MORGAN’S

1CD−R ¥2415(税抜¥2300)



 ニューヨークの大学に通うクラシック・マニアのグループが新たに立ち上げたというレーベル、MORGAN'S(呼称:モーガンズ)。 名指揮者たちの知られざる名演奏、埋もれてしまった録音などを中心に、グループで持ち寄った音源を「MORGAN'S LIBRARY」と名づけ、そのなかから選りすぐりのものを定期的にリリースしていく予定。スタッフには、アメリカ人のほか、ドイツや日本からの留学生も含まれており、北米、ヨーロッパおよび日本の対象マーケット毎に人気のある演奏家のタイトルをリリースする方針だという。
 なお、当レーベルはプライヴェート・レーベルのため、入荷までにはご注文から1ヶ月〜半年以上かかる場合があります。
 2007/1/13 第9弾3点の案内を追加しました。今回は今回は初CD化となる、ケーゲルのヴェルディ「4つの聖歌」、個性的な「悲愴」で知られたV.オフチニコフの「運命」、他にチェリビダッケ1980年4月26日の「ブラ1」もあり。


新譜
チェリビダッケ、初出?
 ブラームス:交響曲第1番
セルジュ・チェリビダッケ指揮
LSO
 録音:1980年4月26日、大阪フェスティヴァル・ホール、ライヴ。チェリビダッケによるこの月の同曲は、他に13日のRARE MOTH盤(RM-547S)日付不祥のFKM盤(FKM-CDR13/4)があるが、今回の演奏は後者とは同一の可能性がある。
 チェリビダッケが会場に現われる瞬間から、拍手に応えながらステージを去ってゆくまでの流れの全てを収めたドキュメンタリーとしても貴重な記録である。例によって遅めのテンポで、和音の一つ一つを確かめるような音楽がホールの隅々まで行き渡り、あたかもホールそのものが鳴っているかのような荘厳な響きが再現される。チェリビダッケのブラームス第1番の演奏の中にあっても、間違い無く最高のものであるといえるだろう。当時会場で実演を聴いた人々のみが受けえた幸福を知り嫉妬を覚える。
V.オフチニコフの「運命」
 べートーヴェン:交響曲第5番「運命」
ヴィヤチェスラフ・オフチニコフ指揮
モスクワ放送so.
 録音:1977年2月23日、ライヴ。おそらく初CD化となる演奏。
 「悲愴」の録音で個性的演奏をするロシアの指揮者のひとりとして記憶されているオフチニコフによる「運命」の録音である。鋭角なリズムを刻みながら正確な足取りで進む音楽は、他のロシアの指揮者と違う理知的な面を感じさせる秀演ではあるが、それでもところどころで突然響き渡る金管の咆哮が押さえきれないロシアの血のたぎりをみせ、軍服の下に狂気を押さえ込んだような不気味な響きが伝わる。
 レコードからの復刻なのかプチプチノイズが残るが、その分リアルな音がダイレクトに伝わってくる特徴的な音質である。
ヘルベルト・ケーゲル
 ヴェルディ:4つの聖歌
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィッヒ放送so.&cho.
 録音:不祥。おそらく初CD化となる演奏。彼は1960年代後半に ETERNA へ同曲を録音しており、オケ&合唱も同一のため、この演奏の可能性がある。
 「謎の音階によるアヴェマリア」が始まった瞬間から、空気が薄くなったような息苦しさを感じる静かな緊張に包み込まれ、徐々に意識が遠のいていく危険な音楽である。しかし「テ・デウム」が終わるころには、全ての苦悩が浄化されて、涙を浮かべた透明な自分だけが残っていることに気がつくだろう。合唱指導にノイマンを従えて、ケーゲルが自らの精神の奥深い部分を曝け出すことに成功した美しいとしか言い様のない秀演である。
旧譜
ケーゲルのガーシュウィン
 ガーシュウィン:
  ラプソディー・イン・ブルー/パリのアメリカ人
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
 AMIGAレーベルからLPとして少数発売された録音として、マニア間では有名なもの。今回は、スイスの放送局が放出した放送用ホワイトラベルLPからの盤起こし。
 なぜ共産圏を代表するオーケストラが資本主義のシンボルのような曲を残したかは不明だが、その演奏のすばらしさは筆舌に尽くしがたい。あまりに生真面目なためか冒頭のクラリネット、ピアノのどれもがスイングできずにロマン派のガーシュウィンを奏でるが、軍服を着て演奏しているようなその整った演奏は、形式主義の極地ともいえる悲しいまでの美しさをたたえる。ケーゲルはガーシュウィンを特別扱いすることなく、ヒンデミットやノーノと同じ現代曲の1つとして冷静に捉え演奏している。芸術には西も東もなかったのだ。
 盤起こしに起因する一部パチパチ音があるが、良好な音質。
チェリビダッケ、1986年の「幻想」
 ベルリオーズ:幻想交響曲
セルジュ・チェリビダッケ指揮
ミュンヘンpo.
