月上旬には、フランス国立放送響を率いて、ブザンソン国際音楽祭に参加している。さらに各地へ客演。9月30日には、ケルン放送響に初客演(そして最後の)し、当CDに収録のコンサートを行う。10月にはフランス国立放送響を率いて日本ツアーを行っている。正にミュンシュの音楽的壮時と言える時期だった。当CDにおけるケルン放送響との演奏は、ミュンシュとドイツのオーケストラによる初のディスクとなる!良好なステレオ録音で現存していたことが有難い。ケルン放送響は現在に至るまで、ドイツで屈指の優秀な放送オーケストラだ。プログラムはミュンシュお馴染みの曲ばかりだが、「フルーティスト」を意識的に重用した曲目となっている。そのフルーティストは、ハンス・ユルゲン・メーリング。ケルン放送響の首席フルートを長く務めた名手である。ジャケットには辻修氏による来日時の写真を使用!』(ライナー・ノートより)『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
ミケランジェリ・ベルン・リサイタル
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第12番
 ドビュッシー:
  映像第2集〜葉ずえを渡る鐘の音(*) /
  映像第1集より〔ラモー賛(*) /水の反映〕
 シューベルト:ピアノ・ソナタ イ短調 D.537
アルトゥーロ・ベネデッティ・
 ミケランジェリ(P)
 録音:1975年3月18日、ベルン放送スタジオ、ライヴ、ステレオ。(*)を除き初CD化、全曲マスターからの初発売。 『1975年3月18日に行われたこのコンサートは実はかつて、幾つかの形でプライヴェート盤が出ていた。ベートーヴェン作品とシューベルト作品は、DISCOCORPレーベル、ROCOCOレーベルからLPが出ていた。ドビュッシーの「映像」第一集から「ラモー賛」と「映像」第2集から「葉ずえを渡る鐘の音」の2曲がTHEATREレーベルからCDが出ていた。いずれも非正規な発売であり、音質も劣悪であった。』『●ベートーヴェン:当ベルン・リサイタルでは、まるでミケランジェリ(ABM)が目の前で演奏してくれるかのような臨場感が心地良い。粒だった音色の美しさが素晴しい。滑らかな手の動きが目に見えるようだ。ABMの音色は極めて明るいものである。時としてベートーヴェン作品の演奏では、その明るさがベートーヴェンの持つ陰鬱さを減じているという非難もあった。ところがこの演奏を聴けば、明るい音色で暗を創造しているではないか。やはり、聴衆を前にした芸術家の生み出す演奏こそが真の芸術家の姿、真の演奏と言うべきであろう。』『●ドビュッシー:ABMの技術の特徴に音の消え方がある。まるで人が息を引き取る瞬間に居合わせるようだ。その箇所がたまらなく美しい。そしてその様子をじっと見守る聴衆の姿まで目に浮かぶようである。』『●シューベルト:ABMのDGへのスタジオ録音のレコードには、わざわざ60年以上前のピアノで演奏しているという注意書がある。ピアノに殊の外やかましかったABMのことだから、不本意であるという意味での記述ではないであろう。さて、このベルン・リサイタルのピアノはどんな音であろうか?それは聴いてのお楽しみとしておこう。』(ライナーノートより)『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
チェリビダッケ&スウェーデン放響 + ニルソン〜ワーグナー&ヴェルディ
 ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」〜前奏曲と愛の死(*) /
       ヴェーゼンドンク歌曲集より〔天使/悩み/夢〕(*)
 ヴェルディ:歌劇「マクベス」第2幕〜光は萎えて(#) /
       歌劇「仮面舞踏会」第2幕〜ここがかの恐ろしい場所(#) /
       歌劇「運命の力」第4幕〜神よ平和を与え給え(#)
 *ボーナス・トラック:リハーサル風景
  ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」〜前奏曲と愛の死
 ビルギット・ニルソン(S) セルジュ・チェリビダッケ指揮スウェーデン放送so.
 録音:1967年9月8日(*)、1968年9月1日(#)、すべて ストックホルム・コンサートホール、ステレオ、ライヴ。 『「ヴェーゼンドンクの歌」では、曲の性格ゆえ「トリスタン」以上に室内楽的な、細やかな響きへの配慮がうかがえる。見通しがよい響きは、どこかラヴェルのようでもある。特に「夢」が絶品だ。夜の暗闇の中で若いふたりが抱き合う「トリスタン」第2幕を先取りした音楽だが、彼の棒によってまさに夜の空気が震えるような、色がにじむような繊細な音楽が生み出されたことが、この録音からはよくわかる。』(ライナーノートより抜粋) 『21世紀になってチェリビダッケによるオペラが聴けるとは!決して経験がない訳ではないにも関わらず、やはり歌劇場とは疎遠だった巨匠チェリビダッケ。しかしコンサートではしばしばオペラの序曲などを好んで指揮しました。今回のアルバムは、圧倒的な声量を誇ったビルギット・ニルソンと正にがっぷり四つの名演集。ワーグナー作品についてはかつてGALAという海賊盤レーベルから出ていましたが、劣悪なモノラル音源で当盤とは比較になりません。特徴的な精緻を極めた弱音。繊細でいながら大きなうねりも生み出す巧みなオーケストラ・ドライヴ。熱い血を持つチェリビダッケが展開する官能美に余裕たっぷりのニルソンの堂々たる歌唱には深い感動とともに痺れる他ありません。この翌年の再共演が、イタリア・オペラのアリア3曲です。チェリビダッケの音楽づくりはいつもの通り、ヴェルディも熟練の管弦楽作家として描き尽くします。しかしニルソンの顔を潰すような場面はなく、正に、龍虎相打つと言ったお互いの尊敬が音楽に込められております。ライナーノートは許光俊氏です。』
チェリビダッケ&スウェーデン放響〜シューベルト:
 交響曲集
〔第9番「グレイト」(*) /第3番(#) 〕
セルジュ・チェリビダッケ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1969年1月26日(*)、1967年12月1日(#)、共にライヴ。『音の始まりが柔らかで美しい故に、テンポはミュンヘン時代に比べて常識的(46分)ながら、全体にゆったりした印象を受ける。ティンパニのアタックも鋭角的ではない。これは意図的である。第2楽章が、まるでラヴェルのように鳴り響く。第3楽章ではメロディの繰返しの執拗さをさらに強調している感がある。第4楽章では、熱血漢チェリビダッケの顔が飛び出す。柔らかに美しくを目標にしていても、どうしても血の気が騒ぐのだろう。怒鳴り声、足音とともに音色のエッジが立ってくる。こういう箇所がチェリビダッケは面白い。血の通った芸術家なのである。第3番について、チェリビダッケは第1楽章から目いっぱい遅いテンポを採用し、「ザ・グレート」同様のエッジの柔らかい演奏を繰り広げている。こんな演奏は聴いたことがない。第4楽章フィナーレのディミヌエンドなど、全く「ザ・グレート」のフィナーレと同様の解釈をしている。相似を意識していたのではないか?』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
チェリビダッケ&スウェーデン放響〜モーツァルト
 交響曲集〔第36番「リンツ」(*) /第38番「プラハ」〕/
 6つのレントラー風舞曲
セルジュ・チェリビダッケ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1971年3月21日(*)、1970年2月8日(無印)、すべてライヴ。『CDで聴けるチェリビダッケのモーツァルトの交響曲と言うのは極めて少ない。交響曲第36番「リンツ」は、初の公式発売のレパートリーである。この曲をチェリビダッケはミュンヘン時代にも演奏しているからレパートリーから外していた訳ではない。音の出だしが何時もながら独特だ。ラヴェルやドビュッシーのようだ。第38番「プラハ」はモーツァルトが古典様式の交響曲に回帰したと言われる三楽章性の交響曲だが、この演奏は晩年のチェリビダッケが獲得した荘重な演奏様式を早くも獲得している。実にロマンティックな演奏と呼ぶほかない。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
何とマルツィのドイツにおける放送録音 1957.5.18、初出!
 シューベルト:華麗なるロンド D.895
 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ集〔第5番「春」/第8番〕
  ヨハンナ・マルツィ(Vn) ジャン・アントニエッティ(P)
 録音:1957年5月18日、ケルン放送第2ホール、放送用セッション、モノラル。初出音源。ソース:ケルン放送局。『これこそ聴きたかったレパートリー! マルツィの「スプリング・ソナタ」!』『 WEITBLICK 室内楽の至宝シリーズ始動!』『誰がこの日を予想できたことでしょう。録音が少ない幻の名女流ヨアンナ・マルツィの初出レパートリー、ベートーヴェンの「スプリング・ソナタ」の登場です。マルツィとベートーヴェンの相性の良さは広く知られるところですが、一般的に聞かれるのは第8番(DGの超高額中古LPでも有名)と「クロイツェル」だけでしょうか。「スプリング・ソナタ」は弦楽器愛好家が熱望したレパートリーであり、この愉悦に満ちた、そして繊細な抒情には抗しがたい魅力がございます。』『シューベルトの「華麗なるロンド」は18番、ベートーヴェンの第8番のソナタもまるで人の声のような痛切な名演。伴奏のアントニエッティとも見事なコンビネーションを見せます。ケルン放送による放送用スタジオ録音で音質も万全。これは必携盤です。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
スヴェトラーノフ&スウェーデン放響〜
 リヒャルト・シュトラウス:傑作集

 交響詩「英雄の生涯」(*) /アルプス交響曲(#)
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1998年3月1日(*) 、1993年9月18日(#) 、共に ベールヴァルド・ホール。『正にスヴェトラV.S.シュトラウスという感じの肉弾戦!スヴェトラーノフはシュトラウスを好み、メロディアにも複数の録音があります。交響曲の破壊者と呼び得るシュトラウス独特の異形の様式、テーマの突飛さ、意表を突く楽器の活用などは、フル編成のオーケストラを意のままに操る専制君主、スヴェトラーノフにとっては食指の動く作品群だったと言えるでしょう。しかし音質の良い演奏に恵まれず、その解釈を堪能するには隔靴掻痒の感がありました。ついに登場した初出レパートリー「英雄の生涯」は、じっくり感の凄い遅めのテンポによる巨像の歩みのような個性的な名演。音色のパレットも豊富で、シュトラウス解釈者としての並々ならぬ実力を誇ります。スヴェトラーノフの「アルペン」はロシア国立とのメロディア盤はLPのみ。ハーグフィルとのライヴはオケが非力なため優秀なスウェーデン放送響とのライヴは歓迎すべきでしょう。物語性、神秘性の創出。類まれなるロマンティスト、スヴェトラーノフの超名演です。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
スヴェトラーノフ&スウェーデン放響〜ベートーヴェン:傑作集
 「レオノーレ」序曲第3番[1989年9月15日]/
 交響曲集〔第3番「英雄」[1988年9月16日]/第5番「運命」[1989年9月18日]/
      第6番「田園」[1991年1月5日](*) 〕
  エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送so.
 録音:[内]、ベールヴァルド・ホール(*以外)、ヴェクスホ・コンサート・ホール(*) 。『ムラヴィンスキーの作り上げた痩身でスタイリッシュなベートーヴェンと対極にあるスヴェトラーノフの貫禄溢れるベートーヴェン。じっくりとやや遅めのテンポを採用し、風格豊か。巨匠のドイツ音楽への畏敬を強く感じるヒロイックな名演揃いです。「レオノーレ」序曲第3番は、同年の3月にベルリンフィル初登場でも取上げた自信のレパートリー。大交響曲を聴くようなスケール極大な表現に圧倒されます。「英雄」、「運命」はロシア国立とのメロディア盤が1981年の演奏でしたから、さらなる高みに邁進するスヴェトラーノフの90年代を予期させる立派な演奏。単なる爆演に終らぬ当演奏の落着きと熟成感が顕著です。「田園」は、1999年にもN響と披露し慈愛に満ちた表現で評判でした。91年の当演奏はまだ晩年から遠く、馬力を感じる名演。いずれも音質優秀、オケも優秀。必携の名盤です。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
カール・ベーム&ケルン放送so.、ステレオ・ライヴ録音集 1976-1980
 ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 Op.92 (*)
 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K.219「トルコ風」(#)
 ドヴォルジャーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95「新世界より」(+)
 ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 Op.68 / モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 K.201
  クリスティアン・アルテンブルガー(Vn;#) カール・ベーム指揮ケルン放送so.
 録音:1976年9月21日(無印)、1978年6月23日(*/#)、ヴッパータル市立劇場(+以外) /1980年11月9日、トーンハレ、デュッセルドルフ(+)、全てステレオ、ライヴ。
 『ベームはカラヤンと同等の地位にある20世紀の指揮者の中の覇者であるが、カラヤンと最も異なる点は、カラヤンがベルリンフィルとウィーンフィルの指揮台にのみ活動を限定したのに対し、ベームは最晩年まで世界中の多岐にわたるオーケストラを指揮し続けたことである。ドイツ国内の放送オーケストラ(そのいずれもが優秀であることは言うまでもない)に繰返し客演したベームの演奏は、最も密接な関係を保つと言われたウィーンフィルとの演奏と全く異なる表現を取ることもあり、興味が尽きない。ベートーヴェンの交響曲第7番を例に取ってみよう。この曲などベームは生涯で何度指揮したかわからない程であろう。当ケルン盤(1978年6月23日ライヴ)では、隅々まで血が通っている。正しく人間が奏でる音楽である。そして何よりも、オーケストラの反応がベームに対して実に素直なのである。聴衆を前にしたベームの高揚、推進力、気迫。ゴツゴツとした無骨さ。そうした長所だけでなく、時折見せる微かな造形の乱れや迷いといったものも全て白日のもとにさらされるような演奏である。カプリングのモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」も、艶やかな音色で知られるアルテンブルガーのソロに、モーツァルトの泰斗、ベームの伴奏という贅沢な一品で、モーツァルトの天才を聴き手に余すところなく伝えている。ドヴォルザークの交響曲第9番は、ベームが指揮した唯一のドヴォルザークの交響曲である。しかし、この曲をベームは度々愛奏した。やはりウィーンフィルと1978年にスタジオ録音しているが何だか元気のない演奏である。当CDの演奏は、1980年の11月である。実にベームの死の9か月前である。しかし、そのエネルギッシュさに聴き手は圧倒されるだろう。唸るような低弦、ティンパニの強打、金管の意識的な強調など、聴衆を意識してエンターテインメント志向すら感じるではないか。フィナーレのテンポアップも凄絶なもので鳥肌をもよおす。これはデュッセルドルフにオーケストラを率いての客演で、ここのトーンハレも名ホールとして名高い。ブラームスの第1交響曲もベームが生涯愛した曲である。冒頭から晩年のベームらしい威容を誇り、遠くの山から聞こえるこだまのようなティンパニの静謐な音色も心打たれる。ベームはフルトヴェングラーのように、これ見よがしなアッチェルランドは禁忌にしている指揮者である。しかし、より繊細に自然に行われるテンポアップ、テンポダウンの妙にこの指揮者の腕というものがある。その腕に実演ならではの活力の注入があり、まるで力瘤が浮き上がるような逞しさを兼ね備えるのである。モーツァルトの交響曲第29番もベームが偏愛した曲である。綺麗ごとで終わらない現実的というか、手で触れるリアルな鑑賞物のような逞しさがある。この2曲が演奏されたのも前述のヴッパータルの市立劇場(1976年9月21日の演奏)である。温かみのある響きが心地よいのも全く同じである。』(ライナー・ノートより) 『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
SSS-0175-2
廃盤
チェリビダッケ&スウェーデン放響〜ショスタコーヴィチ:交響曲集
 〔第9番 変ホ長調 Op.70 (*) /第5番 ニ短調 Op.47「革命」(#) 〕
  セルジュ・チェリビダッケ指揮スウェーデン放送so.
SSS-0174-2
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(2CD)
1CD価格
朝比奈&ベルリン放響〜R.シュトラウス生誕100年記念 1964.3.4-5
 モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 K.482 (*)
 リヒャルト・シュトラウス:アルプス交響曲
  リリアン・カリール(P;*) 朝比奈隆指揮
  (西)ベルリン放送so.〔現・ベルリン・ドイツso.〕
 録音:1964年3月4日-5日、SFB ザール、西ベルリン、ステレオ、セッション(1964年3月6日のR.シュトラウス生誕100年記念演奏会に先立って収録)。『この演奏では私のクラリネットの師である Heinrich Geuser がトップを吹いておりますがリハーサル時にソロの音量に ついて父と意見がぶつかり、ちょっとした小競り合いがあったと聞いております。結果として、ゴイザーの主張通りの朗々たる音色がここに聴くことができます。この Geuser の音色が私をベルリン留学へ誘ったと思うと、このCDは感慨深いものがあります。』(朝比奈千足/指揮者、クラリネット奏者)
 『朝比奈隆が度々自ら話題にした、1964年リヒャルト・シュトラウス生誕100周年記念にドイツで演奏した「アルプス交響曲」。ドイツの放送局がシュトラウス作品を特集して演奏・録音した一環で、「家庭交響曲」はカール・ベームが担当したという正に歴史的に重要なコンサート。』『ベルリン放送響に各地の放送オケ・メンバーがゲストで加わりました。現存する当録音は、3月6日の記念演奏会に先立つ、3月4,5日のスタジオ・セッション録音であることがその後の調査で判りました。万全の体制で行われたステレオ録音。この録音はドイツ各地の放送局にコピーされ、繰り返し放送されました。ケルン放送にも現存します。当 CD は無論オリジナルからの CD 化。さらに御子息千足氏からもコメントをいただきました。ちなみにゴイザー(GEUSER)氏はライスターの師匠でもあります。期待がますます高まります。』『この時、朝比奈はまだ56歳という壮年期。もちろん「アルプス交響曲」はこの時が初振り!「やってみたらそんなに難しい曲じゃない」ということで大のお気に入りとなり、数年後には自らの還暦記念で大フィル、京都市響との合同演奏を行います。その後も80歳記念、大フィル創立50年でも演奏します。特筆すべきは、1990年の北ドイツ放送響客演時にもこれを取上げて、現地で聴衆からの熱狂の拍手を浴びております(EMI盤は、これをカット。制作者の無関心が偲ばれます)。1991年に日本で合同オーケストラ「オール・ジャパン・シンフォニー・オーケストラ」を指揮した際は、体調の不全を押しての凄絶な演奏を聴かせ、客席にいたシカゴ響総裁ヘンリー・フォーゲルを感激させ、1996年のシカゴ響出演に繋がります。いわばブルックナー以上の勝負レパートリーであったのです。後年よりテンポは速めですが、頂上から降りてからの威厳と風格は既に確立しており、「日没」、「終結」、「夜」の心に沁みわたる演奏には感動を禁じ得ません。前半プロのモーツァルト:ピアノ協奏曲第22番も珍しいレパートリー。アメリカの名女流リリアン・カリール(パメラ・フランクの母、クロード・フランクの妻)と紡ぐ、陰鬱、深深とした抒情がこれまたたまりません。演奏と近い時期の若い頃の写真が見つかりジャケ写に使用しています。良好なステレオ録音。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
ブルーノ・ワルター・イン・ストックホルム 1950
 モーツァルト:交響曲第39番/アイネ・クライネ・ナハトムジーク
 シューベルト:交響曲第9番「グレイト」 / ブラームス:ドイツ・レクイエム(#)
 ブルーノ・ワルター指揮スウェーデン放送so.(無印)、
 ストックホルムpo.(#)、王立フィルハーモニーcho.(#)
 ケルスティン・リンドベリ・トールリンド(S;#) ジョエル・ベルグルント(Br;#)
 録音:1950年9月8日(無印)、1950年9月13日(#)、すべてライヴ、モノラル。スウェーデン放送のオリジナル・ソースからの初復刻! (#)は初CD化。なお、従来の資料(既出ディスク表記も含む)&当商品当初のアナウンスでは、8日の演奏会のオケもストックホルム・フィルであるとされていたが、実際には上記である事が判明したとの事。8日の既出CD: AS DISC, BIS, TAHRA 等。
 『1950年の晩夏から秋にかけて、ワルターの身はヨーロッパにあった。8月にはザルツブルク音楽祭に出演し、ウィーン・フィルのオーケストラ・コンサートを二日間指揮している。この中からマーラーの交響曲第4番とベートーヴェンの「エグモント」序曲がCD化されて聴くことができる。さらに9月4日には、フランクフルト博物館の管弦楽団(これはフランクフルト歌劇場のオーケストラの別名)を指揮し、ここではマーラーの交響曲第4番を取上げている。これは第二次大戦後初のドイツにおける演奏となった。この録音も現存する。そしてストックホルムに移動、8日から14日にかけての演奏会。さらに24,25日は生れ故郷のベルリンを訪れてベルリン・フィルに出演。これがベルリン・フィルとの再会にして最後の共演となった。10月2日にはかつて歌劇場総監督の地位にあった、バイエルン国立歌劇場のオーケストラ・コンサートを指揮し、シューベルトの「未完成」とマーラーの第1交響曲を指揮している。この時期にワルターは恐らくもっと多くの土地を訪れ、オーケストラに客演している筈である。70歳の半ばでこの長期に渡る過密スケジュールをこなせたのは驚異的だ。気力の充実もさることながら、心臓の病に冒される前という体力的な好条件も揃っていたから可能だったとも言えよう。モーツァルトの交響曲第39番は、予想通り響きがとても柔らかい。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」も瑞々しい感性は、古くから聞かれているSP録音と変わることなく、老け込んだ気配もない。ライヴ録音故に快活さが当然のごとく加味されている。演奏会のメインの曲目が「ザ・グレート」である。これは雄大なスケールを持った演奏であり、細かく刻むリズムの楽しさは抒情的表現の泰斗であるワルターらしい快演である。この曲のライヴ録音は他にNBC響とのものしか聴けないので、今回のリリースは歓迎されるだろう。ワルターはブラームスに関してもエキスパートであったが、「ドイツ語によるレクイエム」となると、シリアスな表現が徹底している。ストックホルム・フィルの「ドイツ・レクイエム」というと、このワルターの演奏と近い時期に行われた、フルトヴェングラーの1948年の演奏が有名だ。合唱団も共通している。この合唱団が優秀なのは周知の事実である。ワルターの演奏もフルトヴェングラーに負けず劣らずの劇的な演奏である。「ドイツ・レクイエム」の第2曲目、「肉はみな、草のごとく」の結構派手で動的なアプローチの迫力、第6曲目「われらここには、とこしえの地なくして」はヒロイックでもある。第7曲目「幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは」の終結はさすがに静かに瞼が閉じるような静謐さである。極めて起伏に富んだ演奏であり、歌劇場で育った芸術家ワルターならではのドラマティックな名演と言えるだろう。』(ライナーノートより)『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
チェリビダッケ&スウェーデン放響〜ラヴェル:管弦楽名演集
 「マ・メール・ロワ」組曲[1969年9月10日、ナッカ・アウラ、ストックホルム]/
 高雅で感傷的なワルツ
  〜第2曲「十分にゆっくりと」[1969年6月29日、スポーツホール、ヴァールベリ]/
 鏡〜道化師の朝の歌[1967年12月1日、コンサートホール、エスキルストゥーナ]/
 「ダフニスとクロエ」第2組曲[1970年11月8日、コンサートホール、ストックホルム]/
 スペイン狂詩曲[1969年3月7日、小学校ホール、エスキルストゥーナ]/
 クープランの墓[1967年9月6日、ナッカ・アウラ、ストックホルム]/
 ラ・ヴァルス[1969年1月26日、コンサートホール、ストックホルム]
  セルジュ・チェリビダッケ指揮スウェーデン放送so.
 録音:[内]、すべてライヴ、ステレオ。『精緻な彫琢と退廃的なロマン……チェリビダッケ+スウェーデンのラヴェル名演集』『続々リリースのチェリビダッケの知られざる時代、スウェーデン時代の充実を今に伝えるライヴ録音集。今度の新譜は、ラヴェル名演集です。昨年フランス国立放送響時代の名演も発売されましたが、スウェーデンはそれよりも前なので、フェンシングの選手を思わせると聴衆を感動の坩堝にたたきこんだ、華麗で運動神経抜群なオーケストラ・ドライヴを堪能できます。驚異の弱音、美音を駆使した、「マ・メール・ロワ」、「クープランの墓」。結構俗っぽい魅力も兼ね備えた「ダフニス」、「ラ・ヴァルス」も必聴の名演です。』『セルジュ・イオアン・チェレビダーキ氏認可』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
チェリビダッケ&スウェーデン放響〜
 チャイコフスキー:交響曲集
〔第4番/第5番(#) 〕
セルジュ・チェリビダッケ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1970年9月13日、サンドスタ音楽堂(無印)、1968年11月16日、エシュクリシュタナ小学校講堂(#)、共にライヴ。『1960年代から1970年代のチェリビダッケ+スウェーデン放送響のライヴ名演集が正規リリース。大きな反響を呼んだベートーヴェン、「幻想」に続く新譜は、お得意のチャイコフスキー、それも第4番と第5番という強烈な演奏です。チェリビダッケはチャイコフスキーを愛し、生涯を通じて演奏を繰り返しました。壮絶な感情注入と、整然とした音色とアンサンブルの両立という一見二律背反する理想を見事に具現しています。演奏内容は、既に晩年の問答無用の遅いテンポに傾斜する部分が垣間見られます。しかし壮年期らしい豪快なドライヴも随所に併せ持っており、魅力豊かな名演ばかりです。スウェーデン放送響のひんやりとした音色もチャイコフスキーに相応しい高潔さと申せましょう。どんな時代でも「極めていた」巨匠ならではの完成度です。いずれの曲もミュンヘンフィルとの晩年の演奏しか正規盤はありませんから、これは必聴です。スウェーデン放送協会音源提供の良好なステレオ録音。』『セルジュ・イオアン・チェレビダーキ氏認可』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
チェリビダッケ&スウェーデン放響
 ベルリオーズ:幻想交響曲(*)
 デュカ:魔法使いの弟子(#)
セルジュ・チェリビダッケ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1969年11月23日、ストックホルム・コンサート・ホール(*) /1968年9月7日、ヴェステラス・コンサート・ホール(#)、共にライヴ、ステレオ。『※1960年代から1970年代のチェリビダッケ+スウェーデン放送響のライヴ名演集が正規リリース。大きな反響を呼んだベートーヴェンに続く新譜は、何と「幻想」と「魔法使いの弟子」というフランス音楽集。「幻想」は、トリノRAI響とのモノラル録音くらいしか知られておらず、オーケストラの能力には非常に難点がありましたし、最後の手兵ミュンヘン・フィルとは観客の膝上録音しか残されていない模様なので、今後は当演奏がチェリビダッケの「幻想」のスタンダードとなることでしょう。この演奏を聴けばチェリビダッケは、「世俗を超越した芸術家」でも「正しい音楽を教えてくれる教師」でもなく、かなり山っ気のある天才芸術家という側面もあることが理解できるはずです。それだけ、お得意の「聴こえないほどの弱音」、「耳をつんざく大音響」を駆使して、かなり派手で効果を狙った仕掛けがたくさんあります。そして説得力は無類、オーケストラが表現可能な極限を示しております。ここが凡百の指揮者と異なるところです。カプリングの「魔法使いの弟子」も泣かせます。如何にもチェリ向けの繊細さと爆発が感じられる名演です。スウェーデン放送協会音源提供の良好なステレオ録音。』『※セルジュ・イオアン・チェレビダーキ氏認可』『※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
スヴェトラーノフ&スウェーデン放響〜モーツァルト:交響曲集
 〔第40番 ト短調 K.550 (*) /第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」(#) 〕
 エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送so.
 録音:1988年9月10日、ステレオ(*)、1993年9月18日、ディジタル(#)、共に ベールヴァルド・ホール、ライヴ。巨匠スヴェトラーノフのモーツァルト!演奏スタイルがミニマムなことがトレンドの昨今、それに真っ向から逆らうような演奏と言える。芸術家、音楽家としてモーツァルトを嫌いという人はいないだろうが、スヴェトラーノフもまた類希なモーツァルティアンであったことは、NHKso.との共演でも第34番を大編成で演奏し、聴衆の度肝を抜いたことからも明らかだろう。しかし録音には恵まれておらず、第40番の貧弱なモノラル録音が聴けるだけだった。そこに登場するのが美しい音色、高い技術で知られるスウェーデン放送so.とのライヴ。この豊饒な歌と恰幅の良さは巨匠の古典レパートリーに共通するが、モーツァルトの奥の院ともいえる後期交響曲ともなると、その思想や内容も広大無比であり、ロマンチスト、スヴェトラーノフにピッタリな作品。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
SSS-0155/60-2
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(6CD)
3CD価格
レーグナー&ベルリン放響、すべて初出〜ブルックナー:交響曲名演集
 〔第4番 変ホ長調「ロマンティック」[1983年11月7日、メトロポールシアター/ [16:16][15:20][11:18][19:03] ]/
  第5番 変ロ長調[1990年6月8日、シャウシュピールハウス、ベルリン/ [20:40][15:20][14:03][21:57] ]/
  第6番 イ長調[1978年5月27日、ベルリン民主宮殿/ [14:20][16:10][8:01][15:08] ]/
  第7番 ホ長調[1979年10月13日、リガ・フィルハーモニー、ラトヴィア/ [18:53][18:38][9:18][11:19] ]/
  第8番 ハ短調[1985年5月3日、シャウシュピールハウス、ベルリン/ [12:40][13:30][26:37][23:03] ]/
  第9番ニ短調[1983年2月7日メトロポールシアター/ [20:58][9:51][20:31] ]〕

