| ルース・スレンチンスカ初来日ライヴ 2003 〜ルース・スレンチンスカの芸術I ブラームス:ラプソディOp.79-1(*) ショスタコーヴィチ: 24の前奏曲とフーガOp.87〜第5番(*) ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第7番Op.10-3(*) ラフマニノフ: ひなぎく(*)/ 前奏曲集Op.13より(*)[第1番/第5番/第12番]/ 前奏曲Op.23-2(*) シューマン: 「子供の情景」Op.15〜第1曲「見知らぬ国より」(#) ショパン:ワルツ第7番 嬰ハ短調Op.64-2(#)/ ワルツ第6番 変ニ長調Op.64-1「小犬」(#) 24の前奏曲集Op.28(+) シューマン(リスト編): 歌曲集「ミルテの花」Op.25〜第1曲「献呈」(+) |
ルース・スレンチンスカ(P) | |
| 録音:2003年11月5日&8日、劉生容記念館(Liu Mifune Art Ensemble)、岡山市(*/#)/2003年11月7日、岡山シンフォニー・ホール(+)。(#)はアンコール。使用楽器:1926年製スタインウェイ。 | ||
| ルース・スレンチンスカ日本ライヴ 2004 Vol.1 〜ルース・スレンチンスカの芸術II シューマン:ロマンスOp.28-2/謝肉祭 Op.9(*) コープランド:ミッドサマー・ノクターン(*) バルトーク:6つのルーマニア民俗舞曲 Sz.56(*) モーツァルト:ピアノ・ソナタ第3番K.281(*) ショパン: 練習曲第19番Op.25-7(*)/練習曲第24番Op.25-12(*)/ 夜想曲第2番Op.9-2(#)/練習曲第8番Op.10-8(#)/ 練習曲第9番Op.10-9(#)/練習曲第5番Op.10-5「黒鍵」(#) |
ルース・スレンチンスカ(P) | |
| ルース・スレンチンスカ日本ライヴ 2004 Vol.2 〜ルース・スレンチンスカの芸術III ショパン:夜想曲第1番Op.9-1(+)/スケルツォ第1番Op.20(+) モーツァルト:ピアノ・ソナタ第12番K.332(+) ショパン:ワルツ第8番Op.64-3(+) モーツァルト:ピアノ・ソナタ第9番K.310(+) ショパン:即興曲第2番(+) ショパン:ピアノ・ソナタ第2番Op.35「葬送」(+) 練習曲第13番Op.25-1「牧童」(**)/ 練習曲第3番Op.10-3「別れの曲」(**) | ||
| 録音:2004年7月17日(*/#)、19日(*/#)、21日(+/**)、22日(+/**)、以上、劉生容記念館(Liu Mifune Art Ensemble)、岡山市。(#)と(**)はアンコール。使用楽器:1926年製スタインウェイ。 | ||
| ルース・スレンチンスカ女史 最後のコンサート・ライヴ 〜ルース・スレンチンスカの芸術 IV 「ラスト・ショパン・リサイタル」 プロコフィエフ: バレエ「シンデレラ」からの10の小品 Op.10より [春の精/夏の精/秋の精/冬の精] ショパン:スケルツォ(全4曲)/ バラード(全4曲)/ワルツ第14番(*) リスト:パガニーニによる大練習曲 〜第4番「アルペジオ」(*) |
ルース・スレンチンスカ(P) | |
| 録音:2005年1月31日、岡山シンフォニー・ホール。(*)はアンコール。使用楽器:1926年製スタインウェイ。 2003年、78歳にて初来日を飾ったスレンチンスカ(当レーベル表記はスレンチェンスカ。ご本人が自らそのように発音されているらしい)。この初来日公演は、彼女の芸術に惚れ込んだ個人のご努力で実現した演奏会だったが、あまりの素晴らしさに、知られざる巨匠が日本へ登場したと大きな話題を呼び(LIU-1001/2)、さらに2004年の第2回来日公演の模様が、2セット4枚で登場(LIU-1003/4、1005/6)し話題を呼んだが、体力的な問題もあり日本のみならず「生涯でラスト」という演奏会が2005年1月に岡山で行われた。若い頃からアメリカで天才として知られたものの、1960年代以降は録音から遠ざかっていた彼女のCDは、IVORY CLASSICSから新録音を含むアルバム(IVORY-70802、70902、71004、72010)が先に発売されていたが、2005年1月の来日ドキュメンタリーがNHKで全国放送され大きな反響を呼ぶなど、その芸術性は着実に多くの人々に知られつつある。ご本人は「録音だけなら継続しても良い」とおっしゃっているそうなので、なんとか今後も新録音を期待したいが、ともかくピアノを聴かれる全てのクラシック音楽ファンには大推薦。 以下、代理店の LIU-1005/6 案内文をほぼそのまま掲載(一部追加)。 ●2003年11月に初来日、初めて接する聴衆に深い感動を与えて以来2004年7月に2度目の来日を果たし、よりパワーアップした演奏で再び私たちの心の中に感動を残したスレンチェンスカ女史ですが、80歳を超えて体力的なこともあり、ご本人の希望で今回の3回目の来日が世界で最後のコンサートになりました。 ●当初は最後のコンサートを締めくくるに相応しいオール・ショパンのプログラムを予定してましたが、プロコフィエフの愛らしい小品が加わりました。常に自身のより深い音楽を追求する飽くなき求道心をもった女史らしい選曲といえるでしょう。これは一番最後のアンコールにリストの「パガニーニによる大練習曲」を取り上げたことからもいえます。 ●今回はこのCDに収録されているリサイタル以外に協奏曲のコンサートを行いましたが、このライブ・レコーディングの発売は現在のところ未定です。 ●プロフィール: 1925年、カリフォルニアに生まれる。3歳の時ポーランド出身のヴァイオリニストである父親からピアノを習い、4歳でリサイタルを開き、5歳でカーティス音楽院に入学。6歳の時ベルリンでヨーロッパ・デビューをし、9歳の時ニューヨークでデビューをした。9歳の時、急病のラフマニノフの代役を務めコンサートを大成功させる。「モーツァルト以来もっとも特筆すべき神童」(ニューヨーク・タイムズ)、「彼女は私が知っている限り、最も才能のある人である」(ラフマニノフ)など最高の賛辞をほしいままに成長するも、スパルタ的な父親に反発し、14歳からステージに上がるのを拒否。19歳で家出して、大学で心理学を勉強する。26歳の時、指揮者アーサー・フィードラーによって再び見出され、ステージにカムバックし、一躍世界の楽団に熱狂的に迎えられた。ユージン・オーマンディなど大指揮者たちとの共演を重ね、1960年までに全世界で3,000回を超えるコンサートを行い、LP時代アメリカ・デッカより10数枚に及ぶLPを発売した。また小澤征爾が1962年にハチャトリアンの代役でアメリカ・デビューを果たしたときの共演者であったというエピソードもある。1960年代キャリアの絶頂期の時に、商業的な演奏会を一切中止し、サウス・イリノイ大学で教育に力を注ぎ、名教師としても数多くの優秀なピアニストを育てた。ラフマニノフ、コルトー、シュナーベル、ホフマン、バックハウスなどの巨匠にも学び、ホロヴィッツが尊敬していたピアニストであり(21歳年長のホロヴィッツとは、生涯の親友としての付き合いが続いた)、多くの名演奏家と親しい友人であったスレンチェンスカは、20世紀のピアノ演奏史の生きた証人であり、最後の巨匠と呼ばれるのにふさわしい。 | ||