 録音:1986年6月28日、ライヴ。初出音源。彼の同曲には1960年代から1970年代とされるイタリアやデンマークでのライヴが3種ほどあったが、手兵との後年の演奏はこれが初登場。
 幻想交響曲を宗教音楽にしてしまった演奏。冒頭からゆったりとしたテンポですすむ音楽は、どこまでも荘厳で清らかな光を保つ。録音したホールの残響のせいか、断頭台への行進の場面でも、金管の響きはまるでオルガンのように淡くやさしい。鐘の音は教会のもののように響き、聴く者たちを柔らかなベールに包み込みながら音楽が進む。音が音符の単位ではなく、延々と溢れ出てくる圧力としてしか認識できないのは貴重な体験だろう。観客のブラボーの声で、ようやく我に返ることができるが、本当に幻想的な「幻想」であり、ある意味チェリビダッケらしい麻薬的演奏。聴きすぎには注意が必要だ。
 一部テープ劣化によるわずかな音程のゆれがあり、ホワイトノイズも気になるかもしれないが、総じて音質はまず良好。
スヴェトラーノフ、初出&初レパートリー
 プロコフィエフ:「ロミオとジュリエット」〜抜粋
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1986年11月7日、ライヴ。スヴェトラーノフによるプロコフィエフは意外と少なく、当作品も彼の音盤初レパートリーとなる物。
 決して死にそうにない筋肉質で固太りのロミオとジュリエットが舞台で暴れまわる重量級の演奏。低音はずしずし響き渡り、金管はロシアのオーケストラから選抜してきたかのような爆発を見せる。一方でロマンティックなシーンは、胃を悪くするぐらいどこまでもスイートでべっとりと音が溶け合う。最近再発売された「レニングラード」でも見せたように、このオケとスヴェトラーノフは非常に相性が良いようで、この演奏は間違いなく同曲のベスト3に入る出来栄えであり、スヴェトラーノフのディスコグラフィーにおいても傑出したものになっている。ストックホルムの観客も熱い反応を示す。
 音質良好。
マリア・ユーディナ、初出&初レパートリー
 チャイコフスキ−:ピアノ協奏曲第1番
マリア・ユーディナ(P)
ナタン・ラクリン指揮
キエフpo.
 録音:1954年、ライヴ。ユーディナの当曲はたしかこれまで発売されたことがなかった。
 まことに風変わりな演奏。雪崩のように風圧を伴いながら迫ってくる音のかたまりに息を呑む。しかもその塊を構成する一音一音に魂がこもっているのは特筆物。彼女の手によるものか楽譜にも改変が加えられ、まるでチャイコフスキーのテーマによるマリア・ユーディナのピアノ協奏曲といった様相を呈している。指揮者は大変だったに違いない。旧ソ連の厳しい統制下にあっても個性の主張を決して中断しなかった彼女が、少しうつむき加減に我々の生き方を問うような視線を投げかけてくるのが見える。
 音質は決して良いとはいえないが、録音年とライヴであることを考慮すると、妥協できる範囲内と言えるだろう。
ジュリーニ&BPOのグレイト、初出
 シューベルト:交響曲第9番「グレイト」
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
BPO
 録音:1977年1月13日、ベルリン・フィル定期演奏会、ライヴ。初出音源。この顔合わせの当曲は、確かこれまで無かった。
 第1楽章の無音部の空気から既に美しい。やがて始まる優雅な音の波は、ジュリーニの棒の下で互いに溶け合い、時に優しく、時に激しく、芳香を漂わせながら、聴く者を包んでいく。紫色の白日夢をみているような感触は、これがシューベルトという人間が創作した作品であることを忘れさせ、音楽が進むにつれてそのエロチックな陶酔の度合いを強めていく。そして終楽章に頂点が極まったとき、ジュリーニは“タァー”という叫びを残して果てる。
 テープノイズなども最小限で、音質は良好。
チェリビダッケ、ディスク初レパートリー
 ルーディ・シュテファン(1887-1915):
  オーケストラのための音楽
セルジュ・チェリビダッケ指揮
シュトゥットガルト放送so.