 ハインツ・レーグナー指揮ベルリン放送so.(旧東)
 録音・タイミング:[内/タイミング]。日付が正しければ全て初出音源と思われ、第4番、第8番、第9番は BERLIN CLASSICS (ETERNA) への録音と同月のライヴということになる。『生前は鬼才の名をほしいままにし、若き日よりポストに恵まれ、さらなる円熟が約束されていた70代前半に忽然と世を去ったハインツ・レーグナー。レパートリーは広範に及び、その多くが録音にも恵まれています。芸風はシューリヒト張りの快速で拘泥を嫌った爽やかな演奏をするかと思えば、一転して凄まじいばかりの遅いテンポで隅々を執拗に抉るような演奏をも展開。音色も重厚な純ドイツ風かと思えば時に軽やかできらめくようなラテン的な響きも追及すると言った具合で正体不明、千変万化の巨匠でもありました。ブルックナーは愛奏するレパートリーですが、ここでも演奏するたびに別人のような表情を見せるため驚きが続きます。当セットで言う離せない演奏。第4番と第6番はスリリングで目が離せない演奏。第5番は早いテンポは個性が強いが全体にオーソドックスな演奏。第7番は柔らかたおやかな演奏。第8番、第9番は過激でショッキングな演奏と言った処でしょうか。御息女スザンヌ・レーグナー女史の協力を得て、レーグナーと生前に親しく仕事を共にしたディルク・ステーヴ氏のライナーを得ております。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
SSS-0153/54-2
(2CD)
廃盤
チェリビダッケ&スウェーデン放響、初出あり?〜
 ベートーヴェン Vol.2
交響曲集
 〔第5番「運命」(*)/第7番(#)/第6番「田園」(+)〕
セルジュ・チェリビダッケ指揮
スウェーデン放送so.
チェリビダッケ&スウェーデン放響、初出あり?〜
 ベートーヴェン Vol.1
:交響曲集
  〔第3番「英雄」(*) /第4番(+) /第2番(**) 〕/
 「レオノーレ」序曲第3番(#)
セルジュ・チェリビダッケ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1970年3月22日(*)、1970年9月20日(+)、1965年4月11日(**)、ストックホルム・コンサートホール(#以外) /1968年11月16日、スタルフォルスコラン〔代理店記載ママ〕(#)、ステレオ(**以外) & モノラル(**)、全てライヴ。ソース:スウェーデン放送協会。(+/**)は初出音源と思われるが、共にNEW AS, NAS-2503〔当店未案内/廃盤〕で1967年-1969年とされる演奏が出ており、同一演奏があるかもしれない。(*/#)は CD-R 使用の FKM から FKM-CDR254 で出ていた演奏と思われるが、前出盤に月日記載はなく、特に(*)は2日前の別録音も残っている模様なので、別演奏の可能性有。演奏タイミング:[13:53][16:08][6:10][12:53](*) /[9:29][11:12][6:10][5:40](+) /[10:42][12:27][4:13][6:23](**) /[14:40](#)
A.ヤンソンス&ドレスデン・フィル、初出
 ベルリオーズ:幻想交響曲
 ベートーヴェン:「コリオラン」序曲
アルヴィド・ヤンソンス指揮
ドレスデンpo.
 録音:1980年2月28日、クルトゥーア・パラスト、ドレスデン、ステレオ・ライヴ。おそらく初出音源。『日本とも並々ならぬ深い絆で結ばれた巨匠アルヴィド・ヤンソンス。最近の発掘によりドイツでの活動も明らかになりつつあります。今回のリリースは毎年のように客演した渋い音色で知られるドレスデン・フィルとの「幻想」です。レニングラード・フィルとのメロディア録音は良く知られるところですが、ドイツのオーケストラとも度々上演を繰り返した自信のレパートリー。複数存在する放送録音から最も新しい演奏が採用されました。一聴してフランス系指揮者の解釈とは真逆の視点で見つめていることがわかります。極端なことを言えばまるでドイツ音楽のようなベルリオーズ。じっくりとしたテンポで歌い上げられ、「田園の風景」は16分以上かけて丹念に、おどろおどろしい世界を描き尽します。「コリオラン」も重厚極まる名演です。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
ケーゲル&ジャンドロン〜リヒャルト・シュトラウス
 交響詩「ドン・キホーテ」(*) /
 交響詩「死と変容」(#)
モーリス・ジャンドロン(Vc;*)
トーマス・ヴュンシュ(Va;*)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
 録音:1968年5月14日(*)、1968年4月9日(#)、ライヴ、ステレオ。おそらく初出音源。『ケーゲル+ライプツィヒ放送響の黄金コンビによる、リヒャルト・シュトラウス傑作集。ケーゲルはドレスデン生れですからリヒャルト・シュトラウスとは非常に縁が深い(ドレスデン・シュターツカペレの音楽学校にも学んでいます)筈ですが今まで録音が出たこともなく、さらには演奏機会もそれほど多くなかったようです。そこに初登場するのがフランスの名手モーリス・ジャンドロンと組んだ「ドン・キホーテ」です。瀟洒と呼ぶにふさわしいジャンドロンの明るく、美しい音色を物語の俳優の様に生かした見事な演奏。「ドン・キホーテ」は日本では極めて人気の低い作品ですが、巨匠指揮者、特にドイツの名指揮者には愛奏されることでも知られます。それだけストーリーが普遍的なのでしょう。こういう標題音楽らしい標題音楽をケーゲルが指揮することも稀であったと申せます。ジャンドロンにとっても初出レパートリーです。一転して、シリアスそのものいつものケーゲルらしい演奏が「死と変容」です。カミソリの刃のようにエッジの尖った演奏で、近寄りがたい風情を醸し出しています。オーケストラ・ドライヴの見事さには傾聴に値する名演奏です。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』(以上『内』、代理店のインフォメーションより)
スヴェトラーノフ&スウェーデン放響「惑星」
 ホルスト:組曲「惑星」
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.&cho.
 録音:1994年9月3日、ベールヴァルド・ホール、ディジタル、ライヴ。おそらく初出音源。『ついに登場!スヴェトラーノフの「惑星」です。スヴェトラーノフは1991年にフィルハーモニア管とCollinsにスタジオ録音していますが、スヴェトラーノフの演奏とは思えない微温調の大人しい演奏で、ファンの欲求不満は高まるばかりでした。ついに登場する手兵スウェーデン放送響とのライヴ。優秀なオーケストラ、優秀な録音でまるでブルックナーやマーラーを聴くかのような重量級のハーモニーが存分に楽しめます。スヴェトラーノフの凄さはただ大きな音でがなり立てるだけでなく、そこに気品が伴うところです。合唱団は名高きスウェーデン放送合唱団で、あらゆる点で「惑星」の頂点に君臨する演奏と申せましょう。』『※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
アルヴィド・ヤンソンス、初レパートリー&初出〜
 ショスタコーヴィチ
:交響曲第8番 ハ短調 Op.65
アルヴィド・ヤンソンス指揮
ベルリン放送so.
 録音:1981年11月11日、ベルリン放送局大ホール1。ステレオ、おそらく初出音源。『マリスの父という敬称だけではあまりに惜しい名指揮者アルヴィド・ヤンソンス。ムラヴィンスキーの同僚にして盟友。同時代を生きたにもかかわらず録音に恵まれない巨匠。この第8番も初登場レパートリーとなります。お相手は繰返し客演した旧東ベルリン放送響。一聴して極めて重厚なまるでドイツ人が指揮するショスタコーヴィチと言ったら形容が妙でしょうか。遅めのテンポでじっくりと歩みを進める大河的名演。マリス氏も快諾の待望のリリースです。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
ケーゲル+ライプツィヒ放送so. 管弦楽名曲集1
 ヨハン・シュトラウス II :喜歌劇「こうもり」序曲(*) /ワルツ「美しく青きドナウ」(*)
 ヨゼフ・シュトラウス:ワルツ「うわごと」(*)
 ヨハン・シュトラウス I :ラデツキー行進曲(#)
 ウェーバー/ベルリオーズ編曲:「舞踏への勧誘」(#)
 ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲(+) / スメタナ:交響詩「モルダウ」(**)
  ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送so.
 録音:1969年2月4日(*) /1973年9月4日(#) /1975年9月2日(+) /1968年5月14日 (**)、全てライヴ。『巨匠と言われる指揮者ほどこうした小品も一点一画を疎かにしない真剣勝負で聴かせてくれるものですが、やはりケーゲルです。シュトラウス演奏も洒脱さからは程遠い軍隊調の規律、例えばライナー+シカゴ響の厳粛な演奏を想起させるような硬派な名演です。テレビ向けのシュトラウスコンサートだった模様ですが浮かれた感じはまるでありません。ラデツキー行進曲もそのノリで突っ走っています。コワモテ指揮者ケーゲルの面目躍如です。一転してウェーバーはほの暗いドイツ・ロマン色の濃い演奏で、希代のロマンティストでもあった一面を見せてくれます。最後の「モルダウ」がこれまた素晴らしい!声涙下る感情移入演奏とは一線を画したそれでいて、この曲が如何に歴史的に重要で名曲であるかを物語る目から鱗の必聴盤です。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。』(以上『内』、代理店のアナウンスより)
 #2020年6月現在レーベル品切&再生産未定。
SSS-0145-2
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(2CD)
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マーラー:交響曲第9番 ニ長調 エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:2000年1月21日、ベールヴァルド・ホール、ディジタル、ライヴ。スヴェトラーノフが忍び寄る死の影を感じながら紡ぎだした絶美の演奏。第1楽章の深遠な解釈、第4楽章の澄み切った境地は、正に生と死の表裏一体を教えてくれるかのようだ。対照的に中間楽章はエネルギッシュそのもので、リズム感の良さを物語る。スヴェトラーノフのマラ9と言えば、ロシア国立響とのスタジオ録音は恵まれた音質といえなかっただけに、妙技を誇るスウェーデン放送so.、名録音を誇るスウェーデン放送による当ライヴは、ファン垂涎のものだろう。『この第9交響曲は、作曲家マーラーの最後の作品である。間もなくその演奏活動を終える偉大な指揮者(偉大な作曲家であることもマーラーと共通している)スヴェトラーノフがこの作品を取上げるということも示唆に富んでいるし、暗示的である。巨匠は、スウェーデン放送響と本拠地ストックホルムのみならず、直後のロンドンへの楽旅でもこの曲を指揮している。』(ライナーノートより) 英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
ヨッフム&スウェーデン放響〜ブルックナー
 交響曲第4番「ロマンティック」
オイゲン・ヨッフム指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1975年2月23日、ストックホルム・コンサートホール、ライヴ。おそらく、CD-R 使用の WORLD MUSIC EXPRESS から WME-S-1143 (1970年代との記載)で出ている演奏で、マスターからの初復刻。演奏タイミング:[17:56][16:08][10:24][20:01]『ヨッフム+スウェーデン放送響の初ディスクです。1975年というと、座って指揮するようになった最晩年の枯淡と壮年期の馬力に満ちた動的アプローチの丁度中間期に当たります。しっとりとした味わいに加え、若き日の劇性をも兼ね備えた非の打ちどころのない演奏と申せましょう。ブルックナーの名作の中でも穏当に過ぎるとも見られるこの曲にはピッタリな表現方法とも言えましょう。勿論「ロマンティック」は巨匠の愛奏曲でしたが、ライヴとなるとコンセルトヘボウとの同年のものだけです。澄み切ったスウェーデン放送響の音色は、フランスともロシアともイギリスとも違いますが、どちらかというと機能美を誇るドイツの放送オーケストラに近い、明快さと機敏さに溢れた近代的なものと言えましょう。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。』
ザンデルリング&スウェーデン放響〜
 シューマン:
:交響曲第4番(*)
 ベートーヴェン:交響曲第2番(#)
クルト・ザンデルリング指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1990年5月4日(*)、1997年11月28日(#)、ベールヴァルド・ホール、ディジタル・ライヴ。 演奏タイム:シューマン[12:22][4:55][5:54][10:17]/ベートーヴェン[14:46][12:22][4:37][7:10]。『名人集団としてすっかり認知度を増したスウェーデン放送響。どんな曲者指揮者が現れてもびくともしない練達のアンサンブルを聴かせてくれます。濃厚な表情付がますます顕著となった90年代ザンデルリングのヘビーな表現。シューマンの交響曲第4番は自身の引退コンサートでも取上げた、最愛のレパートリーです。思い切りの良い開始から、ベートーヴェンの交響曲第2番は指揮者にとっての難曲として知られております。エーリヒ・クライバーは、この曲はベートーヴェンがまだベートーヴェンに脱皮し切れていない作品と称しておりますが、そのクライバーのアシスタントも務めたことのあるザンデルリングは、この曲を好みました。活動最後期まで繰返し演奏し、そのロマン派的解釈は恰幅豊かな美演として知られております。第2楽章の入りなどはまるでブルックナーの緩徐楽章!』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』(以上『内』、代理店のインフォメーションより)
ジュリーニ&スウェーデン放響〜
 フランク
:交響曲 ニ短調(*)
 ドビュッシー:交響詩「海」(#)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1996年4月27日、ベールヴァルド・ホール、ディジタル・ライヴ。(*)はおそらく初出音源。(#) は CD-R 使用の NEUMA から、NCD-10-3 で発売されている1996年4月(日付未判明)の録音と思われ、その場合はマスターからの初復刻。演奏タイム:演奏タイム:フランク[21:32][12:33][13:33]/ドビュッシー[10:01][7:53][9:13]。『ジュリーニ活動最晩年期のスウェーデン・ライヴ。後期ジュリーニの様式が手に取るように判る演奏です。フランクは1993年のソニー盤より3年も後のライヴ。ジリジリと止まる寸前の遅いテンポで微に入り細に渡り全てを描きつくします。不調時のジュリーニはリズム感が明瞭でないこともありましたが、こちらは遅いが故に強いられる緊張感とでも申しましょうか、強烈なインパクトを誇ります。特筆すべきはフィナーレのコーダで、凄い強調が見られます。明るい音色、陰鬱な風情、良く歌う表現は、ドイツ音楽とフランス音楽の融合を目指したフランクのそしてジュリーニの特徴と申せましょう。「海」も愛奏曲として名高いものですが、フランクと同日のライヴだけにその方向性は同一であり、スウェーデン放送響が巨匠の過酷な要求に見事につき従う様が感動的です。ジュリーニの伝記作者でフランス国立放送のディレクターも長年務めたジャン・イヴ・ブラ氏のライナーノートも価値あるものです。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』(以上『内』、代理店のインフォメーションより)
SSS-0141-2
廃盤
ジュリーニ&スウェーデン放響〜
 ブラームス
:交響曲第3番(*)
 ラヴェル:組曲「マ・メール・ロワ」(#)
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
スウェーデン放送so.
SSS-0140/41-2
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(2CD)
1CD価格
ジュリーニ&スウェーデン放響〜
 マーラー
:交響曲第9番 ニ長調
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1973年2月9日、ストックホルム・コンサートホール、ステレオ・ライヴ。おそらく CD-R 使用の KAPELLMEISTER から、KMS-246/7KMZ-S-122/3で発売されていた1973年(月日未判明)の録音と思われ、その場合はマスターからの初復刻。演奏タイム:[30:40][16:34][13:49][22:56]。『WEITBLICKのスウェーデン放送響シリーズに、遂に巨匠ジュリーニが登場!しかも曲はマーラーの第九!ジュリーニと言えば、あらゆる作曲家の「第9番」に決定的名盤を残していますが、このマーラーの9番もまた格別です。シカゴ響との録音(DG)は伝説的名演として知られておりますが、活動晩年にはレパートリーから外してしまった曲目でもあります。伝え聞くところによると、ジュリーニは1964年にベルリン・フィルとこの曲を取り上げ(この頃が初演奏と思われます)、1975年にはウィーン交響楽団と演奏。前述のシカゴ響との録音が1976年故に、70年代でほぼ演奏しつくした感があります。スウェーデン・ライヴは73年ですから、ちょうど解釈の頂点を迎えた時期と言って差支えないでしょう。当演奏はネット・ラジオでも知る人ぞ知る超名演として話題にもなっておりました。第1楽章が重く遅いのはいつも通り、フィナーレは意外なスピードと軽やかさを見せます。スウェーデン放送響はこの頃から優秀だったことを証明しています。ジュリーニの伝記作者でフランス国立放送のディレクターも長年務めたジャン・イヴ・ブラ氏のライナーノートも価値あるものです。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』(以上『内』、代理店のインフォメーションより)
ケーゲル〜J.S.バッハ:ミサ曲 ロ短調 BWV.232
 チェレスティーナ・カサピエトラ、レナーテ・フランク・ライネッケ(S)
 ヴィエラ・ソウクポヴァー(A) エーベルハルト・ビュヒナー(T)
 ジークフリート・フォーゲル(B) ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送so.&cho.
 録音:1975年9月16日、ライプツィヒ・コングレスハレ、ライヴ。ステレオ、初出音源。 『久々のケーゲルの新譜は、「ロ短調ミサ」です。これは演奏内容の素晴らしさから未亡人がぜひに、ということで実現しました。ライプツィヒというとバッハ演奏では伝統を誇りますが、ケーゲルの演奏は「音楽の捧げもの」編曲版くらいしか思い浮かばず、今回の登場は貴重です。合唱指揮者出身のケーゲルだけにこういう曲もお手の物で、やはり一家言あったと思われます。カラヤン、ジュリーニ、チェリビダッケのようなロマンティックな演奏とは一線を画した、極めてストイックで硬質な演奏を聴かせます。全体としてスタイリッシュで、キリリと引締まったテンポは活力に満ち、全曲があっという間に終わります。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。』
スヴェトラーノフ〜ブラームス:交響曲全集
 〔第1番(*) /第2番(#) /第3番(+) /第4番(**) 〕
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1984年9月7日(*)、1982年1月15日(#)、1980年9月6日(+)、1985年10月20日(**)、以上 ベールヴァルドホール、ステレオ・ライヴ。おそらく初出音源。『スヴェトラーノフのブラームス交響曲全集というと手兵ロシア国立響との1981年ライヴが高名ですが、当スウェーデンのライヴはその前後5年の演奏となります。「指示に素直に従うアンサンブル」スウェーデン放送響の適応ぶりは聴いていて頭が下がります。スヴェトラーノフの解釈は率直で早目のテンポ。オーソドックスそのものでドイツの伝統遵守の指揮者と言われても一瞬は頷けますが、やはり統率力、推進力の凄まじさ、そして時に見せる必殺のフェルマータ伸ばし、強烈な歌いこみはやはりこの巨匠ならではです。第4番などは絶美の演奏と申せましょう。2枚のCDに綺麗に収まっているところも二重マルです。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』
ザンデルリング&スウェーデン放響〜
 ショスタコーヴィチ
:交響曲第8番
クルト・ザンデルリング指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1994年10月21日、ベールヴァルドホール、ライヴ。『ザンデルリンクのショスタコ8番と言えば、ベルリン交響楽団とのスタジオ録音が唯一で、この曲を遅いテンポで透徹したユニークな演奏として名高いものでした。第8番は、巨匠が活動最晩年までレパートリーから外さなかった愛奏曲ながら、ライヴ録音の登場は今までありませんでした。ムラヴィンスキーなら、快速で進めるであろう箇所はザンデルリングはこれでもかとばかりに執拗に遅いテンポで、このシリアスな作品をまるで点描画のように聴衆に開示して行きます。余程好調だったのか、足踏みや第3楽章から第4楽章にかけての掛け声を発したり、冷静沈着に見えるザンデルリングの燃える姿が記録されています。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。』
ザンデルリング&スウェーデン放響〜ブラームス
 悲劇的序曲(*) /交響曲第4番(#)
クルト・ザンデルリング指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1997年11月28日(*)、1990年5月4日(#)、以上 ベールヴァルドホール、ライヴ。『巨匠ザンデルリングと言えばブラームスですが、この第4番はザンデルリングのどの同曲異演よりも情熱的というか、私小説的主情的な解釈と言えます。当レーベルではミュンヘン・フィルとのライヴがありますが、それよりも全体で2分以上も長く、ロマン主義解釈の大家であることは疑いないザンデルリングですが、ここまで耽溺的な一面があったのかと驚かされます。第1楽章などは祈りにも似た没入。第3楽章の裂帛の気合も身の毛もよだつばかりです。フィナーレに至っては奈落の底へ突き落とされるかのようなカタルシスさえ感じます。例によって遅いテンポが採用されておりますが、その劇性は凄まじく手に汗握る熱演となっております。「悲劇的序曲」はベルリン交響楽団との全集では再録音しなかった曲で、こちらも15分にも及ぼうという怪演。古格を保つ驚愕の名演です。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。』
SSS-0133-2
廃盤
ザンデルリング&スウェーデン放響
 シューベルト:交響曲第9番 ハ長調「グレート」(*)
 ハイドン:交響曲第39番 ト短調(#)
クルト・ザンデルリング指揮
スウェーデン放送so.
スヴェトラーノフ&スウェーデン放響
 サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付」(*)
 ルーセンベリ:「街のオルフェウス」組曲(#)
ヴァンサン・ワルニエ(Org;*)
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1998年9月3日、グスタフ・ヴァーサ教会(*) /1983年1月14日、ベールヴァルドホール(#)、ライヴ。続々リリースのスヴェトラーノフ・スウェーデン放送so.ライヴに、驚異的な名演が登場。何とサン=サーンスの「オルガン付」。巨匠はロシア国立響と1982年にスタジオ録音を遺しているが、こちらも堂々40分を超える長演。日頃のベールヴァルドホールではなく、立派なオルガンを備えたグスタフ・ヴァーサ教会での演奏会故に存分に残響を生かし、気の遠くなるようなスケールで迫る。カップリングはスウェーデンの作曲家ルーセンベリの小粋なバレエ組曲「街のオルフェウス」(第3幕第2場「フルスウィングのダンスホール」)。フランス音楽を思わせる繊細な1938年の作品で劇場の人、スヴェトラーノフのセンス溢れる美音が心楽しい名演。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
スヴェトラーノフ&スウェーデン放響〜ドヴォルザーク
 交響曲第9番「新世界より」/
 スラヴ舞曲第3番 Op.46 No.3
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1983年1月14日、ベールヴァルド・ホール、ライヴ、ステレオ。『皆様お待ちかねのスヴェトラ節全開の「新世界」です。ロシア国立響との名盤も広く知られているところですが、今回の音質はそれを上回り何よりもオーケストラの音色と録音がいわゆる常識的故に、スヴェトラーノフの解釈が尋常でないことが浮き彫りになります。金管には目一杯の咆哮を強要しています。喋るスピードというか騒ぐ感じの音楽です。終結はメンゲルベルクの「第9」を甦らせた様な衝撃であり、スウェーデン放送響は全く素直な演奏団体です。フィルアップのスラヴ舞曲は、直後に英国ツアーを控えていたこのコンビがアンコールとして用意していた故に演奏されたもので、本拠地でのアンコールというのは異例です。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。』
チェリビダッケ&ミケランジェリ 1960年代共演集
 マスターからの初復刻