 録音:1980年2月23日、シュトゥットガルト、ライヴ。初出音源。
 チェリビダッケによる初音盤レパートリー作品。ミュンヘン生まれのシュテファンは、第1次大戦中、兵士として赴いたロシアで若く悲惨な死を遂げたため、作品自体が少なく、録音されるのは極めて貴重。この曲にはシューリヒトの1942年ライヴ(ARCHIPHON)もあったが、廃盤となっている。他にツェンダー盤(KOCH)があるが、入手困難。
 暗い部屋に閉じ込められたまま、そのドアの隙間からどんどん水が入ってくるような冷たい恐怖をもって音楽が始まる。やがて水没して窒息するという恐ろしさと戦いながらもがいていると、ようやく見つけた天井の隙間から明かりが差し込み希望を得る。わずか30分足らずの音楽をもって、このような緻密な映像をみせしめるチェリビダッケの解釈と、これを忠実に再現するオーケストラの力は、人間の五感を超えた天の新たな創造物として理解するしかない。
 テープノイズなども最小限で、音質は良好。
スヴェトラーノフの「ブル9」、初出&初レパートリー
 ブルックナー:交響曲第9番
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送so.
 録音:1999年3月5日、ストックホルム。ライヴ。初出音源。おそらくスヴェトラーノフの音盤初レパートリー作品。
 ソビエトの崩壊後、徐々にマーラーやブルックナーを愛するようになった彼の後生への最大遺物である。到達すべき頂きを探るように始まる音楽に、もはやロシア臭はなく、巨匠としての風格が漂う。透明な音の重なりは、スヴェトラーノフの繊細さによりその高さを徐々に増し、第3楽章でついに頂点を探りあてる。そしてその事実に満足した音楽は、何度も後ろを振り返りながらやがて静かに消えていく。美しいものは美しいとしか表現できない。優しさと、その優しさ故に背負うべきこととなった悲しみをたたえた、本当に美しい音楽である。
(伝)フルトヴェングラーの「悲愴」
 チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
(伝)ヴィルヘルム・
 フルトヴェングラー指揮
VPO
 録音:1951年10月13日、ミュンスター。ライヴ。1980年代にPALETTEからごく短期間CD化されていたが、その後発売されたことが無い音源。
 かつてフルトヴェングラーの演奏として紹介され話題となったが、直後に彼の演奏ではないとして葬り去られた音源。当時は宇野功芳氏も「この盤をベストとするべきであろう」と紹介していた。事実、鉛の重りをつけられたまま海の底へ沈んでいくような暗い弱音部分と、閃光を伴って炸裂する強音部分との使い分けを一つの曲の中でこれ程までに見事にこなせるのは、フルトヴェングラー以外にないのではないか。例の狂気に満ちたアッチェレランドもしっかり記録されている。後日、同氏はこの録音について改めて記している。「しかしこの壮絶な演奏をした指揮者は誰だろう」と。いまこそ自分の耳で確かめるのだ。
 年代相応の音質ではあるが、テープノイズも少なく聴きやすい。
ヘルベルト・ケーゲル、おそらく初出
 ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ドレスデンpo.
 録音:1981年9月、ルーマニア。ライヴ。ジョルジュ・エネスク国際音楽祭でのライヴとされる。彼の同曲は、他に1968年、ライプツィヒ放響とのETERNA(現 BERLIN CLASSICS)録音があったのみ。
 にぶく、冷たく輝く展覧会の絵である。極寒の海にひとり投げ出され徐々に身体が痺れてくるのを意識しながらも、深い底へ落ちていくのに坑がっているような、孤独な緊張感が堪え難い。ケーゲルの求める冷たい銀のナイフのような音楽に、オーケストラのメンバーが足を震わせながらも応えようともがいている様子がハッキリと伝わる戦慄の演奏である。これが国際音楽際で録音されたものであるという事実が信じられない。やや遠めの音場ながらも、抑揚のない平たんで無表情な音楽が徐々に身体から体温を奪っていくのを感じることができるだろう。
チェリビダッケ、音盤初レパートリー&初出
 チャイコフスキー:フランチェスカ・ダ・リミニOp.32(*)
 ラヴェル:ボレロ(#)
セルジュ・チェリビダッケ指揮
シュトゥットガルト放送so.