 ベートーヴェン:
  ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調Op.73「皇帝」(*)
 シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調Op.54 (#)
アルトゥーロ・ベネデッティ・
 ミケランジェリ(P)
セルジュ・チェリビダッケ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1969年5月20日、文化会館、ヘルシンキ、〔ヘルシンキ・フェスティヴァル〕、ステレオ(*)/1967年11月19日、ストックホルム・コンサートホール、モノラル(#)。ともにライヴ。ソース:フィンランド放送(*)/スウェーデン放送(#)。これまでにARKADIA (*/#), FKM, FKM-CDR1 (*)、MEMORIES, ME-1039/40 (*/#) 等から出ていたが、マスターからの初復刻。最後に発売されたMEMORIES盤も3年以上品切が続いており、近年は〔(*)はプレス盤では〕入手出来なかった物。『ついにこの日がやってまいりました! ミケランジェリとチェリビダッケという孤高の巨匠が四つに組んだ超名演、「皇帝」とシューマンのカプリングが登場です。内容は数多くのプライヴェート盤で知られるとおりの高水準ですが、音質もスウェーデン放送、フィンランド放送からの蔵出し音源で万全の体制であることは申し上げるまでもありません。「皇帝」は、1969年5月20日のヘルシンキ・フェスティヴァルへの客演ライヴであることが特定されました。チェリビダッケがスウェーデン放送響の首席指揮者の任にあった最盛期のライヴだけに、練習がすみずみまで行き届き、「皇帝」など意外な軽やかさ、明るさ、華やかさでビックリさせられます。まるでラヴェルやドビュッシーを聴くかのような絶美の名演です。優秀なステレオ録音で「皇帝」の中の「皇帝」と申せましょう。シューマンは、1967年11月19日の本拠地ストックホルム・コンサートホールでのライヴです。モノラルなのが惜しいところですが、リリシズム、ロマンティシズムを堪能できるのはこちらかも知れません。物思いにふけるかのようなしみじみとした風情。官能的な揺れや、気だるさすら漂う繊細な味付けは、鋭敏なセンスを誇るこのコンビならではです。※今回は未曾有の大災害に見舞われた日本に対して、チェリビダッケ氏子息の御理解を得てのリリースとなります。この協奏曲集に加えて、ミケランジェリのフィンランドに於けるソロ・リサイタルも近々発表できるかと思います。これら2タイトルの売上より、「音楽の浄財II」として50万円を日本赤十字社に寄付致します。』(以上『内』、代理店のインフォメーションより)
プレートル&ベルリン・ドイツ響〜ブラームス
 交響曲第3番(*) /交響曲第2番(#)
ジョルジュ・プレートル指揮
ベルリン・ドイツso.
 録音:2008年10月27日(*)、2011年2月6日(#)、フィルハーモニー、ベルリン、ライヴ。『巨匠ジョルジュ・プレートル、久々に WEITBLICK からの発売になります。今回は最新録音によるブラームスの交響曲集です。』『第3番は、その感情的な旋律の揺さぶり、テンポの変化を想像してしまうが、実に率直なアプローチで驚かされる。爽快で誤解を承知で言えばまことにスポーティなのである。高速道路を性能の良い車で走っているような雰囲気すらある。第2楽章も、巨匠が緘徐楽章の演奏でしばしば聴かせる、矯めに矯めて爆発させるという手段を用いない。不自然な拘泥は一切ないのだ、思い切りの良い演奏と言っても良い。ところが第 3 楽章が始まると、ここに巨匠の真骨頂が表れてくる。止まりそうなほど……という遅さではないが、情感はたっぷりに奏される。そして美しい旋律を羽毛のように浮遊させる。優秀なホルンの美しい咆哮(それも静かな)は、まるで遠く離れた山奥から聴こえて来るようだ。その夢幻的な表情付けを聴けば、やはりプレートルにしかできない演奏だなと納得し、大いに首肯せざるを得ない。第 4楽章は、基本的には第1楽章の演奏を継承したものと言えるだろう。そのケレン味のない味わいには聴いていて襟元を正したくなるが、生真面目一辺倒に終わらないのがこの芸術家だ。フィナーレのコーダのチェロの音色など、モノクロ映画に一瞬色彩が入るかのような衝撃と官能が聴き取れるだろう。 第2番もまた軽やかな足取りの演奏である。第1楽章提示部こそは、結構ゆっくり丁寧に奏でられ説明的な表現とも言えるが、展開部以降はぬかるみを荷車曳くようなもたつきは一切なく、雲の上を歩くようだ。そしてクライマックスに至るまでの焦燥も見事。第3楽章は、第4楽章へバトンを渡す通過点という感がある。白眉は終楽章であろう。プレートルの豪快な芸風が炸裂する。身振りの大きな音楽で、一気呵成にフィナーレの大きな歓喜に突き進む。存分に延ばされたフェルマータも凄い迫力である。』(ライナーノートより)『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。』(以上『内』、代理店のインフォメーションより)
A.ヤンソンス&シュターツカペレ・ドレスデン
 チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
 カール・フリードリヒ(1920-):
  弦楽合奏のためのロンド・レジエロ
アルヴィド・ヤンソンス指揮
シュターツカペレ・ドレスデン
 録音:1971年5月18日、ドレスデン・クルトゥア・パラスト、ライヴ。ステレオ、おそらく初出音源。『「悲愴」がアルヴィド初の音盤レパートリーというのも意外です。シュターツカペレ・ドレスデンの「悲愴」も初めて! 演奏時間からも想像できるように恰幅よく、存分に歌わせて、さらに嘆く、絶望する。ロマンの香ムンムン漂う、熱情的な名演奏です。木管のとろけるような美しさ、弦楽合奏の粘るような魅惑、そしてゾンダーマンのティンパニが炸裂する非の打ち所のない「悲愴」です。カプリングはバッハの高弟のアベル(カデンツァ注:後に誤記と判明/後述)の弦楽合奏による佳曲。ドレスデン音色マニアならば興味尽きぬ演奏と申せましょう。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』『演奏タイミング、「悲愴」:[18:42][7:22][8:18][10:30]/アーベル:[12:34]』(以上『内』代理店記載ママ)
 #なお、初出時には2曲目の作曲家を『カール・フリードリヒ・アーベル(1723-1787)』としていましたが、実際に商品が入荷した際に代理店側がミスに気づき、上記「カール・フリードリヒ(1920-)」(代理店によると『この人物はドレスデン・フィルやシュターツカペレ・ドレスデンのヴァイオリン奏者で作曲家だった』とのこと)の作品だと訂正のアナウンスが成されました。また、上記代理店コメント内にも『バッハの弟子』等の記載がありますがこれも誤りとなり、本体の日本語ライナー・ノートにおきましても、この件に関する誤記が残っている可能性があります。あらかじめ御了承頂けますようお願い致します。
 #2020年6月現在レーベル品切&再生産未定。
A.ヤンソンス&シュターツカペレ・ドレスデン
 ブラームス:交響曲第4番(*)
 モーツァルト:フルート協奏曲第2番(#)
アルヴィド・ヤンソンス指揮
シュターツカペレ・ドレスデン
オーレル・ニコレ(Fl;#)
 録音:1984年10月7日、シャウシュピール・ハウス〔現・コンツェルトハウス〕、旧・東ベルリン、東ベルリン芸術週間(*)/1971年5月28日、ドレスデン・クルトゥア・パラスト(#)、共にライヴ、ステレオ。(#)はおそらく初出音源。(*)はLUCKY BALL, LB-0006(廃盤)と ETERNITIES, ETCD-043-S(入手可能)〔共に全てCD-R使用〕で既出だが、マスターからの初発売。
 『ベルリン放送響とのベートーヴェン「第9」(SSS0082)以来久々にアルヴィド・ヤンソンスがWEITBLICK に登場です。マリスの偉大な父アルヴィド・ヤンソンス(1914-1984)は、レニングラード・フィルとの共演に限られた感のあるムラヴィンスキーとは異なり、世界各国のオーケストラに客演を続けました。東ドイツに定期的(ほぼ毎年)に客演したことは容易に納得できますが、至宝シュターツカペレ・ドレスデンとの共演がステレオ録音で遺されていたことは極めて幸運と申せましょう。ゾンダーマン、ダムと言った黄金時代を担った名手が優れたオーケストラ・ビルダーとしても知られた名匠が厳しく手綱を締める様子がはっきりとわかります。ロマン主義に傾斜した情熱的な解釈で知られ、1914 年生まれと言うとジュリーニと同年でもあります。日本の東京交響楽団との相性の良さも語り草で、1984年の最後の客演で評判を取った「悲愴」が今回のリリースに含まれることは歓迎されましょう。意外な事に全てアルヴィドにとって初の音盤レパートリーです。父を敬愛するマリス氏が今回の企画に全面的に協力して下さいました。』
 『ブラームスは亡くなる一ヶ月前の演奏となります東ベルリン芸術週間ライヴ。この演奏を聴くとアルヴィドはムラヴィンスキーとは正反対の音楽性、誤解を承知で言えば、フルトヴェングラーのように情熱的にテンポを動かし、楽曲の悲劇性を強調、重要視した名指揮者であったことが判ります。もっと極論を言えば、アルヴィドは極めてドイツのロマン主義名指揮者に近い存在と言って過言ではありません。冒頭の美しさは如何にもSKDですし、第2楽章のホルンの妙技も身震いするほどです。当レーベルのヨッフムとの名盤にも引けを取りません。カプリングは豪華ソリスト、オーレル・ニコレをソロに迎えたモーツァルト。ニコレのライヴは極めて珍しく、アルヴィドのバッキング(カデンツァ注:クラシックではあまり使用されないが「伴奏」の意味)能力の高さも特筆されましょう。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付』『演奏タイミング、ブラームス:[13:06][10:57][6:08][10:54]/モーツァルト:[7:52][7:30][4:56]』
スヴェトラーノフ&スウェーデン放響〜シューベルト
 交響曲第8番「未完成」(*)/
 交響曲第9番「グレート」(#)
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1986年9月8日(*)/1990年9月18日(#)、ともに ベールヴァルド・ホール、ライヴ、ステレオ。『「未完成」は、ロシア国立響とのLPがあるのみ。「ザ・グレート」は完全初出レパートリー! 「未完成」の繊細さは、スウェーデン放送響とのコンビネーション故に生まれたしみじみ感たっぷりの秀演。そこはかとなく、寂しく、荒涼とした風情の漂う美演です。「ザ・グレート」は巨匠と呼ばれる指揮者は漏れなくレパートリーに持っていますが、スヴェトラーノフの演奏は、じっくりとしたテンポ設定ながら胃もたれすることのない快活さも十分です。ホルンの朗々たる響きも清清しいばかりです。こういう正統派の演奏を聴くと実はドイツ・オーストリア音楽のスペシャリストと賞賛されてもおかしくなかったのではないかと、うたた感慨に堪えません。なお、この「ザ・グレート」には演奏終了後にオーケストラが奏でるファンファーレも収録されております。演奏が素晴らしかった時、拍手が鳴り終わらなかった時現地ではこうして指揮者を賞賛すべく、こうした習慣があります。』『英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。』
スヴェトラーノフ&スウェーデン放響
 ショーソン:交響曲 変ロ長調 Op.20 (*)
 フランク:交響曲 ニ短調 Op.48 (#)
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:2002年2月23日、ベールヴァルド・ホール(*)/1979年9月10日(#)、共にライヴ。おそらく初出音源。『意外なようで、スヴェトラーノフはフランス音楽を愛し、得意にでもありました。ショーソンは初出レパートリーで、亡くなる直前。スヴェトラーノフにとってスウェーデン放送響との最後の共演です。ほぼ 40 分掛けてこの曲を奏でます。ワーグナーの影響をやはり前面に出し、点描画のような細密さは晩年ならではで、恐ろしいくらいの美しさに満ち溢れています。フランクは、まだまだ元気な頃のライヴで、豪快なオーケストラ・ドライヴが堪能できます。歌いこみの丁寧さはやはりスヴェトラーノフ以外の何者でもありません。』※演奏タイミング、ショーソン:[13:42][11:03][13:52]、フランク:[17:05][11:59][9:47] /英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
スヴェトラーノフ&スウェーデン放響〜
 ガーシュウィン・コンサート1996

 パリのアメリカ人/ピアノ協奏曲 ヘ調/キューバ序曲/
 交響的絵画「ポーギーとベス」
  (ロバート・ラッセル・ベネット編曲)
ジェフリー・シーゲル(P)
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1996年3月6日、ベールヴァルド・ホール、ライヴ。おそらく初出音源。『スヴェトラーノフはガーシュインを愛し、「パリのアメリカ人」、「ポーギーとベス」についてはMELODIYA にも手兵ロシア国立響との録音があります(未CDプレス盤化)。この「ガーシュイン・コンサート」は、一聴して顔をしかめる方がいるであろうことが想像に難くない、重々しくて、超絶のスローテンポを駆使した正に「オレ流」ガーシュインです。しかし説得力は無類。ガーシュインが作曲の天才であり、如何に遅いテンポで歌ってもその美しさはビクともしません。ソリストのシーゲルは、アメリカ出身。1989年ロン・ティボー・コン第 1位。スラットキンとはガーシュインを普通のテンポで録音しています。今回の共演はピアノ協奏曲の演奏を熱望したスヴェトラーノフに、スウェーデン放送響楽団長がシーゲルを推薦し実現した初顔合わせです。スヴェトラーノフはシーゲルを気に入り、ハーグ、ロシアでも共演を重ねました。「今度は、チャイコフスキーの第2協奏曲、ラフマニノフの第1協奏曲を共演しよう」という約束が彼の死で果たせなかったとシーゲルは懐古します。』英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
スヴェトラーノフ&スウェーデン放響〜
 レスピーギ:ローマ三部作

  〔ローマの噴水/ローマの祭り/ローマの松〕
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1999年9月10日、ベールヴァルド・ホール、ライヴ(ディジタル)。「松」のみLANNE HISTORICAL COLLECTIONから LHC-7058 (廃盤/入手不能)で出ていた1999年月日不祥の録音と同一と思われる(これのみマスターからの初復刻)が、残り2曲は初出音源。1980年のロシア国立so.との名演が長らく愛されてきたが、ほぼ20年後のこの演奏もとにかく凄まじい。オーケストラが優秀でセンスがあり音色も美しいが、さすがスヴェトラーノフ、それだけでは終わない。コンサートはこの曲順に行われたが、「噴水」は結構ノーマルな名演。晩年は精緻繊細に傾斜したのかと誤解してしまう。ところが「祭り」は狂乱の宴で、時々聴いていて恥ずかしくなる瞬間すらある。そして極めつけは「松」の「アッピア街道の松」だろう。ロシア国立盤でも気が遠くなるようなエンディングだったが、それを超える。スウェーデン放送so.が素直に生真面目に言うとおりにしているのも、感慨深いものがある。作品別演奏タイミング[18:21][30:04][25:29]/英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
スヴェトラーノフ&スウェーデン放響〜
 ブルックナー
:交響曲第9番
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1999年3月6日、ベールヴァルド・ホール、ライヴ(ディジタル)。この顔合わせによる同曲は、これまで 1999年3月5日 のライヴが MORGANS から ML-007 で発売されていた。第1楽章などは当演奏の方が15秒ほど短い事になるが、同一演奏の可能性が高い。その場合は当盤がマスターからの初復刻。スヴェトラーノフとブルックナーと意外に思われるかも知れないが、第8番の名演はマニアなら知るところだろう。第9番は、これまでに一般発売されたのはロシア国立響との第3楽章(TRITN/廃盤)のみ。当盤の登場で巨匠の名解釈が世に問われることになる。演奏分数の通り、正に大河的名演奏。ミュンヘン・フィルとの共演(ワーグナー、SSS-0094-2)でみせた静謐な心境で取り組んだ美演。その細密画のような描写は遥か対極にあるかのように思われたチェリビダッケの演奏にも通じるものがある。演奏タイミング[28:46][11:40][25:25]/英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
ケーゲル&ライプツィヒ放響の「ブル9」、再発売
ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
 録音:1975年12月16日、コングレスハレ、ライプツィヒ。ステレオ、ライヴ。前出: ODE CLASSICS ODCL-1022(廃盤/入手不能)。『ブルックナーの最後の作品である第9番もケーゲルは、特別な感傷を注入することなく、55 分という快速で突っ走ります。とはいえ無感傷は無感情にあらず。冷たいけれど触れると火傷をする……、ドライアイス的演奏と申せましょう。リズム感がしっかりしているのでリリカルにも聴こえますが内声の抉りには心しびれます。 』
ケーゲル&ライプツィヒ放響の「ブル8」、再発売
 ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
 録音:1975年3月11日、コングレスハレ、ライプツィヒ。ステレオ、ライヴ|前出: ODE CLASSICS ODCL-1020(廃盤/入手不能)。『この翌日からケーゲルはスタジオ・セッション録音を残しておりまして、こちらは PILZ 盤で親しまれましたが、音質演奏ともにこちらのほうが上であると言えましょう。切れ味鋭いブルックナー。牧歌的な演奏を期待する方はお避けになったほうがよろしいでしょう。鮮血が迸るようなブルックナーでチェリビダッケなどの超常現象的ブルックナーの対極にある目の前で起きるドキュメンタリータッチのブルックナーと言えるかもしれません。この演奏は「事件」です。』
ケーゲル&ライプツィヒ放響の「ブル7」、再発売
ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
 録音:1971年5月17日-28日、ペタニエン教会、ライプツィヒ。ステレオ、セッション。前出: ODE CLASSICS ODCL-1019(廃盤/入手不能)。 『旧東ドイツの放送オーケストラは日程に恵まれていたのか放送用のセッションもレコード録音なみに日数をかけております。ほかの曲目の演奏に比して比較的遅めのテンポが採用され抒情性満点。柔らかく細密な仕上がりを見せます。聴衆を前に盛り上がるイキの良いケーゲルとは別の一面を見せてくれます。』
ケーゲル&ライプツィヒ放響の「ブル6」、再発売
 ブルックナー:交響曲第6番
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
 録音:1972年12月12日、コングレスハレ、ライプツィヒ。ステレオ、ライヴ。前出: ODE CLASSICS ODCL-1017(廃盤/入手不能)。
 『第6番は長らく「地味」の烙印が押されておりました。しかしクレンペラーやヴァントの演奏が広く普及した現在、魅力に満ちた楽曲であることをファンは既に気づいています。ケーゲル盤も最高の名演とカウントされて然るべきものです。かつては、ブルックナーの長調の交響曲らしいハッピーさなどと評された作品ですが、当曲の白眉は第2楽章と申せましょう。緩余楽章に名作が多いブルックナーですが、ここまで怖い音楽はありますまい。しつこい繰り返しに尋常ならざる作者の人格を想像してしまいます、そしてそれは正解です。※タイミング[16:17][15:59][8:36][14:56]』(以上『内』、代理店のインフォメーションより)
 #ODE CLASSICS発売時の、代理店提供文を元にした当店コメントも、参考までに併記します。「1970年代のケーゲルのブルックナーの特徴であるゆったりとした大河的演奏」
ケーゲル&ライプツィヒ放響の「ブル5」、再発売
 ブルックナー:交響曲第5番
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
 録音:1977年7月6日、コングレスハレ、ライプツィヒ。ステレオ、ライヴ。前出: ODE CLASSICS ODCL-1016(廃盤/入手不能)。
 『鬼才ヘルベルト・ケーゲルによるブルックナーの交響曲は1999年にODE CLASSICSより一気に7曲が発売されて、演奏水準の高さでファンの度肝を抜きましたがレーベル解散もあって、長らく廃盤となっておりました。今回改めて、ケーゲル未亡人、ドイツ放送アーカイヴのライセンスを得てWEITBLICKが新たにマスタリングしなおして再発売の運びとなりました。ブルックナーとマーラーを同等のハイレベルで演奏しえた名匠ケーゲルの貴重な遺産です。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。』『 当演奏は初出当時から極めて評価の高かったものです。リズム重視で厳格にして快活なテンポ設定。ケーゲルらしい隅々までレントゲン照射したかのように音形を浮かび上がらせた名演です。幻想味を強調せず、どこまでも現実的な演奏と言えましょう。楽曲を合理的に再構築してしまう手腕はヴァントに通じるものがあります。思えば、放送オケとの親密な関係、練習狂と言った面も似ております。※タイミング[19:53][16:12][10:58][22:44] 』(以上『内』、代理店のインフォメーションより)
 #ODE CLASSICS発売時の、代理店提供文を元にした当店コメントも、参考までに併記します。「過激で下品でド迫力。スケルツォもかなりテンポが早く、当レーベルの目玉の一つ」
ケーゲル&ライプツィヒ放響の「ブル4」、再発売
 ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
 録音:1971年9月21日、ペタニエン教会、ライプツィヒ、ステレオ、ライヴ。前出: ODE CLASSICS ODCL-1015(廃盤/入手不能)。
 『第4番「ロマンティック」も表題に逆らうかのような演奏。スタイルはクール、情熱は火の玉のような個性的名演です。冒頭こそ、ゆっくりと風情豊かですが次第に温まってくると、ケーゲル本来の偏執的徹底振りが目立つ演奏となって参ります。特に第3楽章のスケルツォの運動神経は特筆もので、この曲が取りとめがなく、ブルックナーの中でも内容に乏しいなどという偏見を振り払うに十分な名演です。第4楽章のフィナーレの回顧などひょっとしたら、この曲はブルックナーの「エロイカ」なんではないかと妄想してしまうほどの雄渾振りです。「ハース版」を基調としていますが、第1楽章展開部にティンパニ追加など、ところどころ味付けがあります。※演奏タイミング[19:01][17:40][10:41][21:14]』(以上『内』、代理店のインフォメーションより)
 #ODE CLASSICS発売時の、代理店提供文を元にした当店コメントも、参考までに併記します。「スケールが大きく、弦楽器も美音で鳴り、実に堂々としている」
ケーゲル&ライプツィヒ放響の「ブル3」、再発売
 ブルックナー:交響曲第3番「ワーグナー」
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
 録音:1978年6月6日、コングレスハレ、ライプツィヒ。ステレオ、ライヴ。前出: ODE CLASSICS ODCL-1012(廃盤/入手不能)。
 『鬼才ヘルベルト・ケーゲルによるブルックナーの交響曲は1999年にODE CLASSICSより一気に7曲が発売されて、演奏水準の高さでファンの度肝を抜きましたがレーベル解散もあって、長らく廃盤となっておりました。今回改めて、ケーゲル未亡人、ドイツ放送アーカイヴのライセンスを得てWEITBLICKが新たにマスタリングしなおして再発売の運びとなりました。ブルックナーとマーラーを同等のハイレベルで演奏しえた名匠ケーゲルの貴重な遺産です。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。』『演奏はリズム重視の極めて厳しいものです。細部まで神経がピリピリと尖っていますのでブルックナーに大らかさやのどかさを求める方には反感を買う恐れがあります。特にこの第3番はゲヴァントハウス管とのライヴ(1986年,SSS-0042-2)が伝統を尊重した古典的演奏であるのに対し、こちらはイメージ通りのケーゲルとも言えるアジテーションたっぷりの過激演奏と言えましょう。※演奏タイミング[19:39][13:51][7:02][11:45]』(以上『内』、代理店のインフォメーションより)
 #ODE CLASSICS発売時の、代理店提供文を元にした当店コメントも、参考までに併記します。「バスのリズム感が見事で、非常にダイナミックかつバランスの取れた演奏ながら、金管が分離はしっかりしているながらも咆哮している」
朝比奈隆&スウェーデン放響 1956年ライヴ、初出
 メンデルスゾーン:「フィンガルの洞窟」序曲
 芥川也寸志:弦楽のための3楽章「トリプティク」より
        〔第1楽章/第2楽章〕
 ベートーヴェン:交響曲第4番
朝比奈隆指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1956年12月1日、ライヴ、モノラル。初出音源。英語、日本語、独語によるライナーノート付(ヘンリー・フォーゲル,元シカゴ響総裁)。
 『巨匠朝比奈は1953年にヘルシンキ・フィルへ初客演して以降、ヨーロッパでの指揮活動を活発化させていきます。1956年6月にはベルリン・フィルに初登場、その年の12月にスウェーデン放送交響楽団に出演したライヴがここに登場します。曲目もベルリン・フィル・デビューで取り上げた十八番のベートーヴェンの第4番です。当コンサートは、日本とスウェーデンの指揮者交換という試みで、仲介役はあのクルト・ヴェス。スウェーデンからは、ステン・フリクベリが来日、朝比奈はスウェーデン放送響、エーテボリ響に客演しました。
  「フィンガルの洞窟」からしてエキサイティングな演奏で、当時の朝比奈の情熱の迸りには圧倒されます。そして後年はほとんど指揮しなかった芥川作品(クルト・ヴェスが委嘱・初演)もスウェーデンに紹介、極めて遅いテンポによるユニークな演奏です。そしてベートーヴェン、これは朝比奈がフルトヴェングラーの影響下にあったことの証明とも言える演奏です。ただし、朝比奈は既に晩年に見せたインテンポを基調とした悠然としたベートーヴェンを確立していることも事実です。重厚な低弦は朝比奈ならではで、朝比奈はこの頃から十分に大指揮者の資質があったのではないでしょうか?
  このコンサートは長らく1956年11月27日の演奏とされてきましたが、新たな調査の結果当時の出演料支払い明細までもが見つかり、12月1日と判明しました。   注目の音質ですが、保存状態が極めて良好で、当時のレコード用スタジオ録音と比較しても遜色のないもので十分に観賞用として楽しめます。』(以上、代理店のインフォメーションより)
プレートル&ベルリン・ドイツ響
 フォーレ:レクイエム
 ドビュッシー:夜想曲(女声合唱付)
ジョルジュ・プレートル指揮
ベルリン・ドイツso.
ミヒャエル・グレイザー指揮
ベルリン放送cho.
オレシャ・ゴロヴネヴァ(S)
クレメンス・ザンダー(Br)
 録音:2007年3月4日、フィルハーモニー・ベルリン、ライヴ。ディジタル、初出音源。
 これはインパクトあり。プレートルは今も声楽付大曲を好んで指揮するが、待ちわびていた「フォーレク」の登場。同曲の歴史的名盤といえばクリュイタンスだが、プレートルのアプローチはやはり華麗壮麗かつ、ムーディ。変に神妙に卑屈にならないところが巨匠らしいところで、思い切りの良い音の切り方など、大胆でかつ絶美。ドビュッシーも嬉しいカップリングで、神経質な部分などまるでなし、大らかで悠々とかつ上品に歌い上げる。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
ジョルジュ・プレートル&ベルリン・ドイツ響、初出あり
 ムソルグスキー/ラヴェル編:組曲「展覧会の絵」(*)
 ラヴェル:
  「ダフニスとクロエ」第2組曲(#)/ボレロ(+)
ジョルジュ・プレートル指揮
ベルリン・ドイツso.
ベルリン放送cho.
 録音:2008年10月27日(*)、2007年3月4日(#)、2001年10月15日(+)、以上、フィルハーモニー・ベルリン、ライヴ、ディジタル。(#)はおそらく初出音源。他の2曲はCD-R使用の各レーベル[(*)はVON'Z S-1-318 /(+) はSOUNDS SUPREME 2S-018]でそれぞれ出ていた物だが、マスターからの初復刻。 英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
 WEITBLICKではドイツ・オーストリア音楽のそれも交響曲の大曲をリリースし続けて来たが、満を持してファン待望のラヴェルをフューチャーした作品集が登場、いずれもディジタル録音。「展覧会」はパリ管との来日公演でも聴かせた十八番。分析的でも数理的とも違う「文学的」とも言えるアプローチで正にやりたい放題。テンポの揺らぎ、フレージングの自在さには驚くばかり。「キエフの大門」の迫力も見事。聴衆の熱狂も納得の名演。「ダフニス」第2組曲は沸き立つような色彩と音の戯れは巨匠らしいセンス溢れる名演。延々と終わらぬコーダはミュンシュもビックリだろう。「ボレロ」もこれを聴けば昨今の演奏が単にリズムを与えているだけでは?と思えるほどの痴態、乱れっぷりでアンニュイな官能を描きつくす。ベルリンの聴衆も大喜びの名演。いずれも巨匠にとって音盤初レパートリー。
シノーポリ・シリーズ Vol.2〜マーラー
 交響曲第6番「悲劇的」(*)/
 交響曲第10番〜アダージョ(#)
ジュゼッペ・シノーポリ指揮
シュトゥットガルト放送so.
 録音:1985年5月8日(*)/1981年1月28日(#)、以上 シュトゥットガルト・リーダーハレ、ライヴ。ソース:シュトゥットガルト放送提供。おそらく初出音源。
 『第10番アダージョは、フィルハーモニア管とのスタジオ録音(1987年)が32分を超える壮大な演奏でしたが、こちらもやはり[29:01]というスローテンポです。何よりもシノーポリのデビュー間もない頃のマーラーが聞けるというのも嬉しいことです。1981年というとまだチェリビダッケが客演を続けていた頃ですから、ひょっとしたらシュトウットガルト放送響の清澄な美音はチェリビダッケの余韻なのかもしれません。第6番「悲劇的」は、スケルツォを第2楽章におき、タイミングは[23:32][13:04][18:07][32:10]となっており、肥大感と若干のダレが感じられたスタジオ録音盤より妥当な解釈と感じられます。フィルハーモニア管とのスタジオ録音がヴァイオリンを両翼に配したものであるのに対し、これらのCDは前作第3番同様一般的配置で、実はシノーポリはライヴではほとんどこの配置で演奏していたのです。※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。』(以上『内』、代理店のインフォメーションより)
SSS-0108-2
(2CD)
廃盤
シノーポリ・シリーズ Vol.1〜マーラー:交響曲第3番 ニ短調
 ヴァルトラウト・マイアー(A) ジュゼッペ・シノーポリ指揮
 シュトゥットガルト放送so.、同女声cho.、ケルン放送女声cho. シュトゥットガルト聖歌児童cho.
朝比奈隆・ヨーロッパ・ライヴ Vol.2〜
 ハイドン:交響曲集