 録音:1975年4月11日、シュトゥットガルト。ライヴ。初出音源。(*)はチェリビダッケの音盤初レパートリー作品。なお、この日の演奏会では他にブラームスの交響曲第2番が演奏されている(AUDIORやDGから既出)。
 その音圧で顔が歪むような、これ程激しいチェリビダッケの記録は今までなかったのではないか。荒れ狂う海にゆれる小舟に乗っているような動揺で音楽がスタートし、やがて中間部で静かな月夜のようなロマンをみせ、そのままドラマチックに終音へと続く。どの瞬間も色濃いチェリビダッケの演出の目が行き渡り、まるで映画のようにエンドロールが見えてくるようなシーンのある音楽として完成されている。一方のボレロは、中性的な美少年の騎士団の行進をみるような端正な演奏である。いつまでの続く観客のブラボーの声が納められているが、これはまったく正当な評価である。
チェリビダッケ、久々の再発?
 チャイコフスキー:交響曲第5番
セルジュ・チェリビダッケ指揮
ミュンヘンpo.
 録音:1990年、ライヴ。おそらく以前出ていた TOPAZIO 盤( TP2604.1 )と同一の録音。10年近く入手困難だったモノなので、マニアには待望の再発売。
 金粉の入った水飴のように、ねっとりと甘く、きらきら輝くチャイコフスキーだ。おそらく同曲の全ての録音において最もスピードの遅い演奏の一つであり、彼の表現力の細部をあますところなく見渡すことができる驚くべき記録である。一見グレーに見える印刷物が、実は大小おり重なる4色の明るい原色の粒で構成されていることを知るような発見に満ちており、ただただロシア臭しか感じることのできない録音が多い同曲において、エルミタージュの絵画の多様性を思わせる万華を見せる唯一無二の記録である。
ML-012/13

(2CD)
ケーゲルの「オベロン」、初出?
 ウェーベー:「オベロン」(全曲、ナレーション付き)
ギュンター・ノイマン(オベロン)
イルムガルト・ボアス、
ライナー・ゴールトベルク/他
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.&cho.
 録音:1979年。おそらく初出となる音源。ケーゲルによるウェーバーの音盤は、確かこれまでカンタータ「戦いと勝利」しか無かったのではないかと思われる。
 ケーゲルによる妖しく美しいオベロンである。妖精の女王の歌声は、愛撫のようなケーゲルの演奏の美しさによりその激しさを増し、所々あえぎともとれる嬌声をあげながら愛の成就を喜ぶ。しかしケーゲルは、そんなことにはいっさいかまわず、自らの前に拡がる音楽の美しさだけを淡々と追求していくのだ。なんという孤独で気高い音づくりなのだろうか。周りの芸術を全て枯花に変えてしまう程恐ろしいパワーを秘めた、本当は聴いてはならないパンドラの箱のごとき記録である。
ケーゲルのJ.シュトラウス、初CD化
 ヨハン・シュトラウスII:
  美しく青きドナウ/芸術家の生活/ウィーンの森の物語
 ヨゼフ・シュトラウス:オーストリアの村つばめ
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送so.
 録音:不祥。以前LPが出ていた録音ではないかと思われるが、初CD化。
 あらゆる箇所でギクシャクした尖った演奏に終始するケーゲルらしいシュトラウスである。アンサンブル自体は非常に完成されており、一見その美しさは他のどの指揮者よりも高みにある。しかし、音楽が進むにつれて、妙にギクシャクしたフレージングが多いことに気が付く。よく聴かなければならないが、まるでノーノの演奏のように暗い影が至る所に潜む。その暗い深みを見つけたとき、背筋が凍るような戦慄を覚えるだろう。シュトラウス一家の音楽をこれ程冷淡に演奏できる指揮者は、もちろんケーゲルしかいない。
ヘルベルト・ケーゲル
 チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」(抜粋)
ギュンター・ライプ(オネーギン)
カール・フリードリヒ・
 ヘルツケ(レンスキー)
マリア・クローネン(タチヤーナ)
テオ・アダム(グレーミン公爵)
アンネリース・ブルマイスター/他
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ベルリン放送so.、
ベルリン国立歌劇場cho.