 [第92番「オックスフォード」(*)/第99番(#)]
1975年渡独時のインタビュー
朝比奈隆指揮
ベルリン・ドイツso.
(旧・西ベルリン放送so.)
 録音:1971年2月8日-11日(*)/1974年2月18日-19日(#)、以上セッション、ステレオ。おそらく初出音源&朝比奈のディスク初レパートリー。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
 『「我々はハイドンの時代にハイドンがどういう風に演奏されていたかを知る由もない。それにもし我々がその時代にタイムスリップして、その時代の演奏を聴けたとしてもベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、マーラーを経験している我々が当時の聴衆と同じ感想を持つとは思えない。その意味で朝比奈のハイドンはロマン性に傾斜したものだが、テクスチャはクリア、リズムは活発で情熱的でもある。そして温かみと雅趣がそこにはある。試みに第99番のトリオを聴いていただきたい。音楽の微笑のみならず指揮者の微笑すら発見できるだろう』(ヘンリー・フォーゲル[元シカゴ響総裁]のライナーノートより)
 朝比奈ヨーロッパ・ライヴ第2弾。朝比奈は晩年ハイドンを取上げることはほとんど無かったが、オーケストラの基本レパートリーであるハイドンにも造詣深く全交響曲演奏を目論んだこともあるほど。音盤初登場となる名曲2題はベルリン放送so.(現ベルリン・ドイツ響)との共演という点がファンを狂喜させよう。演奏スタイルは現今主流であるピリオド・アプローチの対極にありアーベントロート、クナッパーツブッシュ、フルトヴェングラーを彷彿とさせる豊穣で大らかな名演。定期演奏会ではなく放送用のセッション録音であり、如何に朝比奈が放送局、オケから信頼されていたかを物語る。堪能なドイツ語で応対するインタビュー付。
朝比奈隆・ヨーロッパ・ライヴ Vol.1
 ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
朝比奈隆指揮
ベルリン・ドイツso.
(旧西ベルリン放送so.)
 録音:1989年9月24日、ベルリン・フィルハーモニー、第39回ベルリン芸術週間ライヴ。初出音源。
 『1994年、私が朝比奈隆をシカゴ交響楽団に招くことを決意したとき、当時私はオーケストラの総裁であったが、音楽監督バレンボイムを説得する要があった。彼は朝比奈がどんな指揮をするか全く知らなかったので。私が朝比奈のブルックナー交響曲第8番のレコードをかけると、バレンボイムは即座に承諾した。そして優れて観察力の鋭いコメントをした。朝比奈はフルトヴェングラーのリハーサルに立会い彼と話をしたことがあると私が言うと、バレンボイムは“実のところ、彼の指揮は私に同時期だけれど別のドイツの巨匠−クナッパーツブッシュをより強く思い起こさせる”と答えた。この言葉を私は常に覚えている。このディスクの「英雄」交響曲を聴くとき、この言葉こそまさに的を射たコメントである』(ヘンリー・フォーゲル[元シカゴ響総裁]/ライナーノートより)
 当演奏は日本でもFMで放送された物。そのアプローチは同年の新日本フィルとの名盤(FONTEC; 全集)となんら変わるところはないが、ベルリン・ドイツ響(当時は西ベルリン放送so.)のソリスティックな部分の妙技や音色の味わいの濃さには抗し難い魅力がある。朝比奈と同オケとの共演は放送収録を含めて複数回に及ぶが、この演奏会が最後の共演となった。新聞批評は真っ二つに割れたと言われているが、鳴りっぷり豊かで構えの大きい演奏は朝比奈ファンなら納得の名演であることは言うまでもない。スケルツォ冒頭の極端な遅さなど朝比奈が自分の解釈を名門オケで試しているかのようだ。この年ベルリン芸術週間は第39回目。7月に亡くなったカラヤンを偲ぶ追悼演奏会も含まれた豪華版だった。2ヵ月後には壁崩壊という劇的な変化の真っ只中のベルリンで、まだまだ元気一杯の巨匠朝比奈が渾身の力を込めて振った「エロイカ」の登場。
 演奏タイミング:[20:22/18:27/6:52/13:10]。英語・日本語・ドイツ語によるライナーノート付。
 #今後のシリーズ発売予定:ブルックナー:交響曲第6番(トーンキュンストラーo.)、ハイドン:交響曲第92番、99番(ベルリン・ドイツ響)、R.シュトラウス:アルプス交響曲(ベルリン・ドイツ響)、ベートーヴェン:交響曲第4番(スウェーデン放送so.)、ショスタコーヴィチ:交響曲第1番(イェーテボリso.)他
ラインスドルフ&ベルリン放響〔現・ベルリン・ドイツ響〕の「合唱」
 ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
 ルーシー・ピーコック(S) ジークリンデ・ヴァーグナー(A)
 マンフレート・ユング(T) ハラルト・シュタム(B) エーリヒ・ラインスドルフ指揮
 ベルリン・ドイツso.(旧 西ベルリン放送so.)、聖ヘドヴィヒ教会cho.
 録音:1978年9月18日、ベルリン・フィルハーモニー、ライヴ。以前 CD-R 使用の SARDANA から SACD-234(廃盤)で発売されていた演奏だが、マスターからの初復刻。
 『私はラインスドルフに尋ねたことがある。ボストン響常任時代に残したスタジオ録音と同時期に放送された同じ曲目のライヴ演奏の違いがなぜここまであからさまなのかと。彼は雄弁に答えた。演奏家が後世に残る記録としてスタジオ録音する場合に求められることとは「演奏を一回だけ聴く場合には効果的だし輝かしくも聴こえる解釈上の盛上げや強調は、レコードとして繰り返し聴く場合には聴き手を疲れさせる場合もあるのですよ。だからスタジオ録音の時はそういうルバートの量とか、音量の変化、テンポの伸縮なんかを抑えているのです」と』(ヘンリー・フォーゲル[元シカゴ響総裁]/ライナーノートより)
 この回答が表すとおり、巨匠エーリヒ・ラインスドルフ(1912-1993)は演奏会と録音を別に考えていたことが明らか。それ故に多くのスタジオ録音が覇気に欠け、真っ当だけれども面白くないという結果になったのだろう。多くのレパートリーがこうして録音されたために、ラインスドルフの評価は日本では高いとは言えない。おまけに若い頃は凄かったが、年を取ってから駄目になったなど謂れのない誹謗もある。ここに聴くベルリン・ドイツ響(ベルリン放送so.)との「第9」は、首席指揮者就任早々(就任記念?)の演奏で厳しい練習が想像できる見事なアンサンブル、タイミングが示すとおりの快速でトスカニーニの歴史的解釈を思わせる緊張感溢れる爽快な名演。ドミンゴ参加というだけで知られるRCAへのスタジオ録音とは別人のような生命力。変幻自在なテンポも面白く飽きない。各楽章開始を告げる指揮棒で指揮台を叩く音はラインスドルフの怖い視線を感じさせる。第4楽章で独唱、合唱がうねりを上げる所はオペラに長じた名指揮者ならでは。聖ヘドヴィヒ教会合唱団は、BPOとの唯一の録音であるシューベルトのミサ曲でも採用されているので、お気に入りだったのだろう。ラインスドルフは厳しすぎたのか、2年しかドイツ響首席を維持できなかった。オケと何らかのトラブル(喧嘩?)があったと思われ、ドイツ響のプロフィールでもあまり彼の時代には触れられていない。ラインスドルフに疑問を持っている方にこそ聴いて頂きたい「第9」。
 演奏タイミング:[15:37][12:30][14:29][23:37]/英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
プレートルの「ブル7」
 ブルックナー:交響曲第7番(ノヴァーク版)
ジョルジュ・プレートル指揮
ベルリン・ドイツ交響楽団
 録音:2006年5月1日、ベルリン・フィルハーモニー、ライヴ。CD-R 使用の DIRIGENTから DIR-0058 で発売されているものだが、マスターからの初発売。DIRIGENT 盤には音飛びもあった。
 こういう巨匠が今も存命でしかも次々と名演を聴かせてくれる事にこそ感謝したい……と好事家をして唸らせる巨匠の中の巨匠プレートル。ウィーン響との第8番(SSS-0096-2)でも過激な演奏を聴かせた巨匠だが、この第7番も一筋縄ではいかない演奏。第1楽章は17分台という猛スピード。第2楽章もその推進力を継続しながら、豊麗豊穣な音響でクライマックスにおいて聴き手に驚きと深い感動をもたらす。第3楽章、第4楽章は並みの指揮者だとどう終わって良いのか分からないような演奏も散見されるが、前2楽章に劣らぬ充実でちゃんと話の結末をつけてくれる。最も聞かせ上手な演奏と言えるだろう。ベルリン・ドイツ響も巨匠の個性的な棒にしっかり食らい付いていて好感が持てる。演奏タイミング:[17:51][21:44][9:19][11:07]/英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
クルト・ザンデルリング追悼
 モーツァルト:交響曲第39番
 ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
クルト・ザンデルリング指揮
ベルリン・ドイツso.
 録音:1991年12月2日、シャウシュピールハウス〔現・コンツェルトハウス〕、ベルリン、ライヴ。『引退してほぼ10年とは言え、亡くなられてみると寂しいものがあります。巨匠の生前に許諾を得ていた、モーツァルトの第39番と「田園」の登場です。ザンデルリングはコンサートの前半にハイドンを演奏することが多く、その演奏はいつも活き活きとして、絶品でした。今回は珍しくモーツァルトの第 39番(初出レパートリー)を聴かせてくれます。随分とロマンティックな演奏で、ザンデルリングらしい恰幅良く、豊かなスケールを誇ります。どこまでも柔らかく旋律美を強調した名演です。「田園」は巨匠の愛奏曲といって差し支えありません。とにかくスタイリッシュな演奏で、音色はとても美しく、ザンデルリングならではの思い切りの良さも楽しめドラマティックでもあります。ベルリン・ドイツ響とは、ほぼ毎年客演し良好な関係でした。「田園」は 1997年にも再度取上げており、よほど気に入っていたと言えるでしょう。御承知の通り、ベルリン・ドイツ響の普段の演奏会場はフィルハーモニーですが、この当時はアスベスト除去改修で旧東ベルリンに位置しザンデルリングに馴染み深いシャウシュピールハウス(現コンツェルトハウス)での美しい一夜となりました(同様の理由でアバドのブラームス全集も一部がシャウシュピールハウスでライヴ収録です)。そんなことを思い出すのも感慨深いものがあります。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。』
SSS-0100-2
(2CD)
廃盤
ドラティ&ベルリン・ドイツ響のマーラー「第9」
 マーラー:交響曲第9番
アンタル・ドラティ指揮
ベルリン・ドイツso.
(旧西ベルリン放送so.)
SSS-0099-2
廃盤
ホルスト・シュタイン&ベルリン・ドイツ響
 ベートーヴェン:
  交響曲第3番「英雄」/
  「プロメテウスの創造物」序曲
ホルスト・シュタイン指揮
ベルリン・ドイツso.
ヨッフム&ベルリン・ドイツ響
 1981年ブラームス・プログラム Vol.2

 ブラームス:交響曲第1番
オイゲン・ヨッフム指揮
ベルリン・ドイツso.
(西ベルリン放送so.)
 録音:1981年6月7日-8日、フィルハーモニー、ベルリン。ステレオ、ライヴ。GNP から GNP-77/8で、1981年6月8日のみのライヴが発売されている物だが、マスターからの初復刻。
 『巨匠ヨッフムがフルトヴェングラーの影響から脱却進化し、壮絶なドラマ性をそのまま保持しつつ、宇宙的なスケールの大きさの表出に成功した絶後の名演です。晩年に真の巨匠となったヨッフムですが、ことブラームスの第1交響曲に関しては、最後のスタジオ録音は、ロンドンフィルでしたので、ドイツの名門ベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ響)との当盤は歓迎されることでしょう。特筆すべきは希代のオーケストラ・ビルダー、ラインスドルフが首席を務めていた時代なので、ベルリン放送響は、トレーニングが行き届いていることで、ティンパニなど凄い妙技を聴かせてくれます。第3楽章のクラリネット・ソロなど如何にもドイツのオケらしい音色が嬉しいところです。』(以上『』内、代理店のインフォメーションをそのまま掲載)
 英語、日本語、ドイツ語によるライナー・ノート付。
ヨッフム&ベルリン・ドイツ響
 1981年ブラームス・プログラム Vol.1〜
  ヨッフム + ラローチャ

 ブラームス:ピアノ協奏曲第2番
アリシア・デ・ラローチャ(P)
オイゲン・ヨッフム指揮
ベルリン・ドイツso.
(西ベルリン放送so.)
 録音:1981年6月7日-8日、フィルハーモニー、ベルリン。ステレオ、ライヴ。GNP から GNP-77/8で、1981年6月8日のみのライヴが発売されている物だが、マスターからの初復刻。
 『例えば第1楽章の主題が長調から短調へと転じる一瞬、ラローチャの指先からは繊細の極みの弱音が生まれ、とてつもない寂寥感を漂わせるが、再び長調となれば、温かな母性が最大の慰めで淋しさを包み込む。対するヨッフムもラローチャの表現の万華鏡を心からめでつつ、的確な棒さばきで室内楽的な対話を繰り広げる。』(池田 卓夫/ライナー・ノートより)
 巨匠オイゲン・ヨッフム+ベルリン・ドイツ響のブラームス・プロ第1弾発売。ソリストには全盛期のラローチャを迎えて南欧風のリラックスと濃厚なロマンを謳い上げる。楽曲初演から100年を記念してラローチャは、この年の5月には、日本で朝比奈隆指揮大阪フィル、山田一雄指揮日本フィルともこの曲を披露している。デッカ、RCAにも録音がなく、「ラローチャのドイツ物」の実力を知る好企画。
 英語、日本語、ドイツ語によるライナー・ノート付。
プレートル&VSOの「ブル8」、マスターからの初発売
 ブルックナー:交響曲第8番(ノヴァーク版)
ジョルジュ・プレートル指揮
ウィーンso.
 録音:2008年2月20日-21日、ムジークフェラインザール・ウィーン、ディジタル・ライヴ。CD-R使用の HARVEST CLASSICS から、2008年2月21日の演奏が HC-06170 (廃盤) という番号で発売された物だが、マスターからの初発売。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
 今やブレイク中のマエストロ、プレートル。ついに世界中の交響曲の中で聳え立つ傑作ブル8の登場。プレートルはマーラーと同様にブルックナーについても並々ならぬ意欲を見せており、ウィーン響とだけでも第1番、第4番、第5番、第9番を取り上げているが、8番の音盤はこれ以前には全く発売されたことがなかった。ニューイヤーコンサートで沸かせに沸かせたムジークフェラインに一ヶ月をおいて戻ってきたプレートルが、頻々とテンポを動かし、ドラマを楽想に抽入しアグレッシヴなブルックナーを聴かせる。火の玉のようなプレートルの情熱には脱帽。ウィーン響の献身的な演奏もこの名演の大きな魅力。タイミングは、14:58, 14:47, 27:26, 22:41。
プレートル&VSOのベートーヴェン「合唱」
 ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
キム・ベグリー(T)
ローベルト・ホル(Br)
クラシミラ・ストヤノヴァ(S)
キャサリン・ゲルドナー(Ms)
ジョルジュ・プレートル指揮
ウィーンso.,ウィーン楽友協会cho.
 録音:2006年5月30日、ムジークフェラインザール・ウィーン、ディジタル・ライヴ。おそらく初出音源。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
 2008年はウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート出演を皮切りに、WEITBLICKからもマーラー第5、第6の凄演が登場し、音楽ファンを狂喜させたプレートル。一躍注目を集める存在となった最後の巨匠による最新盤は第9、お相手はもちろんウィーンso.! 2006年ウィーン芸術週間のハイライトとも言える名演で、巨匠も盛り上がって怒鳴る、唸る、足踏みするわで、大変なノリの良さ。第1楽章、第2楽章の恐ろしい緊張感、第3楽章におけるしみじみとした、そして美しい音色が嬉しく、第4楽章は一撃突進の大迫力。巨匠プレートルの情熱のバトンが閃き、演奏会初日故の高揚が止まらない。まさに感性の芸術家プレートルの真骨頂。
SSS-0093-2
廃盤
ブロムシュテット&ドレスデン〜
 ベルリオーズ
:幻想交響曲
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
シュターツカペレ・ドレスデン
ブロムシュテット&ドレスデン〜
 ブラームス
:交響曲第1番
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
シュターツカペレ・ドレスデン
 録音:1991年6月7日、クルトゥア・パラスト・ドレスデン、ステレオ・ライヴ。CD-R 使用の EN LARMES から ELS-01-93 ( + マイヤーとのモーツァルト:クラリネット協奏曲)で出ている演奏だが、今回がマスターからの初復刻&初プレス盤化。
 我が国でも実演を何度と無く繰り返している十八番レパートリーだが、意外にも、プレス盤CDでは初登場のレパートリー(ライヴ演奏は多く、CD-R使用のレーベルからは複数発売されている)。シュターツカペレ・ドレスデンのブラ1というのも、意外と少ない(代理店によると「ザンデルリングだけではないだろうか」とのこと)。演奏は誠実そのもののブロムシュテット流。はったりこけおどし一切無しでここまで説得力がある名演はそうそうない。
 ブロムシュテット自身も「いずれも現在の私の解釈とは全く異なるものの、ドレスデンとの美しい想い出の記録」とリリース許可、嬉しいことにご本人によるライナーノート(英語、日本語、ドイツ語)が付くと言う。
ザンデルリング&ベルリン響〜ベートーヴェン
 交響曲第2番(*)/交響曲第5番「運命」(#)
クルト・ザンデルリング指揮
ベルリンso.
 録音:1973年7月28日、メトロポールシアター、ベルリン(*)/1984年10月1日、シャウシュピールハウス、ベルリン(#)、以上ステレオ、ライヴ。(*)はおそらく初出音源。(#)は以前 CAPRICCIO / LASERLIGHT から発売があった演奏の模様(以前は1980年録音とされていた)。
 お待ちかね、ザンデルリングのベートーヴェン・ライヴ。手兵ベルリンso.を駆使して、本場物のドイツ音楽を堪能させる。第2番は愛奏曲で活動最後期まで演奏を繰り返した。この時代から大巨匠の風格十分のゆったりした悠久の名演。第5番「運命」は、途中からレパートリーから外してしまった曲目。こちらは、シャウシュピールハウス、ベルリン(現コンツェルトハウス、ベルリン)の杮落とし公演で、旧東ベルリン芸術週間の枠組みの記念コンサート。かつてCAPRICCIOから出たことがあるが入手困難になっていた。今回はDRA提供のマスター・テープよりの復刻で既出盤よりも残響が抑え目になっており、細かい所の混濁が避けられている。力強い横綱相撲とでも例えたい極めつけの名演。
 英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
SSS-0090-2
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(2CD)
1CD価格
スヴェトラーノフ・ワーグナー・アーベント1988
 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
  〜第1幕、第3幕前奏曲/
 「ローエングリン」〜第1幕、第3幕前奏曲/
 「タンホイザー」序曲/
 「トリスタンとイゾルデ」〜「前奏曲と愛の死」/
 「ジークフリート」〜「森の囁き」/
 「ジークフリート牧歌」/
 「ワルキューレ」第3幕〜「ワルキューレの騎行」
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
ミュンヘンpo.
 録音:1988年12月、ガスタイク・フィルハーモニー、ディジタル・ライヴ録音。
 旧ソ連の巨匠指揮者エフゲニー・スヴェトラーノフが、チェリビダッケが完全統治をなしたミュンヘン・フィルに客演したワーグナー・アーベント(恐らくこれが唯一の共演と思われる)・ライヴ。ゆっくり、たっぷりとしたテンポが採用され、ソビエト国立響との演奏で聴かれたバリバリ、ガリガリの雄叫びは陰を潜め、しっとりとした落ち着きと極大な包容力を誇る魅力たっぷりの名演集。1988年というとチェリビダッケが鍛えに鍛えた全盛期のミュンヘン・フィル。シルキーで透明な弦楽合奏の美音、マッシヴな金管の咆哮、アンサンブルの精緻は滅多に耳にすることのできない逸品。「ミュンヘン・フィルを隅々まで知る男」許光俊氏、「スヴェトラーノフを味わいつくした男」はやしひろし氏による微細に渡る分析と、丁寧な紹介が嬉しいライナーノートも魅力。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
 許光俊氏のライナーノートより:『最初の「マイスタージンガー」第1幕前奏曲はやや雑然としているが、2曲目の第3幕前奏曲以後は、この指揮者とオーケストラが意外なほどに調和しているさまが見て取れる。これは、すでに老いを自覚し、雑念や欲から逃れようとする主人公がもの思いに耽る場面で奏される音楽である。オペラ全体の中でもっとも深みのある音楽のひとつとされているけれど、ここでのスヴェトラーノフのように感情豊かに奏でた例は空前絶後ではないか。おそらく劇場では難しいであろうほどのゆっくりしたテンポで、ひとりの男の胸に去来するもの、すなわち自分は去らねばならないと知った人間の悲しみをじっくりと描き出す。豊満な音色の弦楽器は時にすすり泣くようにも聞こえるし、2分過ぎからなど、まさしく溜め息そのものような音楽だ。ヴァイオリンやフルートのあまりにも澄んだ響きは、さすがにチェリビダッケとともに繰り返しブルックナーを演奏し続けてきた楽団ならではの美しさである。
  続く「ローエングリン」第1幕前奏曲も息をのむような美しさで、陶酔的だ。単に音響的に美しいというだけではない。醜悪なこの世界を逃れて、美しい世界に憧れる強い気持がどうしようもなく切々と示されているのである。私はこの「ローエングリン」第1幕前奏曲ほど、現実の世界に絶望し、別世界を夢想してそれに殉じようとするロマン主義芸術家たちの悲惨と栄光と誇りを表現したものはないと思っているが、スヴェトラーノフが奏でたのはまさしくそのような音楽だ。ついに感極まったように金管楽器群が圧倒的な音響の大伽藍を築きあげるとき、そこに鳴っているのはまさにひとつの精神である。先の曲と同じくこの曲でも、時間が完全に止まっているのではないかという不思議な印象を受ける。これに比べれば、たとえばカラヤンの演奏など、いかに美麗であっても、ただの雑音に過ぎない。』
 はやしひろし氏のライナーノートより:『では、この演奏、客演機会が少ない場合のご多分にもれず平凡なものか? それも否である。 この演奏、オケが実に活き活きとしてよく鳴っているのだ。 弦が表情タップリに深々と大きめの呼吸の元で奏でられ、木管がリズミカルに跳ね、金管がスパーンと強く奏される。 この開放的な鳴りの良さはとても魅力的である。
スヴェトラーノフが客演すると共通して「オケの音とスケールが普段より大きくなった」とよく言われる。N響への客演で実際にそう感じられた方も多いだろう。これは、彼が左手を振り上げそう要求していることもあるが、彼を前にすると、楽団員が無意識のうちに、自身を開放させ、呼吸が大きくなり、結果、強く大きな音が出るようになるらしい。 <中略>スヴェトラーノフとチェリビダッケ支配下のミュンヘン・フィル、そしてワーグナー。いずれの組み合わせも、固定観念では発想しがたく、実現した経緯も半分イベント的な意図だったかもしれない。しかし、その結果、高い次元でスタンダードさと開放的な力強さのバランスが取れた名演が生まれた。 最もドイツ的なオケによる力の漲った鳴りっぷりのいいワーグナーの名演、と言ってもいいかもしれない。 それは、逆にこのコンビだったからこそ誕生し得たものであり、いつもとは異なり、自国の音楽をストレスフリーで楽しんでいる楽員の活き活きとした表情が見えるかのようなワーグナーなのである。』
ヨッフム&ミュンヘン・フィルの「ブル7」、初出
 ブルックナー:交響曲第7番(ノヴァーク版)
オイゲン・ヨッフム指揮
ミュンヘンpo.
 録音:1979年11月8日、ヘルクレスザール・ミュンヘン、ライヴ。ステレオ、初出音源。
 「ブル9」(SSS-0071-2)の驚くべき名演でマニアの圧倒的支持を受けたヨッフム&ミュンヘン・フィルのブルックナー。絶美のブル7が登場する。ヨッフムは多くの演奏をスタジオ・ライヴに問わず遺しているが、当演奏は枯れ切った来日公演(1986年)と、元気いっぱいだが若干落ち着かない印象のある1960年代のスタジオ録音との中間にして理想形とも言える見事な演奏。ミュンヘン・フィルの演奏水準はチェリビダッケ着任早々ながら非常に高く、鄙びた味わいは南ドイツのオーケストラならでは。音色にうるさいブルックナー・マニアも唸らせる名演と言えるだろう。本来熱しやすい音楽家であるヨッフムによるブルックナーの解釈が、動的なから静的なものに傾斜していく、まさにその瞬間を捕らえたライヴ。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
ザンデルリング&ウィーン響 1990年代後半ライヴ Vol.2
 チャイコフスキー:交響曲第4番(*)
 ムソルグスキー/ショスタコーヴィチ版:
  「ホヴァンシチナ」序曲(#)
クルト・ザンデルリング指揮
ウィーンso.
 録音:1998年12月17日(*)/1997年10月4日(#)、以上、ウィーン・コンツェルトハウス大ホール、ディジタル・ライヴ。(#)はおそらく初出音源。(*)はおそらく VIBRATO から VLL-116 で出ている(ただし月と日の記載無し)物だが、マスターからの初復刻。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
 チャイ4も十八番で活動最後期まで手放さなかった愛想曲。華麗で荘重。ベルリン響とのスタジオ録音から20年を経た気品あふれる名演。スケールは極大だが、そこはかとない寂寥感が如何にもザンデルリングらしいところ。音色のブレンドに凄腕を持つ巨匠に対し、オーケストラの機能美にも打たれる。「ホヴァンシチナ」序曲も初出演目。しみじみとした憂愁、鄙びたビターな味わいには感服。
 巨匠ザンデルリンクは、2002年に演奏活動から引退する直前までヨーロッパ各地の名門オケに客演を繰り返し、どのオーケストラからも驚異的高水準の演奏を引出すことで尊敬を集めた。ほぼ毎年客演したウィーン交響楽団との相性も抜群で、機能的でストレートな反応にザンデルリンクの豪快なドライヴが見事に決まる。今回の4曲はいずれもドクター・ザンデルリングからリリース快諾を得たとの事。
ザンデルリング&ウィーン響 1990年代後半ライヴ Vol.1
 ハイドン:交響曲第94番「驚愕」(*)
 ブラームス:交響曲第3番(#)
クルト・ザンデルリング指揮
ウィーンso.
 録音:1998年12月17日(*)/1997年10月4日(#)、以上、ウィーン・コンツェルトハウス大ホール、ディジタル・ライヴ。(#)はおそらく初出音源。(*)はEN LARMESから ELS-00-7 で出ている物だが、マスターからの初復刻。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
 巨匠お得意のブラ3では普段の渋みにウィーン響の華やかさが加味され絶妙。カップリングの「驚愕」はあるようでなかったディスク初登場レパートリー。ハイドンを面白く聴かせる第一人者の巨匠ゆえに、堅苦しさや優等生的な融通の利かなさはまるでなく、愉悦と大胆な遊び心に満ちた快演。やはり第2楽章の豪快な「バシンっ」には痺れる。
SSS-0085/86-2
(2CD)
廃盤
ヨッフム&ドレスデン、ブラームス・ライヴ
 ブラームス:
  ピアノ協奏曲第2番/交響曲第4番
ミシェル・ベロフ(P)
オイゲン・ヨッフム指揮
シュターツカペレ・ドレスデン
SSS-0084-2
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(2CD)
1CD価格
マタチッチ 1982年の「我が祖国」
 マスターからの初復刻、宇野功芳氏絶賛!

 スメタナ:連作交響詩「我が祖国」全曲
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮
ウィーン放送so.
(オーストリア放送so.)
 録音:1982年1月14日、ウィーン・ムジークフェラインザール、ライヴ。おそらくHALLOO HAL-07/8 (廃盤)& RE! DISCOVER RED-47 で既出(ただし、これまでは1980年代の演奏とされていた。また、オーケストラも改称前のオーストリア放送so.とされていた)の演奏で、今回がマスターからの初復刻。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
 WEITBLICKより:『このリリースには非常な困難を擁しました。オーケストラが名称もウィーン放送響と変更になった上に、ド・ビリー体制であることを前面に出したい(!)という意向があり過去の録音のリリースに否定的であったことです。しかしこれだけの演奏を埋もれたままにしておくことは偲びなく、マタチッチ財団とともに説得し、最終的に応じてくれました。一言で言って最重量級の演奏であり、標題音楽であることを全面に出した情感豊かな演奏です。試みに演奏時間を記します。[17’20”][13’30”][10’47”][13’22”][14’26”][14’55”]』
 『第一曲「高い城」(Vysehrad)の冒頭、ハープが弾く“高い城”の動機の雄弁なこと!これだけで聴き手の心はわしづかみにされる。曲が進むにつれ、マタチッチが創り出すひびきの重量感、ものものしさ、スケールの大きさに圧倒される。ヴァイオリンはむせるように歌うが、つねに深い苦味を湛えているのである。第二曲「モルダウ」(Vltava)。なんとなく不器用な出がいかにもマタチッチらしく、まさに人間が演奏している音楽だ(今は機械が演奏しているようなものが多いので)。なつかしいモルダウ川の主題があくまでゆったりとしたテンポで悠然と流れてゆく。もちろんスケールは相変わらず大きい。朗々たる狩のホルン、そして農民たちの踊りのなんという遅いテンポ!このテンポでは踊れない。あくまでコンサート用の演奏なのだ。月の光からテーマ再現にかけてもスロー・テンポは微動だにしない。急流は力まず、高い城のテーマが登場するともう一段テンポを落とす巨匠の芸。第四曲「ボヘミアの森と草原より」(Z ceskych luhu a haju)も他の指揮者のCDに比べると深いひびきや堂々たる佇いがまるで違う。それに何という巨大さであろう。マタチッチの人間の大きさ、芸術家としての巨きさが終始ものを言っている。そのためか、終了後に拍手が出てしまう。それとも、ここで休憩を取ったのだろうか。ぼくにはそうは思えない。全六曲は連続演奏すべきだし、拍手のおずおずとした出方が感動を示さずにはいられない聴衆の気持ちのように感じられるのである。』(宇野功芳/ライナーノートより)
ザンデルリングから孫へのクリスマス・プレゼント
 ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
エヴァ・マリア・
 ブンドシュー(S)
ウタ・プリエフ(Ms)
ペーター・シュライアー(T)
テオ・アダム(B)
クルト・ザンデルリング指揮
ベルリンso.(旧東)、
ベルリン放送cho.、
ベルリン国立歌劇場cho.、
ベルリン・
 コミッシェ・オパーcho
 録音:1987年10月23日、ベルリン・ドイツ民主共和国会館、ステレオ・ライヴ。
 巨匠ザンデルリングの第9ライヴ。ベルリン市制750周年を記念した祝賀演奏会。東ドイツ(DDR=ドイツ民主共和国)では最大の音楽イベント。独唱歌手も東独系の超大物が用意された。手兵ベルリンso.を存分に駆使し、強靭な造型を堅持しつつ、ザンデルリングとしては、かなり音量、テンポの変化を与えたドラマティックな演奏。フィルハーモニア管との演奏とは正反対の緊張感に満ちた、そして気迫の籠もった怖ろしいまでの威容を誇る超名演。
 ザンデルリングが孫達への(2007年の)クリスマス・プレゼントにしたいと語ったとの事で、緊急リリースとなった。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
 #なお、一部に音揺れがあるとの連絡が代理店から参りました。御了承下さい。WEITBLICKレーベルより(以下国内代理店翻訳)
 「ザンデルリング指揮の第九(SSS-0083-2)ですが、この録音はS社とS社の合弁会社が製造していたリールテープ204で行われました。ご存知の方はご存知ですが、当テープはバックコートが為されているために、それが経年変化によって、磁性層の剥離が起こります。よって、当該CDについてもDRAも我々も再生時とマスタリング時に可能な限りの修正を加えましたが、剥離部分について、どうしても修正できなかった箇所があります。そのためお聞き苦しい箇所が僅かながらあります。しかし、演奏内容の充実を鑑み、お蔵にすることは考えれらず、出版することをご了承下さい。」
アルヴィド・ヤンソンスの「第9」!
 ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
デルフィナ・
 アンブロジャク(S)
ギゼラ・ポール(A)
ギュンター・ノイマン(T)
ヨージェフ・グレゴル(B)
アルヴィド・ヤンソンス指揮
ベルリン放送so.(旧東)、
ベルリン放送cho.
 録音:1973年12月31日、ベルリン・フリードリヒシュタットパラスト、ライヴ。ステレオ。
 今をときめくマリス・ヤンソンスの偉大なる父アルヴィド・ヤンソンス(1914-1984)。レニングラード・フィル黄金時代の指揮者を務め、我が国には手兵などと度々来日するのみならず、東京交響楽団にも名誉指揮者として客演を繰り返した。マリスがインターナショナル的な音楽を志向しているのと対照的に、19世紀にルーツをもつ巨匠らしくレコードが極端に少ない故に、没後20年少々なのに忘れられかけているのは残念。個性的で重厚な表現と広範囲なレパートリーを持った彼は、優秀なオーケストラ・トレーナーとしても知られ、東京交響楽団初客演時には、「鉛を金に変えた」とまで絶賛された。第9の録音が残されていたとは驚きだが、これは旧東ベルリンの大晦日、普段はミュージカルやレビュー上演でお馴染みのフリードリヒシュタットパラストで開かれた祝祭的公演。内容はシリアスそのもので、じっくりと遅いテンポが採用され、噛み締めるように一点一画を謹厳に刻むリズムには圧倒される。その堂々たる威容は、ドイツ伝統的演奏を愛好するマニアも納得の名演。マリス・ヤンソンスもリリースを即決しているのとことで、WEITBLICKでは、今後もアルヴィド・ヤンソンスの名演を紹介してゆく予定だとのこと。
 英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
SSS-0081-2
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(2CD)
1枚価格
ベルティーニ&ウィーン響のマーラー
 マーラー:交響曲第9番
ガリー・ベルティーニ指揮
ウィーンso.
 録音:1985年2月3日、ムジーク・フェラインザール、ステレオ・ライヴ。
 晩年は、快速テンポを採用することも多かったベルティーニだが、第9番に関しては悠然とした遅いテンポを守った。当演奏も究極の美演で、耽美的マーラーの最右翼。こういう場合にウィーン響の音色、ムジークフェラインのホールトーンが最適である証拠となっている。
 ライナーノートより:全曲を通じてもっとも聴きごたえがあるのはフィナーレであろう。たっぷり量感がある、しかし柔らかな弦楽器の響きが楽しめる。会場のムジーク・フェラインザールではさぞや美しく鳴ったに違いないと想像される。絶望や終末感は薄く、表情は意外にも明るい。ベルティーニのマーラー演奏は、多くの場合、他の指揮者たちよりも肯定的な色合いを帯びている。やさしげな慰撫の感じられるこのフィナーレはその典型的な例だ。コーダに至っては甘美な微笑のようらある。あるいはこの豊麗な演奏は、この曲になじみがない人にとってはもっとも親しみやすいものかもしれない。
SSS-0080-2
廃盤
ベルティーニ&ウィーン響のマーラー
 マーラー:交響曲第5番
ガリー・ベルティーニ指揮
ウィーンso.
プレートル&ウィーン響のマーラー Vol.2
 マーラー:交響曲第6番「悲劇的」
ジョルジュ・プレートル指揮
ウィーンso.
 録音:1991年10月10日、ムジークフェラインザール・ウィーン。ディジタル・ライヴ。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
 当レーベルからはベルティーニ&ベルリン・ドイツ響によるCDが出ているこの作品だが、あちらが禁欲的なまでのソリッドな造型で全曲を通じていたのに対し、プレートルはグラマラスでセクシーな造型とカラフルで煌びやかな音響で聴き手に迫る。タメを効かせて30分を超えるフィナーレなど、気が遠くなるほどロマンティック。80分を超える長時間収録。
プレートル&ウィーン響のマーラー Vol.1
 マーラー:交響曲第5番
ジョルジュ・プレートル指揮
ウィーンso.
 録音:1991年5月19日、コンツェルトハウス・ウィーン。ディジタル・ライヴ。英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
 フランス大指揮者時代の最後の砦、マエストロ・パトス! プレートル&ウィーン響のマーラーが2点登場。2008年はウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートに史上最高齢で初出演を果たし、現代の大指揮者として一人気を吐く巨匠プレートル(1924-)。強烈な個性と情熱あふれるオーケストラ・ドライヴには定評があり、フランス音楽のみならず、ドイツ音楽、オペラと何でもござれの幅広いレパートリーを誇る。ウィーン交響楽団とは、一時期首席客演指揮者のタイトルを持っていた上、今なお密接な関係を保ち、ヨーロッパ楽旅のみならず来日公演でも同行している。プレートルはブルックナー、マーラーにも一家言あり、自信のあるレパートリー。
 当レーベルからはベルティーニ&ウィーン響によるCDが出ているこの作品だが、あらゆる点で対照的な存在意義を誇る。一言で言えば、抽象絵画的なマーラーで、非合理をそのまま聴き手にさらけ出す大胆さがたまらない。濃厚な表情付けや吃驚するような変化に富み、一瞬たりとも気が抜けず、客席にいたならば、椅子ごと吹っ飛ばされるような推進力には圧倒されるばかり。
スクロヴァチェフスキのショスタコ第10、初出
 ショスタコーヴィチ:交響曲第10番
スタニスラフ・
 スクロヴァチェフスキ指揮
ベルリン・ドイツso.
 録音:2003年5月4日、フィルハーモニー・ベルリン、ライヴ。ディジタル、おそらく初出音源。
 巨匠スクロヴァチェフスキが、近年客演を繰返すドイツの名門ベルリン・ドイツ響(旧西ベルリン放送so.)、その優秀さを存分に活かし、稀に見る緊張感を孕んだ強烈な演奏が登場。スクロヴァチェフスキは、当曲をマンチェスターのハレo.とも録音しているが、オーケストラの能力には如何ともし難い部分があったのは事実。スクロヴァチェフスキは、オーケストラに対し非常に要求の厳しい指揮者であり、その指示命令を完璧にこなすには相当の技量を持ったオーケストラでないと上手くいかないことは、ファンなら良く知る所と言えるだろう。ムラヴィンスキーを想起させる辛口でキリリと引締った快速テンポが採用され、変幻自在な棒さばきにドイツ響が見事に反応する様子は魔術のようだ。音量の強弱、大小のコントラストの強さは、凄絶を極める。英語、日本語、ドイツ語ライナーノート付。
ベルティーニ&ベルリン・ドイツ響のマーラー
 マーラー:交響曲第4番(*)/交響曲第6番「悲劇的」(#)
カミラ・ニルンド(S;*)
ガリー・ベルティーニ指揮
ベルリン・ドイツso.
 録音:2004年2月29日、フィルハーモニー・ベルリン、ディジタル・ライヴ(*)/1973年4月30日、フィルハーモニー・ベルリン、ステレオ・ライヴ(#)。(#)は初出音源。(*)は DISCLOSURE からCD-Rが発売されていた (DS-0062-2) 物だが、今回がマスターからの初復刻。
 最晩年までエネルギッシュな活動を繰り広げた巨匠ベルティーニのマーラー名演集。超名演としてCD化が熱望されていた第4番。マーラーを積極的に取り上げた初期の第6番「悲劇的」の刺激に満ちた名演を収録した。いずれも高音質。
 第4番について:第3楽章の14分あたりからを聴いてみるがいい。感覚的な美しさと内面性が見事に一体化している。ベルリン・ドイツso.は、決してベルティーニが特別親しかったオーケストラではない。にもかかわらず、完璧にベルティーニの音楽が鳴っている。そして16分過ぎ、弱音からのいきなりの爆発。それはあたかも、突然天国の扉が開かれるかのような荘厳な一瞬だが、ここでのすさまじい響きは筆舌に尽くしがたいものがあった。この録音でもその片鱗はうかがえよう。いったいオーケストラというものがどれほどものすごい音を出すことができるか、私は本当に久しぶりで感じ入った。仮にもしこの一瞬だけしか聴いていなかったとしても、私はこの指揮者を忘れることができないだろう。
 第6番について:この演奏は冒頭からして異常な緊張感と切迫感を持っている。まるで獲物を追い込んでいくようなテンポ。情け容赦なく刻まれるリズム。透明で明快な響き。潔癖なフレージング。それなのに単に外側を整えただけの醒めた演奏ではない。熱狂的なまでに心が高ぶっている。速めのテンポだが、旋律は窒息せず、ギリギリまで歌われている。
クルト・ザンデルリング
 ベートーヴェン:「エグモント」序曲
 J.S.バッハ:
  2つのヴァイオリンのための協奏曲
 ブラームス:交響曲第4番
インゴ・ジンホファー、
スレテン・クルスティク(Vn)
クルト・ザンデルリング指揮
ミュンヘンpo.
 録音:1984年11月23日、ヘルクレスザール、ステレオ、ライヴ。全ステレオ録音。おそらく初出音源。
 WEITBLICKでは2枚目の登場となる巨匠ザンデルリング。ミュンヘン・フィルには、80年代から90年代にかけてほぼ頻繁に客演を繰り返した。「エグモント」からして壮大、重厚な響に圧倒される。バッハはもちろん旧スタイルの演奏で、堂々たる押し出しの立派な音楽を作っている。
 ジンホファーはバイエルン国立歌劇場管のコンマスもつとめた名手。クルスティクは、現在もミュンヘン・フィル名物コンマス。そしてブラ4!これぞ圧倒的な名演奏。尋常ではない遅いテンポが採用され、ロマンティシズム、耽美指向がムンムンと漂う個性的な演奏。チェリビダッケが鍛えたミュンヘン・フィルの明るく、美しいサウンドを時には豪快に、時には繊細に料理したライヴゆえの自在な起伏が最高。86年チェリビダッケ指揮による来日公演との比較も一興。現在、気管支炎に悩むドクター・ザンデルリングも隠棲先でリリースを快諾。
 許光俊氏のライナーノートより「この時代、すでにミュンヘン・フィルの指揮台にはチェリビダッケがしばしば立ち、オーケストラは彼好みの楽団へと急速に姿を変えていた。なるほど、弦楽器の透明な響きや、独奏的な美しさという点では禁欲的にとどまる管楽器や、しっかりとリズムを刻むだけでないティンパニにチェリビダッケの影響を見出すことはできる。が、ザンデルリングはそうしたオーケストラを指揮して完全に自分ならではのブラームス、つまり緊張と不安とくそまじめのブラームスではなく、のびやかで肯定的で陶酔的な表情を持つブラームスを出現させたのだ。それは1980年代からあとで私たちが体験することができた、もっともすばらしいブラームス演奏のひとつなのだ。」
ヨッフム&ミュンヘン・フィルの
 「ブル9」他、マスターからの初復刻

 ブルックナー:交響曲第9番(*)
 ワーグナー:
  楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲(#)
オイゲン・ヨッフム指揮
ミュンヘンpo.
 録音:1983年7月20日(*)/1979年11月8日(#)、以上ヘルクレスザール、ライヴ、ステレオ。(#)はおそらく初出となる音源。(*)はマスターからの初復刻(後述)。
 WEITBLICK初登場の巨匠オイゲン・ヨッフム。60年に及ぶ長い結びつき(巨匠の指揮者デビューはミュンヘン・フィル!)を誇ったミュンヘン・フィルと初の公式ディスク。マニアには広く知られた晩年の(*)は、METEOR のMCD-058、RE! DISCOVER のRED-10、MEMORIESの ME-1057/60 といったレーベル&型番で「1987年1月」の演奏としてリリースされ評判となったが、そのデータは誤り。こちらのバイエルン放送マスターによる音源は極上品質。晩年とはいえ枯れ切った味わいとは異なる、オケを叱咤激励する推進力に富んだ演奏であり、チェリビダッケが磨きはじめた輝かしい音色と妙技がマッチした非の打ち所のない演奏。カップリングのワーグナーもドラマティックな高揚を見せるファン待望の凄演。ご息女ヴェロニカ・モルトケ女史もリリースを快諾。ヨッフム・シリーズは今後も継続するのでご期待頂きたい。
テンシュテット・イン・ベルリン
 モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番(*)
 ハイドン:交響曲第57番
カール・エンゲル(P;*)
クラウス・テンシュテット指揮
ベルリン・ドイツso.
(ベルリン放送so.)
 録音:1973年9月11日、スタジオ、ステレオ。ハイドンはおそらく初出音源のはずで、テンシュテットの初音盤レパートリー。テンシュテットとエンゲルによる(*)は、ベルリン放送響との演奏(年月日不祥)が、VIBRATOから発売されている(VLL-11)が、同一演奏の可能性もある。
 テンシュテットとドイツ名門オケの共演。現在のベルリン・ドイツ響(当時のベルリン放送so.)に客演した放送用スタジオ録音。こういうものが現存していたことにまず驚かされる。スイス出身で2006年9月に亡くなったモーツァルトのスペシャリスト、カール・エンゲル(当演奏のCD化快諾を貰った直後に亡くなったとの事)の洒脱なモーツァルトが素晴らしい出来。ハスキルをもっと芯のある音色にしたような、デリカシーに事欠かない美しい音色。そして、そのピアノを豊かに抱擁するかのようなテンシュテットの織り成すオーケストラの立派で優しい佇まいには感激。大指揮者は必ず、ハイドンの有名でない交響曲を取って置きのレパートリーとして持っているものだが、テンシュテットもその例に漏れず、第57番という珍しい曲をモーツァルトの伴奏同様の風格とセンス溢れる澄んだ音色で聴かせてくれる。こういうハイドンなら大歓迎。ベルリン・ドイツ響とは、その後共演はない様子で、何があったのか? トラブル・メーカー、テンシュテットの横顔がふと頭をよぎる。
 「私たちが知るクラウス・テンシュテットとは、何よりもベートーヴェン以後のロマン派音楽を得意とする指揮者だった。激烈なベートーヴェン、巨大な音塊が襲いかかってくるようなワーグナー、情念が渦巻くブラームス、そして、凶暴かつ繊細なマーラー・・・。
  しかし、今回陽の目を見たモーツァルト演奏は、とうてい同じ指揮者のものとは思えないほどに美しい。第1楽章は、にわかにテンシュテットとは信じがたいほどに優雅で軽やかな味わいで開始される。弦楽器の溶け合った響きなど、艶美とすら言ってよい。改めて確認すれば、これを演奏しているのはオーストリアや南ドイツではなく、常日頃こうした類の美しさとはなれ合わないベルリンのオーケストラである。
  ただし、ピアノが弾き出すとはっきりするが、独奏を支える管弦楽は、ある時は声を抑えて、あるときはかなり強く自己主張する。いずれにしても、色が濃くなるのである。オーケストラのどんなパートも生々しい存在感がある。決していい加減に鳴っているのではなく、ちょっとした和音にも配慮と意志が行き届いている。その意味で、非常に密度が高いと同時に押しが強い演奏である。
 カール・エンゲルは1970-80年代、モーツァルトの名演奏家、そして歌曲の名伴奏者として評価されたピアニストである。非常に清潔感のある端正な音楽が身の上であることは、これを聴いただけでもわかるだろう。今日のようにさまざまなコントラストや衝突や暴力をモーツァルト作品の中に見出す傾向とは正反対だ。が、これはこれでひとつの完成された演奏様式なのである。そのエンゲルに比べれば、オーケストラは明らかにより雄弁であろうとする。ことに短調の部分や半音階的に音が動くところに両者の違いはよく表れている。
  一方、ハイドンの交響曲第57番は最初からして緊張感が強い。短調のアダージョで開始される序奏は、ベートーヴェンを予告するかのように重々しく劇的な雰囲気をはらんでいる。試みに他の指揮者たちの演奏と比べてみれば、テンシュテットがどれほど遅いテンポで、不気味なまでの闇をひろげているかがわかろう。
  そこから一転してアレグロの快速部分になる。第1主題はさっぱりしたものだが、テンシュテットの手にかかると、第2主題はずいぶんこってりとしたロマンティックな性格を与えられている。
  第3楽章は定型的なメヌエットだが、テンシュテットが指揮すると、上品な宮廷舞踊というより、民衆が酒を飲んで踊るかのような野卑な生気が生まれるのがおもしろい。   テンシュテットはハイドンの交響曲をあまり演奏しなかったようである。この作曲家は、モーツァルトにもましてゆったりとした余裕のある音楽を書いた。ハイドンの音楽の最大の特徴とされるユーモアとは、ものごとから距離を取って眺める姿勢にほかならない。そうした音楽と、私小説的な激しさを持つテンシュテットの音楽性がずれてしまう可能性は容易に想像できる。結果から言えば、交響曲第57番は、テンシュテットの個性で塗りつぶされた特色ある演奏になった。」(許光俊)
SSS-0068-2
廃盤
リヒター=ハーザー&ケーゲル
 ベートーヴェン:
  ピアノ協奏曲第4番(*)/
  ピアノ・ソナタ第25番「かっこう」
   〜第1楽章(アンコール)(*)/
  ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(#)
ハンス・
 リヒター=ハーザー(P)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
ヘルベルト・ケーゲル
 ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.&cho.
エンリケタ・タレス(S)
ヴィオレッタ・マジャロヴァ(A)
セルゲイ・ラリン(T)
クルト・リドル(B)
ヨアヒム・ダーリッツ(Org)
 録音:1987年12月30日、31日、ベルリン・コンツェルトハウス(シャウシュピールハウス)、ライヴ。ステレオ、初出音源。発売:2009年。
 『聴いていて心がほぐされ、癒されるような「ミサ・ソレムニス」は実に珍しい。極度の集中力や悲劇性を持つ音楽をたびたび奏でたケーゲルが、こんな穏和な演奏をしたこともあったのだ……』(許 光俊/ライナーノートより)
 第9を凌ぐベートーヴェンの最高傑作「ミサ・ソレムニス」。古巣のライプツィヒ放送so.に戻ってきたケーゲルは一時の強烈なアプローチを廃し、かなり遅めのテンポを採用し、慈愛に満ちた優しい微笑みをもってこの大曲の真髄に迫る。ヒットアイテムとなった「第9」(SSS-0066-2)と同年の演奏。ケーゲルは合唱指揮者からキャリアをスタートしただけに、合唱の取扱いも厳格なだけに留まらず、分厚いハーモニーを紡ぎだすことに成功している。この1987年12月は、レーガン、ゴルバチョフによるINF(中距離核戦力)全廃条約締結があり、世界は冷戦の終結に向けて歴史的な前進を遂げた。
 英語、日本語、ドイツ語によるライナー・ノート付。
ヘルベルト・ケーゲル
 〜最晩年のベートーヴェン「合唱」

 ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
ヴェンスラヴァ・
 フルバー=フライブルガー(S)
ローズマリー・ラング(A)
ディーター・シュヴァルトナー(T)
ヘルマン・
 クリスティアン・ポルスター(B)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.&cho.
 録音:1987年7月31日、ゲヴァントハウス、ライプツィヒ、ライヴ。
 ケーゲル最晩年の「第九」。1980年代にドレスデン・フィルに転じたケーゲルだが、度々ライプツィヒ放送so.にも復帰し共演している。第4楽章のお祭り騒ぎに共感できないとか、演奏会ではペンデレツキ、ノーノ、シェーンベルクなどシリアスな作品と組み合せるなど、「第九」についてネガティヴな言動、行動が多いケーゲルだが、当盤では夏の音楽祭シーズンのガラ・コンサートという枠組みのせいなのか、熱気溢れる正に祝祭的な盛り上がり、緊迫感を見せている。燃えやすいドイツ人、ケーゲルの面目躍如の名演。しかも、それが実に様になっている(足踏みも凄い)。元来が合唱指揮者だっただけに合唱の厚みある響きはケーゲルの怖い視線を感じさせる見事さ。
SSS-0065-2
廃盤
ギレリス、コンヴィチュニー、ケーゲル
 モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番(*)
 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(#)
エミール・ギレリス(P)
フランツ・
 コンヴィチュニー指揮(*)
ライプツィヒ・
 ゲヴァントハウスo.(*)
ヘルベルト・ケーゲル指揮(#)
ライプツィヒ放送so.(#)
ヘルベルト・ケーゲル
 〜マーラー「巨人」、初出ライヴ!