 録音:不祥。おそらくドイツ語歌唱。以前LPが出ていた録音ではないかと思われるが、初CD化。
 決闘と恋愛と絶望に満ちたストーリーを、モノクロームの映像で描き出すケーゲル独特のオペラ音楽である。タチヤーナの嘆きは宗教的な意味さえもつかのように清く美しい。その一方で、オネーギンの絶望は、誰にも知られず独り地の底へ墜落していくように孤独で悲しい。もともと合唱の指揮を得意としていたケーゲルらしく、それぞれの歌唱が、深く重い意味を持つように仕上げられている。オーケストラもケーゲルの意図を組み、魂を預けるような渾身の演奏をみせる。
チェクナボリアンの「オルガン付き」
 サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」
ロリス・チェクナヴォリアン指揮
ロイヤル・リヴァプールpo.
 録音:1980年3月。初CD化。
 マニアの間では古くから話題になっていたブッ飛び音響のオルガン付きである。誰も止める者がいなかったのだろう、チェクナヴォリアンは思うがまま録音レベルを上げていったようで、スピーカーの命が危うくなる程のオルガンの大音響が全編に響き渡る。録音バランスはメチャクチャでオルガンが入るとオーケストラは完全に消え失せ、残響はグワングワンと響きまくる。教会での録音のようだが、まさに神をも恐れぬやりたい放題の演奏である。しかし、かっこいい。聴くとスッキリすること間違いなし。
コンドラシンのベートーヴェン
 ベートーヴェン:
  交響曲第4番/
  「プロメテウスの創造物」序曲
キリル・コンドラシン指揮
モスクワpo.
 録音:不祥。初CD化。
 非常にモダーンなベートーヴェンである。もともと近代曲を積極的に取り上げていたオーケストラだけに、ここでの解釈もベートーヴェンとしては異質な程現代的である。フレーズはその全てを鳴らしきることなく、短くブツブツと細切れにされ、その切れ端で音楽を構築していく。西側の明かりを夢見ながら、そこにあるモダンに思いを寄せるコンドラシンの気持ちが痛い程伝わってきて切ない。プロメテウスはさらに現代に近く、まるでストラヴィンスキーのように響く。コンドラシンがあと10年活躍していたならば、ロスバウトやギーレンを超えるモダン指揮者になっていただろう。
スヴェトラーノフ、初レパートリーあり
 ヒューゴ・アルヴェーン:交響曲第3番(*)
 ガーシュウィン:パリのアメリカ人(#)
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮(*/#)
スウェーデン放送so.(*)、
ソビエト国立so.(#)
 録音:1986年11月7日、ストックホルム、ライヴ(*)/1980年1月16日(#)。(*)は初出音源でスヴェトラーノフのディスク初レパートリー作品。スヴェトラーノフによるアルヴェーンの交響曲には、第2番(スウェーデン放送so./MUSICA SVESIAE MSCD-627)と第4番(ロシア国立so./RDCD-00693)があった。(#)はおそらく以前MELODIYAからLPが出ていた物で、初CD化。
 珍しいレパートリーのアルヴェーンであるが、スヴェトラーノフの丁寧な演奏で、曲の持つ端正な品格が伝わってくる。但し、4楽章ではどうしてもスヴェトラーノフが自らの血を押さえきれなかったのか、ロシアの臭いが急激に強くなり金管とティンパニの咆哮が響き、独特の息の長いクレッシェンドが続く。ガーシュウィンは、まさにスヴェトラーノフのガーシュウィンであって、パリのアメリカ人がウォッカでおもいっきり酔っぱらっているような演奏だ。楽しく華麗にという意識はまったくなかったのだろうが、ここまでギチギチに一生懸命にならずとも良いだろうにと思ってしまう。
スヴェトラーノフの稀少レパートリー、おそらく初CD化
 プロコフィエフ:ピーターと狼
 ブリテン:青少年のための管弦楽入門
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
ソビエト国立so.
 録音:不祥。共に、おそらくMELODIYAからLPが出ていた演奏で、今回が初CD化。2曲ともスヴェトラーノフ唯一の録音と思われる。
 ロシア語でまくしたてるナレーションも凄いが、その影で鳴り続けるスヴェトラーノフの演奏も脂っこい充実したものだ。ピーターと狼では、力そこそこといった風で、そのマグマが爆発することはないが、丸まるとした胴を持つ大蛇が横たわりながら舌をペロペロ出して横たわっているのが感じられる凄みがある。ブリテンでは、とうとう押さえきれないマグマが爆発してしまい、最後のフーガの部分からはまるで巨大交響曲のラストのような壮絶な盛り上がりをみせる。
スヴェトラーノフの稀少レパートリー、おそらく初CD化
 シューマン:交響曲第2番
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
ソビエト国立so.