 マーラー:交響曲第1番「巨人」
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ドレスデンpo.
 録音:1981年2月25日、クルトゥア・パラスト、ドレスデン、ライヴ。
 ドレスデン時代のケーゲルらしいねちっこい程にロマン臭に満ちたマーラー。ドレスデン・フィルとは1979年にスタジオ録音していた(BERLIN CLASSICS)が、今回発売になるのはその2年後のライヴ。この曲を得意としたケーゲルらしい、大きなメロディ・ラインに身を任せるのみならず、若きマーラーの才気と狂気を隅々まで描きつくす。第3楽章の退廃情緒などは、素晴らしい仕上がり。既出の1978年、ライプツィヒ放送so.とのライヴ(SSS-0030-2)は廃盤になる事が決まったそうなので、歓迎のリリース。ドレスデン・フィルはまことに音色が美しく、耽美的な楽しさも充足される。
ヘルベルト・ケーゲル〜ドイツ・ロマン音楽
 シューマン:交響曲第4番(*)
 ブラームス:交響曲第2番(#)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ドレスデンpo.
 録音:1980年10月14日、ライプツィヒ・コングレスハレ、ライヴ(*)/1988年11月22日、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス、ライヴ(#)。
 WEITBLICKによるケーゲル・エディションは、衝撃の自殺から17回忌を記念しての、3タイトル同時リリース。まずは、得意のドイツ・ロマン派音楽の傑作を並べた名演集。シューマンは伝説の来日公演でも取り上げた得意曲ながら手兵とのディスクは初めて。シューマンの交響曲では第4番のみを偏愛していた模様。ブラームスは、特に愛情を注いだ第2交響曲。最晩年のライヴだけに、メロディを強調した個性的な遅いテンポが採用され、第2楽章の官能的な歌と熱情には驚かされる。今までのケーゲルとは一風変わった名演。いずれも音色の美しいドレスデン・フィルだけに、素晴らしい仕上がり。
SSS-0061-2
廃盤
ヘルベルト・ケーゲル〜シベリウス
 シベリウス:交響曲第4番(*)/交響曲第1番(#)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
ケーゲルのバッハ「音楽の捧げもの」、一部は何と編曲版!
 J.S.バッハ:音楽の捧げ物
  (王の主題による5つのカノン:デッサウによる編曲版/
   6声のリチェルカーレ:ウェーベルンによる編曲版)
 ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送so.
 アマデウス・ヴェーバージンケ(P/通奏低音) ジェルジ・ガライ、ヘルガ・ロッチャー(Vn)
 ペーター・クリュグ(Vc) ハインツ・フグナー(Fl) フリッツ・シュナイダー(Obダモーレ)
 エルヴィン・クレツマー(Fg) トーマス・ヴュンシュ、エルノ・クレポク(Vaダモーレ)
 ハイニ・フォーグラー、ベルトラム・バルト(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
 ウォルフガング・ウェーバー、ハンス・ヴェルナー(Vc) ディーター・ツァーン(B)
 録音:1972年5月24日、6月5日、ライプツィヒ・ベタニア教会。スタジオ収録。
 WEITBLICKによるケーゲル・エディション、まさかのバッハ演奏、隅々までケーゲルの厳しい眼が光った出色の蔵出し音源。許光俊氏も絶賛。
 「冒頭、鍵盤楽器の音色にまずは驚かされる。通常は、チェンバロによってフリードリヒ大王の主題が提示されるはずなのだが、これはチェンバロではない。かといって、1950年頃までのバロック演奏では常識であったようにピアノで弾かれているわけでもない。現代のプリペアド・ピアノのようにも聞こえるが、録音データによれば、フリューゲル・ピアノフォルテと記されている。あとを聴けばわかるように、実はこの演奏では通奏低音としてチェンバロも用いられている。チェンバロがなかったわけではないし、弾く奏者がいなかったわけでもない。推測するなら、ソロで重要な主題を提示するためには、チェンバロでは弱すぎると判断されたのではないか。あるいは、バッハがフリードリヒ大王の目前ではそうしたと思われるように、フォルテピアノが用いられたのか。王は、鍵盤楽器作りの名人ジルバーマンによる楽器を所有していた。それ以後、ひとつひとつの楽曲が丁寧に奏されていく。ケーゲルらしい、くそまじめな演奏である。普通はこの作品のためにはあまり用いられないオルガンも登場する。いずれにしても、ここには宮廷で奏されることを期待するような雅な雰囲気は皆無だ。それぞれの楽器の音色のぶつかりあいは、まるで20世紀音楽みたいなのである。さらに、なんと終わりから2つめの「4声のカノン」では、思いがけず合唱の声が聞こえてくるのに驚かされる。が、それより何よりこの演奏が異色なのは、「王の主題による5つのカノン」がデッサウによる編曲版、「6声のリチェルカーレ」がウェーベルンによる編曲版によって演奏されていることだ。管楽器、ことに金管楽器の響きを主体にしたデッサウの編曲からは、くすんだ工業都市の夕焼けが連想される。ここからキャバレー音楽まではすぐそこだ。他方、ウェーベルンのほうは、繊細で微妙に音色がうつろうロマンティックな音楽である。また、それ以外の曲、ことに後半の曲においても20世紀的と呼ぶほかないような響きが作り出されているのも明らかである。こうした音楽が混ぜ合わされた結果、この50分ほどの「音楽の捧げ物」は、いにしえと20世紀が並立し、あるいは交錯する不思議な時間的経験となった。これを一種のコラージュと呼んでもいいかもしれない。」(許光俊/ライナーノートより抜粋)。
SSS-0059-2
廃盤
テンシュテット、完全初出、初レパートリー曲あり!
 ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」(*)
 ヤナーチェク:「ラシュスコ舞曲集」より(#)
  [第1番/第2番/第5番/第6番]
クラウス・テンシュテット指揮
ミュンヘンpo.
SSS-0058-2
廃盤
ヘルベルト・ケーゲル・エディション
 ベートーヴェン:交響曲第7番(#)
 ショスタコーヴィチ:
  ヴァイオリン協奏曲第2番(*)
ヴィクトル・トレチャコフ(Vn;#)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
シュターツカペレ・ドレスデン
SSS-0057-2
廃盤
ライトナー、初出レパートリー
 ブルックナー:交響曲第7番
フェルディナント・ライトナー指揮
ハーグpo.
初出あり、テンシュテット、当レーベル初登場!
 「運命」&「エグモント」はキール城でのライヴ!!」

 ベートーヴェン:
  交響曲第1番(*)/交響曲第5番「運命」(#)/
  「エグモント」序曲(+)
クラウス・テンシュテット指揮
メクレンブルク・シュターツカペレ・
 シュヴェーリン(*)、
キールpo.(#/+)
 録音:1968年8月19日、スタジオ(*)/1980年3月20日、キール城、ライヴ(#/+)。すべてステレオ。(+)は今回初出となる音源。(*)のメクレンブルク・シュターツカペレとの演奏は、CD-R使用のEN LARMESからELS-01-94として出ている物だがEN LARMES盤にはリハーサル風景も収録されていた。(#)も同じくEN LARMESのELS-02-221で出ている物だが、この2曲は今回マスターからの初復刻となる。
 (#)はキール城におけるライヴ。最近発売のギュンター・ヴァントの映像でもお馴染みのホールで、キール・フィルもコンサートの会場としてしばしば使用しているようだ。演奏は、まさに今年最高の「運命」というのに相応しい、一瞬たりとも気の抜けないベートーヴェンで、轟音だけでなく丁寧なリズムの刻みなど目を見張るばかり。ドイツのオケとの録音が少ないテンシュテットだが、その渇きを癒すに足る名演。
 旧東独出身の巨匠ながら、出身地での活躍はほとんど知られていないテンシュテット。若い頃から録音時のトラブルが多く(晩年まで、巨匠は人間的には非常に問題があったとも言われている)、「テンシュテットとは録音の仕事をするな」というのが放送業界では不文律になっていたそうで、彼が指揮した旧東独放送録音は、ごく初期のオペラ・アリアの伴奏と、ほんの少しの東独現代音楽しか現存していないという。1962年から音楽総監督を務めた古都シュベーリン州の歌劇場管、メクレンブルク・シュターツカペレとのベートーヴェンは、その点からすると奇跡的な存在とも言える物で、立派な演奏である上、一点一画を疎かにしておらず、しかも十分な高揚があって、この時代からすでに巨匠的風格を備えていた事がわかる。EN LARMES盤では音質も非常によかっただけに、その点でも期待。「運命」と「エグモント」は、すでに東独から亡命し、アメリカやイギリスでの活躍で名を挙げてからの演奏で、1972年から音楽総監督を務めたキール歌劇場管(=キール・フィル)との凄絶な名演奏。ピリピリとした緊張感とド迫力が共存し、既にリリースされている(#)は、マニアからテンシュテット最高のベートーヴェンとして挙げられる事もあるもの。
 WEITBLICKではテンシュテット未亡人との良好な関係を今後も維持し、良質な演奏をリリースすべく計画しているとのこと。今後にも期待したい物だ。

 *許光俊氏の推薦文*
 「私たちが知っているクラウス・テンシュテットの演奏は、1970年代後半以後に制作された、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団とのスタジオ録音が大半である。が、昨今、数々のライヴ録音が登場して、この指揮者がライヴにおいてこそユニークな特性を最高に発揮するということがいよいよはっきりしてきた。
  今回は珍しくもシュヴェーリンとキールのオーケストラを指揮したベートーヴェンの第1、第5交響曲、『エグモント』序曲である。シュヴェーリンでの第1番はテンシュテットが東ドイツにいた時代の貴重な記録であり、他の2曲は彼が西側に逃れた当初から仕事を与えられたキールでのものだ。いずれも彼のキャリアを眺めるうえで無視できない音資料である。
  だが、そんなことはこのCDの価値のごくごく一部でしかない。ここには激しく燃えさかる音楽家の姿が克明に写し取られている、それこそがこのCDの存在意義である。
  偶然だろうが、テンシュテットが指揮したまったく同じ曲目のロンドン・フィルとのライヴ録音が少し前にBBCから発売されている。結果から言うと、そちらの演奏もすごいが、今度のも負けず劣らずインパクトが強い。特に交響曲第5番に関しては、熱さと余裕がうまい具合にバランスしたロンドン・フィルも極上だが、地雷地帯を危険構わず突撃していくようなキールの演奏も、聴く者を呪縛して離さない魔力を持っている。
  『エグモント』序曲はすばらしく筋肉質の剛毅な演奏だ。やや速めのテンポで厳しくリズムを刻みながら、音楽は煽り立てるかのようにぐんぐん前進する。上向する音型は力に満ち、金管楽器やティンパニが腹にこたえるような音を出す。急速な部分はフルトヴェングラーのような突進だ。どんなときでも弦楽器が縮こまらず、たくましく歌う。そして最後、天翔けるような疾駆ののち、金管楽器の思い切った強奏で曲が閉じられる。最初から最後まで緊張と力感に満たされた強烈な演奏である。合奏の乱れなどはささいなことにすぎない。
  交響曲第5番も『エグモント』同様、きわめて密度の高い演奏が目指されている。たたきつけるような開始からまもなく、火がついたような音の雪崩が襲ってくる。何しろテンシュテットが要求する音の強さとテンポに、時としてオーケストラがついてこられないほどなのだ。テンシュテットは、指揮者が大きな権力を持つ東ドイツで仕事をしてきたせいか、オーケストラに対して度を過ぎたとも思える要求を出し、それが満たされないと激しい罵詈雑言を浴びせることもあったと伝えられている。それがしばしば楽団員に嫌われる理由になったというが、実際、叱咤激励する指揮者の姿が目の前に浮かぶような演奏なのだ。
  すさまじい場面には事欠かない。ひとつだけ例を挙げれば第1楽章の6分当たり。この凝縮感は唖然として聴き惚れるに足る。普通ならやや緩んだ印象を与える第2主題もまったく緩まない。とにかく、響き自体の内部にはらむ力はただものではない。こういう演奏を聴くと、ベートーヴェンの交響曲が当時の人々に与えた驚きが想像できる。多くの人があまりに乱暴で暴力的な音楽だと顔をしかめ、その一方でこれこそ新しい時代の音楽だと歓呼した人たちもいたのがベートーヴェンの音楽だった。
  第3楽章のスケルツォは躍動感が著しい。一瞬これはゲオルク・ショルティかと思うほどに低弦楽器が踊る。いや、より正確に言うなら、指揮者に激しくむち打たれて必死で踊ろうとする。極限まで追いつめられたオーケストラは、崩壊寸前で冷や汗をかいたのではないか。聴いているほうも手に汗握ってしまう。
  そして、すばらしい弱音を経てフィナーレへとなだれ込む。フィナーレはもちろん豪勢な力業だ。まるで酒神バッカスの哄笑のようだ。いやはや、どんどん温度を高めながらエクスタシーをさまよう演奏を聴かされたキールの人々は、目を白黒させたのではあるまいか。
  とにかく一気呵成に聴かされてしまう演奏である。もしあなたが重厚でたくましい、そして血湧き肉躍る『第5』を聴きたいのなら、これは最右翼に違いない。
  交響曲第1番は、曲調もあって、第5番のような過激さは見られない。むしろ実直、堅実とすら言ってよい。細部に至るまで骨太な印象を与える。当然、響きは重心が低くどっしりしている。」(許光俊)

 *ライナーノートの要訳*
 「クラウス・テンシュテットは、1926年にドイツ・メルセブルクに生れた。彼は、ヴァイオリンとピアノをライプツィヒ音楽院にて学んだ。彼のキャリアは、ドイツ分断後のハレ劇場管弦楽団のコンサートマスターを1948年から務めたことから始まる。しかし、間もなく手に障害を生み、ヴァイオリン演奏が不可能となり、歌手の指導に転向した。1979年に批評家トール・エッケルト・ジュニアのインタビューに対し、彼はこう答えている。『私は指揮を習った事など一度もない』
  テンシュテットは、1953年に東独の作曲家ヴァグナー・レゲニーのオペラで指揮者デビューを果たした。1958年には、ラーデボイル州の音楽監督、1962年にはシュヴェーリン州劇場の音楽監督となる。テンシュテットは、シュヴェーリン州歌劇場について、400年の偉大な伝統を持ったオペラ・ハウスと語っている。彼は東独の有名オーケストラに客演を幅広く開始したものの、商業録音の機会は西側へ亡命するまで一切なかった。
  1971年、スウェーデン客演に当たって当局のミスによって、テンシュテットの家族にもビザが下りてしまった。元来、東側のアーティストが西側に客演する際には、亡命を阻むために本人のみが出国を許され、家族は自国に必ず残らなければならない。東独のみならず共産圏共通の仕組みであった。テンシュテットは後に、こう述懐している。『東独に住んでいた時は、行きたい国には行けなかった。もし、それを望んだなら、その後は存在すら否定された』 ストックホルムやイェテボリでの活動をこなしあと、これ幸いと西側への亡命を決意した。間もなく、西独キール歌劇場の音楽監督に就任した。
  小澤征爾が、テンシュテットのコンサートをドイツで聞き、ボストン交響楽団の客演指揮者に招いたのは1974年のことだった。併せてトロント交響楽団にも客演、これは北米デビューともなった。ボストン響での二つの演奏会、ブラームス・プロ、ブルックナー・プロは、翌夏のタングルウッド音楽祭におけるブルックナーの第8交響曲再演へと繋がった。この演奏はセンセーショナルな成功を納め、アメリカでのテンシュテットの評判は嫌が上でも高まり、すぐに広まった。
  しかし、テンシュテットは一度も全米メジャー・オーケストラから地位を与えられたことはなかった(ミネソタ管弦楽団の首席客演指揮者は、数シーズン務めた)。彼はアメリカにおいて、生ける伝説となり、メジャー・オケへの客演が繰り返された。タイム・マガジンは、テンシュテットを『全米で最も追い求めるべき、客演指揮者』と記述している。
  タングルウッド音楽祭における、ブルックナーの第8交響曲を聴いた私は、その忘れがたき名演に感動し、すぐさま、テンシュテットのファンになった。皮肉にも、私が聴いた最後のテンシュテット・コンサート(ニューヨークフィル客演時)で聴いた作品でもある。タングルウッド音楽祭は、音楽祭の常としてリハーサルは少ないので、表面的な演奏に陥りがちだ。テンシュテットのリーダーシップは、どの瞬間も重要なイベントのようにオーケストラを引張っていった。テンシュテットは全米ではブルックナーを特に集中して指揮した。その理由について彼はこう説明している。『米国では、素晴らしい指揮者達が、ベルリオーズ、チャイコフスキー、ストラヴィンスキーを演奏している。しかし、ブルックナーについては、良い演奏に恵まれていないと思っており、それが私にとってのチャンスでもある』と。
  テンシュテットはメトロポリタン・オペラにおいて、ベートーヴェン『フィデリオ』を指揮した。オペラ指揮も熱望されたが、彼はコンサートに忙しくなっていたので、準備に時間の掛かるオペラ上演は、非情に困難となってしまった。西側でのキャリアを重ねた1979年のグラモフォン・マガジンのインタビューにおいて、『オペラ指揮から別れることは、容易なことではない。多くのコンサート指揮に拘束されている現在、オペラを指揮する時間がない。しかし、必ずやオペラに復帰する日は来るだろう』と語っている。けれどもこの願いは実現しなかった。(レスリー・ゲルバー)
クルト・ザンデルリングの芸術
 ベートーヴェン:「エグモント」序曲(*)
 ヘンデル:合奏協奏曲Op.6-3(#)
 リヒャルト・シュトラウス:
  交響詩「英雄の生涯」(+)
クルト・ザンデルリング指揮
ライプツィヒ放送so.
 録音:1969年1月、スタジオ(*)/1972年9月、ライヴ(#)/1972年2月、ライヴ(+)。すべてステレオ。
 惜しまれつつ引退した巨匠、「クルト・ザンデルリングの芸術」シリーズが開始、その第1弾。レコード・ビジネスそのものに否定的な巨匠故にCD化を許さないケースが非常に多く、交渉は困難を極めた様子だが、発売が決定。「英雄の生涯」は活動最後期にはレパートリーから外していたが、音色のブレンドに抜群の能力を持つ巨匠だけに、色彩も申し分なく推進力に富んだ快演。ヘンデルの合奏協奏曲の荘重な響きは思わず襟元を正してしまうほど。「エグモント」の立派さは言葉で説明の必要はない。いずれも高音質ステレオ録音。
SSS-0054-2
廃盤
ハインツ・ボンガルツの芸術 第1弾
 リヒャルト・シュトラウス:
  交響詩「ドン・ファン」(*)
 ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」(#)
ハインツ・ボンガルツ指揮
ドレスデンpo.
SSS-0053-2
廃盤
ハインツ・ボンガルツの芸術 第1弾
 マーラー:交響曲第6番「悲劇的」
ハインツ・ボンガルツ指揮
ライプツィヒ放送so.
SSS-0052-2
廃盤
ケーゲル・エディション、初レパートリー
 マーラー:交響曲「大地の歌」
ヴィエラ・ソウクポヴァー(A)
ライナー・ゴルトベルク(T)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
SSS-0051-2
廃盤
ケーゲル・エディション
 ベートーヴェン:
  交響曲第8番(*)/交響曲第3番「英雄」(#)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
SSS-0050-2
廃盤
ロヴロ・フォン・マタチッチの芸術 第一弾
 マタチッチ
  &シュターツカペレ・ベルリン全ライヴ Vol.2

 ブルックナー:交響曲第9番(*)
 ヴィヴァルディ:協奏曲集「調和の霊感」(#)
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮
シュターツカペレ・ベルリン(*/#)
ロヴロ・フォン・マタチッチの芸術 第一弾
 マタチッチ&シュターツカペレ・ベルリン全ライヴ Vol.1 〜R.シュトラウス

  歌劇「エレクトラ」(*) /交響詩「死と変容」(#)
 マルガレーテ・クローゼ(クリテムネストラ;*) ジークリッド・エッケハルト(エレクトラ;*)
 ヘトヴィヒ・ミューラー・ブトウ(クリソテミス;*) ゲアハルト・ニーゼ(オレスト;*)他

 ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮シュターツカペレ・ベルリン(*/#)
 録音:1957年10月3日(*)/1958年1月18日(#)、以上ベルリン国立歌劇場。モノラル。
 マタチッチ協会公認による、強烈、大胆、官能のシリーズが登場。巨匠フォン・マタチッチはユーゴスラヴィア貴族の出身で、ドイツでの活躍と名声にもかかわらずかの地のオケと共演した音盤が少ないのは残念。今回登場するシュターツカペレ・ベルリン(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)との濃密な共演集は、まさに待望の「ドイツ語圏に於ける巨匠」マタチッチの真価を初めて世に問う。いずれもモノラルだが、旧東独が誇る高水準の録音。
 人気の劇的オペラ、R.シュトラウス「エレクトラ」全曲。オーケストラを豪快に鳴らし地響きのようなうねりを作る腕にかけては天下一品のマタチッチが、シュトラウスの官能美の極致を描きつくす。指揮者の真後ろで聴いているような臨場感と度肝を抜く迫力は、ミトロプーロス盤に拮抗しうる唯一の名演。ボーナス・トラックとしてスケール極大の名演、交響詩「死と変容」がカップリングされており、これも豪華の一言。
SSS-0048-2
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(4CD)
2CD価格
2023年再プレス!|ハインツ・レーグナー(指揮)の芸術・第一期〜
 ブラームス:交響曲全集&シェーンベルク:管弦楽作品集

 ブラームス:
  交響曲第1番/ベルリン放送so.〔1980年6月、スタジオ〕
  交響曲第2番/ベルリン放送so.〔1987年5月5日、カーディフ、ライヴ〕
  交響曲第3番/ベルリン放送so.〔1978年1月29日、ベルリン、ライヴ〕
  交響曲第4番/ベルリン放送so.〔1984年11月4日、ベルリン、ライヴ〕
 シェーンベルク:
  変奏曲/ライプツィヒ放送so.〔1989年4月4日、ライプツィヒ、ライヴ〕
  室内交響曲第1番/ベルリン放送so.〔1989年3月3日、ベルリン・ライヴ〕
  浄夜/ベルリン放送so.〔1991年11月10日、ベルリン、ライヴ〕
  5つの管弦楽曲/ベルリン放送so.〔1980年1月14日、ベルリン、ライヴ〕
  室内交響曲第2番/ライプツィヒ放送so.〔1984年5月29日、ライプツィヒ、ライヴ〕
  交響詩「ペレアスとメリザンド」/
   ライプツィヒ放送so.〔1981年2月10日、ライプツィヒ・ライヴ〕
 当セット初出:2005年|全て良好なステレオ録音。
 ハインツ・レーグナー(1929-2001)は読売日本交響楽団の常任指揮者も務めた、わが国にもおなじみの存在であり、実演では即興的とも言える変化に富んだ音楽、楽曲によってスタイルを別人のように変化させる順応性とプロ意識で聴衆を魅了した。しかしながら、生前は熱烈な支持者がいる割には、決定的な名声を誇る存在とは言えなかった。その理由には、残響の多い録音(ETERNA)ゆえに工夫が多い細部がはっきりしないことが挙げられよう。
 合唱指揮者からキャリアをスタートさせた点、レーグナーはケーゲルと同じだが、ケーゲルが元来は剛直無骨な音楽作りを基礎としているのに対し、レーグナーは戦後ドイツ人の典型的な様式である作品に対して常にクールな視点を保ち、柔軟で軽めのサウンドで神経質なまでに頻々とした変化で駒を進めるタイプであった。
 有りそうでなかったブラームス全集では、こんなに早くて大丈夫かと心配になるシューリヒト、クライバー並みの快速(特に第3、4番)で押し切り、シェーンベルクの「浄夜」、「ペレアス」では不健康で退嬰的な味わいが心を打ち、、あた室内交響曲のセンシティヴな表現は、正に不安の時代を生きる名指揮者の面目躍如。まとまった名演の少ないこれら作品の出色の演奏である。
 ドイツ統一後、レーグナーはライプツィヒ放送響の常任指揮者に復帰することが決まっていながら、陰謀によりご破算になり、大きな仕事とも縁が無いまま失意の内に徐々に体調も崩し亡くなってしまった。存命ならば、ますます進化を遂げ、最後の巨匠として世界中で祭り上げられたことは間違いなかったであろう。まさに時代に翻弄された天才指揮者レーグナー。これはそんな彼の本領発揮の録音集である。
SSS-0043-2
廃盤
コンヴィチュニー&カッチェン
 ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
 モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番〜第2楽章
ジュリアス・カッチェン(P)
フランツ・コンヴィチュニー指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウスo.
SSS-0042-2
廃盤
ヘルベルト・ケーゲル
 ブルックナー:交響曲第3番「ワーグナー」
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ・
 ケヴァントハウスo.
SSS-0041-2
廃盤
ヘルベルト・ケーゲル
 〜ラヴェル:管弦楽作品集

 ボレロ(*)/ピアノ協奏曲 ト長調(#)/
 「ダフニスとクロエ」第2組曲(+)
セシル・ウーセ(P;#)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
ライプツィヒ放送cho.(+)
SSS-0040-2
(5CD)
廃盤
ヘルベルト・ケーゲル
 〜ショスタコーヴィチ:交響曲集 BOX
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
SSS-0039-2
廃盤
ヘルベルト・ケーゲル
 〜ショスタコーヴィチ:交響曲集

 交響曲第15番(***)
エミリア・ペトレスク(S;++)
フレッド・タシュラー(B;++)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
SSS-0038-2
廃盤
ヘルベルト・ケーゲル
 〜ショスタコーヴィチ:交響曲集

 交響曲第11番「1905年」(##)
SSS-0037-2
廃盤
ヘルベルト・ケーゲル
 〜ショスタコーヴィチ:交響曲集

 交響曲第6番(+)/
 交響曲第14番「死者の歌」
  (ドイツ語歌唱)(++)
ヘルベルト・ケーゲル
 〜ショスタコーヴィチ:交響曲集

 交響曲第9番(**)/交響曲第5番(#)
SSS-0035-2
廃盤
ヘルベルト・ケーゲル
 〜ショスタコーヴィチ:交響曲集

 交響曲第4番(*)
 上記 SSS-0040-2 の分売。録音:1969年5月(*)/1986年10月、ベルリン芸術週間(#)/1973年9月(+)/1978年5月(**)/1958年4月(##)/1972年3月(++)/1972年11月(***)。以上、全てライヴ。(*)と(##)はモノラル。あとはステレオ。
 許光俊氏はこの名演集を「ケーゲルがショスタコーヴィチをワーグナー、ブルックナー、ブラームスといったドイツ音楽の延長線上、古典主義音楽からロマン主義音楽を経過して生まれて来たものと捉えている事を示している」と評した。
 SSS-0037-2&SSS-0039-2は2007年9月に「代理店在庫限りで廃盤」とアナウンスされました。SSS-0030-2同様、早期に入手不能となる可能性が高いため、お早めの確保をおすすめ致します。
SSS-0034-2
(2CD)
廃盤
黄金時代のスウィトナー&
 シュターツカペレ・ベルリン 第一期
オトマール・スウィトナー指揮
シュターツカペレ・ベルリン
SSS-0033-2
廃盤
黄金時代のスウィトナー&
 シュターツカペレ・ベルリン 第一期

 シューベルト:
  交響曲第8番(第7番)「未完成」/
  交響曲第9番(第8番)「グレイト」
オトマール・スウィトナー指揮
シュターツカペレ・ベルリン
SSS-0032-2
廃盤
黄金時代のスウィトナー&
 シュターツカペレ・ベルリン 第一期

 ベートーヴェン:
  「献堂式」序曲(*)/
  交響曲第3番「英雄」(+)
オトマール・スウィトナー指揮
シュターツカペレ・ベルリン
ヘルベルト・ケーゲルの芸術
 ブルックナー:
  交響曲第4番「ロマンティック」
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
 録音:1960年11月11日、スタジオ。モノラル。
 ケーゲルの「ロマンティック」、スタジオ収録の演奏はこれが初登場。1960年代の彼の特色である、オーソドックスかつ押さえる所を押さえた美演はここでも健在。モノラルではあるが音質良好。
ヘルベルト・ケーゲルの芸術〜マーラー
 交響曲第1番「巨人」(*) /交響曲第2番「復活」(#)
  エリーザベト・ブロイル(S;#) アンネリーゼ・ブルマイスター(A;#)
  ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送so.、ライプツィヒ放送cho.(#)
 録音:1978年5月9日、ライヴ(*)/1975年4月15日、ライヴ(#)。以上ステレオ。
 ケーゲルの芸術、マーラー・ツィクルス。(*)はDS(現 BERLIN CLASSICS )盤がドレスデン・フィルであり、もうひとつの手兵との演奏ということで興味深い。ゆっくりとしたテンポが基調で、中間楽章はかなりメランコリックに歌い、終楽章は正に迫力十分。ケーゲル自ら歌いながらの熱っぽい指揮ぶりは正にライヴならでは。そしてケーゲル初レパートリーとなる(#)は、1970年代の彼らしい切れ味鋭い演奏で、焦燥感漂う前半、合唱指揮者としての経験が生かされたフィナーレと、共に見事。ケーゲル・ファン、マーラー・ファンは必携アイテムだろう。音質良好。
ヘルベルト・ケーゲルの芸術〜マーラー:交響曲第3番
 マドヤロヴァ・ヴィオレッタ(A) クリューグ・ヴィリ(ポストホルン)
 ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデンpo.、ドレスデン・フィル少年cho.&女声cho.
 録音:1984年3月25日、ライヴ。ステレオ。
 ケーゲルのマーラー・ツィクルス第1弾。第1楽章が約34分、フィナーレが約27分と言う遅いテンポを採用、ケーゲル自身の意図によると思われるもたつきにより、特異な演奏となっている。ドレスデン・フィルは透明で美しい響きを聴かせ、シュターツカペレ・ドレスデンに勝るとも劣らない。
日本語解説付きにて新装発売
 ヘルベルト・ケーゲルの芸術

 ショスタコーヴィチ:
  交響曲第7番「レニングラード」
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
 録音:1972年5月16日、ライプツィヒ・コングレスハレ、ライヴ。ステレオ。2007年に新装発売された物。
 ケーゲルのショスタコーヴィチ・チクルス第1弾だったもので、ケーゲル=ショスタコーヴィチと言う図式を不動の物とした超絶的名演。全曲が70分を切っており、その知性を超えた逆上的な情熱を持って猛スピードで突進する過激演奏には、心底圧倒されること請け合い。ドイツのオケによる「レニングラード」も数少なく、その点からも初出時には、代理店曰く「物凄い反響を呼びました」。
 音質も定評ある高品位な物。日本語解説には、ライプツィヒ放送響とのショスタコーヴィチ演奏記録も掲載されており、資料的にも貴重。
SSS-0027-2
廃盤
ヘルベルト・ケーゲルの芸術
 ベートーヴェン:
  交響曲第2番(*)/交響曲第5番「運命」(#)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
SSS-0026-2
廃盤
ヘルベルト・ケーゲルの芸術
 モーツァルト:
  ピアノ協奏曲第22番(*)/
  交響曲第40番(+)
エリック・
 ハイドシェック(P;*)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
SSS-0025-2
廃盤
ヘルベルト・ケーゲルの芸術
 バルトーク:
  カンタータ・プロファーナ(ドイツ語歌唱)(*)/
  管弦楽のための協奏曲
エーベルハルト・
 ビュヒナー(T;*)
ギュンター・ライプ(Br;*)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
ライプツィヒ放送cho.(*)
SSS-0024-2
廃盤
ヘルベルト・ケーゲルの芸術
 ヤナーチェク:シンフォニエッタ(*)
 ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」(#)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
SSS-0023-2
廃盤
ヘルベルト・ケーゲルの芸術
 ストラヴィンスキー:
  バレエの情景(*)/
  組曲「火の鳥」(#)/春の祭典(+)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
SSS-0022-2
廃盤
ヘルベルト・ケーゲルの芸術
 ハイドン:交響曲第81番(*)
 ブラームス:交響曲第1番(#)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
サンソン・フランソワ、日生劇場ライヴ 1969
 フランク:前奏曲、コラールとフーガ
 フォーレ:夜想曲第6番 嬰ニ長調/
       即興曲 第2番 ト短調
 ドビュッシー:
  前奏曲集第1巻より
   [デルフィの舞姫たち/
     亜麻色の髪の乙女/沈める寺]/
  前奏曲第2巻〜花火/
  ピアノのために[前奏曲/サラバンド/トッカータ]
サンソン・フランソワ(P)
 録音:1969年11月16日、日生劇場。ライヴ、モノラル。
 サンソン・フランソワが早世する前年の日生劇場ライヴに何と記録用録音が現存していた! 残念ながらモノラルで、当時としても水準の高い録音ではないが、その晩年のほの暗い、陰鬱な雰囲気は十分に収録されている。フランソワのスタジオ録音はCDにして50枚程度になるが、ライヴは極めて少ない。代理店によると、これは専属であった仏EMI(旧・仏Pathe)が、EMIへ録音していないレパートリーの商品化を固く禁じているからでもあるという。当盤は日生劇場と代理店が仏EMIやフランソワの子息マクシミリアン・フランソワを含む関係各所の了解を得てのリリース。ライナーノートは日英併記で、マクシミリアン・フランソワ責任監修、廻由美子氏&山崎浩太郎氏執筆。
SSS-0020-2
廃盤
コンヴィチュニー&ナイ
 ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調Op.83
エリー・ナイ(P)
フランツ・コンヴィチュニー指揮
ライプツィヒ・
 ゲヴァントハウスo.
SSS-0019-2
(5CD)
廃盤
フランツ・コンヴィチュニーの芸術 第2期 BOX
 下記 5CDs (SSS-0015-2 〜 SSS-0018-2) の BOX セット
SSS-0018-2
廃盤
フランツ・コンヴィチュニーの芸術 第2期〜
  ベルリンの祝日

 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
ダヴィド・オイストラフ(Vn)
フランツ・コンヴィチュニー指揮
シュターツカペレ・ベルリン
SSS-0017-2
(2CD)
廃盤
フランツ・コンヴィチュニーの芸術 第2期〜
 シュターツオパー・ウンテル・デン・リンデン
  祝典演奏会

 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番
 バッハ:ヴァイオリン協奏曲BWV.1042
 ベートーヴェン:
  ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第2番
ダヴィド・オイストラフ(Vn)
フランツ・コンヴィチュニー指揮
シュターツカペレ・ベルリン
SSS-0016-2
廃盤
フランツ・コンヴィチュニーの芸術 第2期
 ウェーバー/ベルリオーズ編曲:舞踏への勧誘(*)
 ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」(#)
フランツ・コンヴィチュニー指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウスo.
SSS-0015-2
廃盤
フランツ・コンヴィチュニーの芸術 第2期
 ベートーヴェン:
  交響曲第5番「運命」(*)/
  交響曲第7番(#)
フランツ・コンヴィチュニー指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウスo.
SSS-0014-2
(7CD)
廃盤
フランツ・コンヴィチュニーの芸術 第1期 BOX
 下記 7CDs (SSS-0007-2 〜 SSS-0012-2) の BOX セット。
SSS-0012-2
廃盤
フランツ・コンヴィチュニーの芸術 第1期
 ブルックナー:交響曲第8番
フランツ・コンヴィチュニー指揮
ベルリン放送so.
フランツ・コンヴィチュニーの芸術 第1期
 ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス
フランツ・コンヴィチュニー指揮
ベルリン放送so.
 録音:1956年5月14日。スタジオ収録。モノラル。
 ベートーヴェン全集を補完する存在のような録音。第9を越える壮大さを持った演奏だ。CD1枚に収まっている。
フランツ・コンヴィチュニーの芸術 第1期
 ロッシーニ:絹のはしご序曲(*)
 ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番(#)
 モーツァルト:交響曲第41番(+)
フランツ・コンヴィチュニー指揮
ベルリン放送so.
 録音:1951年1月28日(*)/1951年9月22日(#)/1959年1月21日&24日(+)。スタジオ収録。モノラル。
 コンヴィチュニーとしては意外なロッシーニと定番の2曲の組み合わせ。特に「ジュピター]は早めのテンポでありながら、メヌエットはゆっくりでさすがに個性的。
SSS-0009-2
廃盤
フランツ・コンヴィチュニーの芸術 第1期
 ブラームス:交響曲第4番
フランツ・コンヴィチュニー指揮
シュターツカペレ・ベルリン
SSS-0008-2
廃盤
フランツ・コンヴィチュニーの芸術 第1期
 パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番(*)
 チャイコフスキー:交響曲第4番
リカルド・オドノポソフ(Vn;*)
フランツ・コンヴィチュニー指揮
シュターツカペレ・ベルリン
フランツ・コンヴィチュニーの芸術 第1期
 ブルックナー:交響曲第9番
フランツ・コンヴィチュニー指揮
ライプツィヒ放送so.
 録音:1962年5月22日、コングレスハレ。ライヴ。ステレオ。
 コンヴィチュニーが亡くなる2ヶ月前の演奏。自由自在のテンポ設定で特にスケルツォの迫力は異様な程。
SSS-0006-2
(5CD)
廃盤
アンドレ・ヴァンデルノートの芸術 BOX
 下記 5CDs (SSS-0001-2 〜 SSS-0005-2) の BOX セット。
SSS-0005-2
廃盤
アンドレ・ヴァンデルノートの芸術
 チャイコフスキー:
  序曲「1812年」(*)/交響曲第5番(#)
アンドレ・ヴァンデルノート指揮
ベルギー・
 フランス語放送協会so.
(RTBFso.)
アンドレ・ヴァンデルノートの芸術
 モーツァルト:
 「フィガロの結婚」序曲/
 ピアノ協奏曲第21番(*)/
 交響曲第35番「ハフナー」
アブデル=ラーマン・
 エル・バシャ(P;*)
アンドレ・ヴァンデルノート指揮
ベルギー・
 フランス語放送協会so.
(RTBFso.)
 録音:1987年10月21日(*)/1991年1月12日、共にライヴ。
 LP時代はモーツァルト演奏で名を成したヴァンデルノート最晩年のライヴ。(*)はハイドシェックとの共演がモノラルだっただけに、貴重。「ハフナー」も非常に美しく、 テンポを自在に変化させても自然な響きを作り上げているところはさすが。
アンドレ・ヴァンデルノートの芸術
 マーラー:交響曲第1番「巨人」
アンドレ・ヴァンデルノート指揮
ベルギー・
 フランス語放送協会so.
(RTBFso.)
 録音:1988年9月10日、ライヴ。
 ゆったりとしたテンポはまるでワルターのようだが、ヴァンデルノートだけにモーツァルトを思わせるような箇所もあり、楽しませてくれる。
アンドレ・ヴァンデルノートの芸術
 ベートーヴェン:
  交響曲第4番(*)/交響曲第7番(#)
アンドレ・ヴァンデルノート指揮
ベルギー・
 フランス語放送協会so.
(RTBFso.)
 録音:1990年1月12日(*)/1990年1月27日(#)、共にライヴ。
 それぞれ快速の演奏だが、表現も過激。(*)は自在なテンポ変化がカルロス・クライバー張り。(#)もオケの技量を越えてまでぐんぐん引っ張る。
アンドレ・ヴァンデルノートの芸術
 ベルリオーズ:
  序曲「ローマの謝肉祭」(*)/幻想交響曲(#)
アンドレ・ヴァンデルノート指揮
ベルギー・
 フランス語放送協会so.
(RTBFso.)
 録音:1951年1月28日(*)/1990年11月28日(#)、共にライヴ。
 ヴァンデルノート(1927-1991)はベルギーの名家に生まれ、1951年にはブザンソン指揮者コンクールで優賞、1963年にシカゴ響を指揮してアメリカ・デビューを果たし、クリュイタンスやマルティノンに次ぐフランス系の逸材として期待された。しかし、世界中を飛び回る演奏に抵抗を感じた彼は、以降の活動を祖国ベルギー国内に限定、幾つかのベルギー国内オーケストラの常任としての実績を残したが、その活動は世界からは忘れ去られた。
 彼の録音はステレオLP初期前後に多く残され、特にモーツァルトは高く評価されたが、その後表舞台から姿を消した後年には録音が殆ど存在しなかった。ここにまとめられた放送録音の5CDは、子息パトリック・ヴァンデルノートによる許諾を得、1曲を除いて全てデジタル録音と、巨匠最晩年の芸術を伝える貴重なもの。おそらく今後再プレスされることは無いと思われるので、代理店在庫のある内の入手をお勧めしたい。
 ローマの謝肉祭の瑞々しい響きも貴重だが、とどめは「幻想」のユニークさ。


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