 録音:1982年1月9日、ライヴ。おそらくMELODIYAからLPが出ていた演奏で、今回が初CD化。当曲は意外にもスヴェトラーノフ唯一の録音と思われる。シューマンの録音自体も非常に少なく、大曲としては唯一のもののようだ。
 速めのテンポでどんどんとこの端正な曲を追い詰めていく様は圧巻である。金管とティンパニは的確にリズムを刻み、弦はロシアのオーケストラとは思えない程端正な音を維持しようと坑がうが、とうとう終楽章でスヴェトラーノフの圧力に屈し、ロシアンサウンドを爆発させてしまう。ティンパニは人が変わったように激打をくり返し、金管も倍の人数になったかのように厚く豪快に鳴り響く。スヴェトラーノフでなければ、この思わず笑ってしまう程の凄い迫力で迫りくるシューマンは実現できなかっただろう。
スヴェトラーノフのピアノ独奏、おそらく初CD化
 フィビフ:詩曲
 ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
 ドビュッシー:
  アラベスク第1番/同 第2番/
  前奏曲集〜第12番「ミンストレル」/レントより遅く/
  2つのピアノのための小組曲第1番(ピアノ独奏版)/
  前奏曲集 より[第6番/第10番/第8番]/
  「ベルガマスク組曲」〜月の光
エフゲニー・スヴェトラーノフ(P)
 録音:不祥。おそらくMELODIYAからLPが出ていた演奏で、今回が初CD化。スヴェトラーノフ唯一の録音と思われる。
 スヴェトラーノフのロマンチックな一面が、充実したピアノの音に運ばれて拡がっていくピアノの秀演集。ゆったりとした遅めのテンポで詩情豊かに一つ一つのメロディーを歌い上げるスヴェトラーノフの指先は、天使が停まっているかのようにやさしい音を奏で、それぞれの曲が持つ深い意味探りあてる。特に、月の光は他のどのピアニストにも真似ができない程ロマンチックなもので、優しい月の光の下で窓辺に佇み物思いにふける少女の面影が浮かぶ。全てのピアノ・ファンが持つべき詩情的表現のバイブルである。
チェリビダッケ、初レパートリーあり
 ヒンデミット:チェロ協奏曲(*)
 モーツァルト:フルート協奏曲第2番(#)
ヴォルフガング・ベトヒャー(Vc;*)
セヴェリーノ・ガッゼローニ(Fl;#)
セルジュ・チェリビダッケ指揮(*/#)
シュトゥットガルト放送so.(*)、
トリノRAIso.(#)
 録音:1976年4月2日(*)/1958年3月21日(#)。(*)はチェリビダッケのディスク初レパートリー作品。(#)はMEMORIESなどから発売があった演奏だが、現在ではチェリビダッケの同曲は全く発売盤が無い状態なので、嬉しい再発売といえる。
 演奏されること自体がめずらしいヒンデミットのチェロ協奏曲をチェリビダッケが指揮した貴重な記録である。やや細めがだが滑らかな音を出すベトヒャーのチェロと、チェリビダッケの奏でる美しい音楽とが溶け合って、トロリとした感触さえ残るこの上ない上質の響きを創り出している。イタリアの深い森に響き渡るようなみずみずしい音をたたえるフルート協奏曲は、残念ながらノイズの多い録音状態ではあるが、チェリビダッケという指揮者の美への執拗な追求を感じさせる美しい演奏で幸せな気分になる。
セルジュ・チェリビダッケ
 プロコフィエフ:「ロミオとジュリエット」(抜粋)
セルジュ・チェリビダッケ指揮
フランス国立o.
 録音:1974年6月4日、ローザンヌ、ライヴ。GNPからGNP-72として発売されている演奏。
 チェリビダッケは、このオーケストラが持つ艶のある響きが気に入っていたのだろう。自らがその音を楽しんでいるかのような、慈しみに満ちた豊かな音楽を紡ぎ出している。楽譜に記された単なる悲劇の描写に終わることなく、その物語の背後にある悲しい程美しい人間の避けられない情念を、音という媒体を通じて現代に伝える意味深い記録となっている。細部の表現までつかみ取ることができる十分な音質で、聴き込むにつれて、とろけるようなチェリビダッケの美音の渦に沈み込む快感が身体を麻痺させていくだろう。
カール・ベーム
 シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」
カール・ベーム指揮
BPO
 録音:1978年9月9日。FKMからFKM-CDR45/6として発売されている演奏。
 「至高」という言葉でしか表現できない、20世紀におけるオーケストラ演奏の頂点の一つであることは間違いない。重い足取りで始まる第一楽章からすでにBPOはその才能を惜しみ無く全開にし、シューベルトの持つペン先が描く音符の流れが目にみえるような、精緻な仕事をこなす。ベームは指揮台の上からその音の流れを導く空間を創っているかのように見事な指揮をなし、この壮大な曲を一つの流れにまとめ上げている。
カール・ベーム
 ブルックナー:交響曲第7番
カール・ベーム指揮
BPO
 1977年3月24日、BPO定期演奏会。FKMからFKM-CDR55として発売されている演奏。
 現存するブルックナーの7番の全ての録音から、ベストの演奏を選ぶという無謀な作業を容易にする程の力をもった演奏である。ゆったりと正確なベームの指揮で始まる音楽は、やはり正確で堅実な様相を見せるが、けして飽きることのない深みを称えたものに仕上がっていることが最初の3分間で理解できる。それにしてもこの頃のBPOのすばらしいこと。演奏の正確性だけではなく、一つ一つの音にこもった演奏者ひとりひとりの想いがそのまま現れたような音の響きがあり、ブルックナーの偉業を心の底から讃える祈りにも似た音楽が出来上がった。
ヘルベルト・ケーゲル、初出
 ジョルジュ・エネスコ:演奏会用序曲
 プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番(*)
アンネローゼ・シュミット(P;*)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ドレスデンpo.
 録音:1981年9月、ルーマニア、ライヴ。おそらく初出音源で、エネスコは作曲家レベルでケーゲルの初レパートリーと思われる。(*)もケーゲルの初音盤レパートリー。
 ケーゲルがルーマニアのジョルジュ・エネスコ音楽祭で演奏したライヴ。まず、あまりなじみのないエネスコの曲が、懐かしさをもって心の底に響いてくることに驚きを覚えるだろう。ケーゲルでなければできない美しい響きが、細胞の奥に眠る忘れられた記憶を刺激する力をもっているからに違いない。ブラームスなどでケーゲルと共演したシュミットも、同じように心に響くピアノを奏でる。ライヴとは思えない精緻な音の粒が、ケーゲルの光を受けて虹色に輝きながらスピーカーから飛び出してくる。2つの才能が互いを高め合ながら昇華して行く様を目の当たりにすることができる、希有な演奏である。
ヘルベルト・ケーゲル、初出あり
 ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱つき」〜第4楽章(*)
 メシアン:トゥーランガリア交響曲(抜粋)(#)
チェレスティーナ・
 カサピエトラ(S;*)
アンネリース・ブルマイスター(A;*)
エーベルハルト・ビュヒナー(T;*)
テオ・アダム(B;*)
ヘルベルト・ケーゲル指揮(*/#)
ベルリン放送cho.(*)、
ライプツィヒ放送so.(*)、
ベルリン放送so.(*)他
 録音:1973年8月4日、ベルリン、ライヴ(*)/1987年10月1日(#)。(#)はおそらく初出音源。メシアンは作曲家レベルでケーゲル初音盤レパートリーのはず。(*)はETERNAからLPのみで発売された物で、初CD化と思われる。
 1973年にベルリンで開催された世界青少年週間のイベントの一つとしてライヴで演奏された第4楽章のみの第9ではあるが、ケーゲルの指揮に手抜きはない。華やかなで落ち着いたテンポで始まる音楽も、国家の威信をかけた壮大なイベントでの演奏であることが影響してか、やがて、とてつもない熱気を孕み始め、壮大な興奮を伴った竜巻きとなって荒れ狂う。いままで発見されたケーゲルの第9の中でも、明らかに傑出した興奮をみせる激演である。トゥーランガリアの方は、もう、お家芸というしかない見事なまとまりで、いつものように鋭いナイフを振り下ろすときのシュッという鋭い音が聞こえてくるような、エッジの立った凍えるように冷たい演奏である。


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